「今回が安重根の墓を突き止める最後のチャンス」(下)
その後、旅順監獄の裏山ではなく、キム副理事長が訪れた山が埋葬地だ、という主張が再び有力視されるようになった。独立闘士の子孫で、中国で生まれ育ち韓国に帰化したイ・グクソンさん(63)は、「58年に父がわたしをここに連れてきて、“安義士の墓”だと説明し、参拝した」と証言した。
この日の踏査に同行したイさんは、個人的な記憶のほかに、二つの大きな根拠を提示した。まず第一に、1940年代に旅順監獄に勤務した日本人医師が、「安義士は監獄から300メートル離れた広い墓地に埋められたと聞いた」と記録していること。第二に、イさんは「長年付き合いがある旅順博物館の職員から、“監獄に勤務していた関係者の証言を総合すると、この山が埋葬地に当たるらしい”という話を聞いた」と語った。
現地で安重根についての研究と追悼活動を行っている大連大学のユ・ビョンホ教授も、「日本当局は、旅順監獄で死亡した人を3カ所に分けて埋葬した。向陽街の山で1910年代の死刑囚の遺骨が何体か発見された点から推測して、安義士が埋葬された初期の墓地はこの場所である可能性が高い」と語った。向陽街の山には1902-20年代の死者が、昨年韓国政府が発掘した場所には40年代の死者が主に埋められているものと推定される。
問題は時間だ。大連市内の各所では現在、すさまじいスピードでマンションや高層建築物の工事が進められている。韓国政府は慎重な立場だ。何より、旅順監獄は1916-23年の間に3回にわたって増築されており、その過程で安重根の遺体が完全に失われた可能性もある。北朝鮮もこの一帯で活発な発掘作業を展開していたが、その後放棄したことが分かっている。
国家報勲処のファン・ヨンへ事務官は、「確実な物証もなく、再発掘に乗り出すのは困難」と語った。昨年の韓国政府の発掘に参加した忠北大の朴善周(パク・ソンジュ)教授(62)は、「安義士の墓に関する主張は、大部分が出典不明の伝聞を土台にしている。文献証拠もなく“こうだったらしい”レベルの伝聞では、中国政府の協力は得られない」と語った。
これに対しキム副理事長は、「義挙100周年を目前に控えて未だ遺言を実現できないのは、子孫として恥ずかしい。こうして先延ばしにしている間にこの問題が永遠に迷宮入りするのではと思うと、胸が詰まる思いだ」と語った。
大連=チョン・ジソプ記者
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