悲報を知人からの電話などで知ったイチロー。試合後、土井氏への思いを静かに語り始めた。
「(病状が)相当悪いということは聞いていましたし、覚悟はしていました。ご冥福をお祈りします」
2人には浅からぬ因縁があった。プロ2年目、1993年の開幕戦で先発起用されたがその後、2軍落ち。土井氏が振り子打法に否定的だったからとうわさされた。翌94年、監督を引き継いだ仰木彬氏(故人)のもと、登録名をイチローに変えてから活躍。世間では「イチローの才能を見いだせなかった」という印象がつきまとった。しかしイチローは「そうじゃないのにねえ…」とポツリ。残念そうにこうした見方を否定した。
メジャー史上初の9年連続200安打は、亡くなる11日前に達成。「(病身にもかかわらず自分のことを)気にしてくれている、と聞いていた。だから200本のこととかを知っていてくださったらうれしいですけどね」と悼んだ。
この日はブ軍に0−5で完敗。八回に自打球を右すねに当て途中交代し、ヒヤリとさせたが「大丈夫。(当たった個所が)骨ですから、痛いけど腫れない」と、影響なしを強調した。
4打数1安打で打率は.355。首位のジョー・マウアー捕手(26)=ツインズ=が.370のままでも、上回るには残り8試合で1試合平均2.88安打、23安打する必要がある。困難な状況だが、奇跡を天国に届けたい。