ここから本文エリア 企画特集3
京都地検検事 伊藤拓真さん2009年07月31日 責任能力と被害者感情 調書への署名を求めると、容疑者はペンを手に取り、迷わず片仮名で名前を書き始めました。外国語の名前を書いているらしいことは分かりましたが、目の前にいる容疑者の女性は、どう見ても外国人ではありません。彼女は統合失調症の患者でした。隣人から嫌がらせを受けているという被害妄想を持ち、やめさせるために隣家に放火してほぼ全焼させたという放火事件を起こしたのでした。 ■ □ ■ 彼女はたどたどしく、映画を見るのが好きだと話しました。彼女は、自分の別名として、アメリカの女優の名前を書いたのでした。彼女は母親と二人暮らしでしたが、母親も精神障害で事件の前に入院し、一人暮らしになりました。母親と一緒なら精神的に落ち着いて過ごせていたのでしょう。しかし、母親がいなくなり、ストレスが増したのかもしれません。 彼女のように精神障害を患い、重大犯罪に及ぶ容疑者は決して珍しくありません。新聞報道などでも、責任能力という言葉をしばしば目にします。責任能力がない(精神障害により、善悪の判断をし、その判断に従って自分の行動を制御する能力がない)者には、刑事責任を問うことはできません。彼女の場合、精神科医の意見によると、非常に重い症状とのことで、犯行時に責任能力がなかったと判断され、結局、事件は不起訴となりました。 ただ、これで終わりではありません。放火など一定の犯罪については、法律に基づき、入通院させて精神障害の治療を受けさせるかどうかを、裁判官が判断する手続きに移ります。彼女の場合、症状が重いことや母親が入院中であることなどから、入院して治療を受けてもらうことになりました。 この手続きを放火の被害者に説明する機会がありました。「他人の家を燃やしておいて処罰はされなくて、国のお金で病院に入院できて治療も受けられるんですか? 私は住む家もないのに」とストレートな感情をぶつけられました。責任能力がなければ処罰できないというのは、法律上の理屈としてはそうですが、被害者が抱く気持ちもよく分かります。 ■ □ ■ 刑事事件は被害者の存在を抜きに語れません。適正な処罰、被害者感情、容疑者の社会復帰と再犯の防止……。どれも満足することが理想ですが、なかなかうまくはいきません。特に、精神障害者の犯した犯罪に、どのような解決を与えるかは、非常に難しい問題です。社会が精神障害をどのように考えていくかによって大きく変わってくると思います。どのような解決がベストなのか、責任能力が問題となる事件を見聞きするたびに考えさせられています。
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