綿 津 見 神 社

所在地 福岡市東区三苫6丁目

綿 津 見 神 社 由 緒

祭神志賀三神豊玉姫命
 竈門神社須賀神社
 黒津神社稲荷神社
 三寳大荒神社若宮社
 虚空蔵菩薩大日如来
鎮座由来
 香椎宮旧記に神功皇后征韓御渡航の祭対馬を発船された時俄に大雷雨大風涛起り御船危殆に瀕す。此時御船の苫三枚を海中に投入し何れの時何れの処にあれ此の苫の流れ寄らん地に社を建て拝祭せんと海神に祈られし処立処に風涛治り征韓の大業を易く終え給い凱旋後苫の漂着せし地に三枚の苫を神体とし社を建て海神を拝祭された。此の神社なり。又此の所、縁により地名を三苫という。
 古来香椎宮神輿渡御報賽の儀あり中古より神使の発神となり現在に至る。
香 椎 宮 宮 司 木 下 祝 夫 叢  .

一の鳥居 二の鳥居 拝殿正面

右側から見た神殿 祭事歴 綿津見神社由緒碑

八大竜王
綿津見神社は中古より八大龍王また龍王と称す この額はその遺跡なり
香椎宮編年記に9月10日大宮司斎戒沐浴して神体を神輦に移し祠官音楽を奏し了て11日の暁に三苫郷龍王の社に遷幸す 此れ皆な大菩薩征西の時加護し玉ひし神なれば也とあり 明治初年神仏分離の際龍王の社名は綿津見神社に復元せられると雖も往古の貴重なる実績なれば謹みて茲に顕彰するもの也

八大龍王の説明 八大龍王の鳥居の額を祭った祠 昔の鳥居の額 僅かに八大と読み取れる

社務所 不祥 竈神社

三苫虚空蔵菩薩由来
 桓武天皇御代延暦二十四年四月最澄傳教大師入唐求法帰路六月十三日花鶴濱(古賀濱)に上陸一ヶ月滞在の折巡錫布教の砌り三苫虚空蔵菩薩像を彫刻安置し地区住民の財宝の恩恵を授けるの始で千百八十有余年の歴史を持ち今日まで法統連綿として引継がれ家門隆昌の守護を授けるものなり  俗に空(無一文)から蔵が立つという七福神の一体でもあり三十三忌の守り本尊でもあります
[注] 延暦二十四年(八〇五年)
所在地 福岡県東区三苫六丁目

綿 津 見 神 社 仏 像 群

 文化財に指定されているのは下記の仏像5躯です
  1 木造不動明王立像高さ 69.9cm   檜材−木造
  2 木造吉祥天立像高さ49.9cm   檜材−木造
  3 木造如来形立像(伝大日如来像)高さ127.0cm   楠材−木造
  4 木造伝虚空蔵菩薩立像 高さ130.2cm   楠材−木造
  5 木造伝薬師如来坐像高さ 72.3cm   楠材−木造
 このうち不動明王立像、吉祥天立像、伝虚空蔵菩薩立像、伝薬師如来坐像の4躯は正面左の虚空蔵堂に、残りの如来形立像(伝大日如来像)が右の大日堂に安置されています。江戸時代の地誌によれば、このうち伝虚空蔵菩薩像と如来形立像は12世紀あるいは、14世紀に海中から引き上げられたとの言い伝えがあります。その制作時期は、伝薬師如来坐像が、南北朝時代、残り4躯は平安時代後期と考えられています。
 この仏像群は玄界灘沿岸の古代・中世の宗教文化を物語る重要なものであり、また廃仏毀釈の破壊を免れて残った貴重な文化財です。
1998年3月
福岡市教育委員会  The Board of Education Fukuoka City
みんなの文化財を大切に!

虚空像堂(左)と大日堂 左から薬師如来像、虚空像菩薩像、
不動明王像、吉祥天像
伝大日如来像

須賀神社(左)と黒津神社 三宝大荒神 若宮社(左)と岩戸神社寄贈の招霊の木
庚申天と古くて風化が激しい常夜灯 安政とも読み取れる常夜灯の胴体 海岸からの参道の鳥居

神社全景 右入り口の鳥居

一の鳥居と二の鳥居の間にある狛犬と一体になった珍しい常夜灯

古い常夜灯 風化が進んでいるのが分かる 辛うじて八大の文字が読み取れる
八大龍王社時代の常夜灯か?


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