無差別に技術をついばむ鳥

情報処理技術全般を気まぐれにつつくゆるいブログです

ネタつつき50−主義/思想の修得を阻まれたらどうするべきか?

主義/思想の大切さを語りましたので、より発展的な内容を書きます。主義/思想が大事だからと言って、それを簡単に修得できる程日本は恵まれておりません。社会人になれば嫌でも分かるのですが、日本はレッテルに依存しており、主義/思想の修得を阻む企業風土が既に出来上がっております。学生の方は不思議だと思うでしょうが、残念ながらこれは揺ぎ無い事実です。
普通に考えれば、優秀なプログラマーにプログラミング関連の仕事をさせれば一番生産性が高く、その結果会社も儲かるのですが、残念ながら日本はそれを許しません。レッテルに依存しておりますので、SE・アーキテクト・係長などといった何らかのレッテルを貼られ、プログラミング関係の仕事を取り上げられます。それを拒めば、解雇にされる危険性や、社会全体から無能のレッテルを代わりに貼られる危険性があります。
そういった事情を知りながら、あえて私が主義/思想の修得を勧めているわけは、誰も責任を取ってくれないからです。プログラマーが部長というレッテルを貼られ、一日中判子を押したり書類に目を通すだけの毎日を強いられ、その結果その人が使えない人になったとしても会社は何の責任も取ってくれません。宗教的とすらいえる慣習でその人からスキルを奪い、何となくリストラ(本来は解雇という意味じゃないんだけど)したくなってその人を解雇しても会社は何の感情も持ちません。何故ならば、部長というレッテルが大事なのであって、その人はどうでもいいのです。初めからレッテルしか見ていません。能力すらもどうでもいいのです。
そういった日本に蔓延るレッテル貼りによる無能化に対抗するには、技術者個人がスキルを管理して鍛錬を続けるしかありません。どうせ向こうはレッテルだけを見ているのです。そのレッテルとは違うスキルを身につけても会社は見抜けません。もし見抜けるのであれば、最初から能力を重視しているでしょう。レッテル貼りしか出来ない会社は見限って、自分ひとりでもやっているけるスキルを身につければいいのです。会社に忠誠心を持つ必要はありません。
しかしそうはいっても、時間を気にする人が居るかと思います。でも気にする必要はありません。主義/思想は修得するのは非常に難しい事ですが、主義/思想さえ身につければデータ(知識/理屈)なんて自然と増えます。幸い今は情報化社会であり、主義/思想は色々な媒体(本、Webなど)で得る事が出来ます。その主義/思想を磨いて貴方だけのものにしましょう。そうすれば不景気も新技術も何も怖くありません。一人で生き抜く術を身に付ける事を決意した人間は強いものです。何も恐れずに果敢に挑戦しましょう。

レッテルに押し込まれて、常に何かにおびえながら不自由に生きる人生は楽しいですか?
主義/思想を身につけてレッテルを打ち破り、自由な生き方をした方が幸せなのではないでしょうか?

自由には力が必要です。技術者は何にもとらわれずに、常に技術を磨き力を身につけましょう。
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この記事のコメント

>日本はレッテルに依存
組織論の話ですな。さらっと読むと納得しそうになったが、良く読めば貴君の肩書きコンプレックスのように読み取れる。
貴君のいうように肩書きで価値が決まことが多いのは認める。
しかし、全てがそうではない。肩書きと実体がいっしない現場は一部である。その一部を針小棒大に突いて、全体がそうだと決め付けるのは危険だ。
逆に、日本型社会は個人責任でなく組織責任/部署長責任という形をとることで、比較的円満に社会が成り立っている。

IT以外の業種の人が脱サラして失敗する代表的なパターンは、xxxx部長の肩書きで人が集まっているのに、個人の魅力で人が集まっていると錯覚することにある。
会社を辞めても、顧客は人に付くと錯覚して、独立したものの顧客からソッポを向かれることだ。
 葬式でもそうだ。現職で死ぬと会葬者は多いが、現職を退いたら殆ど来ない。
個人の力で勝負している自営業(医師、弁護士,,)などは個人の魅力や実力で顧客が付くよね。
会社の顧客は、個人の魅力やスキルでは付かない。会社の看板に付く。
会社員は看板というレッテルを背負っているわけだ。
 この制度は、欠点もあるが、長所もある。失敗の責任は部署長の責任になり、個人追求はされない。部署長が引責してもその時点で完了し、個人には責任は来ない。このメリットは大きい。

まどろっこしい表現になったが、役職というレッテルと、職業区分のレッテル(SA,SE,PG等)は別ものだ。それを同一視すると話が混乱する。
区分である SA,SE,PGに地位の優劣を持ち込み役職のように扱われている事に、貴君は怒りを感じているのだろう。
それは、運用する側が無知で謝った運用しているのであって、レッテル悪者論にはならない。
貴君は、「一匹狼の技術者を多く集めたら仕事はできる」ような事を書いているが、 一定以上の大きな仕事は集団でないと事業推進はできない。集団にするためには、組織の運営手法が必要になる。
そうなると、一定量の非直接員が必要になる。それは無駄ではない。技術者に制約を加えることもある。
組織というものを知らずに非難だけするのは誰でもできる。キーマンの心に響くように書かないと世の仕組みは変わらんよ。

2009-09-25 Fri 18:02 | URL | AlphaBeta #-[ 内容変更]
コメント有難う。

>  この制度は、欠点もあるが、長所もある。失敗の責任は部署長の責任になり、個人追求はされない。部署長が引責してもその時点で完了し、個人には責任は来ない。このメリットは大きい。
>
ここだけ気になったのですが、どちらかというと個人に責任を擦り付ける事が多いのではないでしょうか?
例えば、デスマーチが発生した時、後でプロジェクト責任者を左遷します。
こういった事が行われているので何時まで経ってもデスマーチが発生します。
※そのほかの要因もあるけどね。


そのほかのコメントについてはよく分かります。
文章にパンチがないので、レッテル貼りのデメリットをもう一つ付け加えます。
それは「商売をしていない」という事だと思います。
レッテル社会は実力を評価しません。
という事は、会社は無駄なコストが発生している事が多々あるという事です。
例えば、月給80万円の開発部長が居たとします。
彼が「情報について何も知らない」場合、80万円+各種福利厚生費が発生する事になります。
しかも、無知な人が指揮をとるのですから、
デスマーチを発生させ、利益どころか会社に不利益をもたらします。
それでも、日本は開発部長(部長というレッテル)のいう事を鵜呑みして、
デスマーチに度に、不幸な犠牲者(有能な人も居る)を左遷してお終い。
なんて事よくあります。
すなわち、レッテル会社は、ビジネスの原則である「利益の追求」を行っていないわけです。
やっている事は、慣習という名の宗教的儀式です。
これでは、高コスト/低利益体質というほかありません。
会社は仲良しクラブではないのであって、利益を生み出す人員配置を行う必要があります。
2009-09-25 Fri 19:08 | URL | インドリ #-[ 内容変更]
>彼が「情報について何も知らない」場合、80万円+各種福利厚生費が発生する事になります
>すなわち、レッテル会社は、ビジネスの原則である「利益の追求」を行っていないわけです。
この個所に温度差を感じる。
部長職は無知でも良いのです。交通整理を実行して、問題が発生したときに、首をさしだてくれたらそれでよい。
貴君のいうところの、担当者の左遷行為は、組織運営の謝った措置で、それは運用責任であって、レッテル主義の弊害ではない。
仕事が順調なときは、責任者は、何もせず遊んでいても良いのです。なんか有ったとき、テキパキと責任を取ってくれたらよい。そのために高給を貰っている。
数十人以下のプロジェクトや会社では、そのような人を配置するメリットはない。
しかし、100人を越えると、給与泥棒に見える役職も組織としては必要になる。 それを無駄といって切り取ると、弊害が目立って発生する。
規模が大きくなるほど、無駄と役目と仕事の評価は多面性を持つ。 現場の開発者視線だけで評価できるものではない。
2009-09-25 Fri 19:32 | URL | AlphaBeta #-[ 内容変更]
組織は秩序が必要であり、そういった面ではレッテルを完全否定できないですね。
私は自分が何に対して疑問を持っているのかよく考えたところ、レッテルそのものよりも、
柔軟さがないレッテルを使うシステム(日本の慣習)に対して違和感を感じて居る事がわかりました。
組織に於いて役割は大変重要です。
しかしその一方で慣習的にレッテルに人を押し込めすぎだと思います。
例えば、先のコメントで挙げた部長が仮に部長に納まらない大きな器と能力を持っていたとします。
分かりやすいようにここでは、伝説のプログラマーだと仮定して話しを進めます。
その部長は伝説級のプログラミング能力を持っているので、
現在会社が力を入れているプロジェクトをよりよく実装したいと思っても、
日本では得てして部長はそういった面に手を入れられません。
これでは、愛社精神を拒否し、その部長の能力を封印している事になります。
本来ビジネスは利益の追求が一番です。
それにも関わらず、日本ではレッテルという儀式が重要視されているように感じます。
さらに突き詰めて考えれば、レッテルシステムは「サボる方が楽」なので、
人を怠惰にする側面もあります。
これは会社にとってもマイナスであり、サボる人以外は誰も利益を得ません。


それはさておき、その役割を果たしていれば、
レッテルに関係の無い鍛錬をしても会社は意に介さないと思います。
会社を辞めたら意味がなくなるスキルよりも、本当に役立つスキルを修得する事をお勧めします。
そうしないと、レッテルは退社したら効果がなくなります。
2009-09-26 Sat 10:18 | URL | インドリ #-[ 内容変更]
>システム(日本の慣習)に対して違和感を感じて居る事がわかりました。
>(略)
>そうしないと、レッテルは退社したら効果がなくなります。
貴君の発言を見ていると、就労経験が乏しい、もしくは、極一部の特殊ケース(ブラック?)だけしか経験していないと察する。
世の中は、いろんな面があります。全てに適用できる一般論なんて存在しない。

>会社を辞めたら意味がなくなるスキルよりも、本当に役立つスキルを修得する事をお勧めします。
組織スキルはレッテルに付属するもので、個人に付属するものではない。一般的な個人が持つスキルは微々たるものだ。個々のプログラムを作る程度のスキルはあっても、大きなシステムを作るには集団スキルが必要だ。
集団スキルは、個人には属さない。
 極論を言えば、簡単なOSや言語を作るスキルは個人レベルで習得可能だ。しかし、中規模以上のアプリは個人作成は不可能に近い。

会社から離れたらスキルが無いことに気付くのは、良く聞く話だ。会社にとっては個人の趣味的スキル蓄積より、収益に結び付くスキル習得を要求するのは当然だ。
その会社内でしか通用しない言語スキルやフレームワークスキルで商売している場合は特に言える。
 それに満足するか否かは個人の判断であって会社の問題ではない。

貴君は「会社が駄目だ」と批判しているが、的外れな主張だから、あちこちで衝突してしまうんだ。
社会や会社に過度な期待を抱いて、保護してくれないから不満をいうのは駄目な行為で、学生の内に気付くものである。
貴君は、そこに気付かなかったのが不幸だか、今気付けば、グッと視野が広がる。

会社にとって労働者の大半に、歯車であることを要求する。非歯車要員は少しで良い。
非社会人が「歯車になるのが嫌だ」と叫んで、自分探しをするのが注目されるが、それで飯が食えるほど甘くはない。
いちど、働いてみたらどうだ。
2009-09-26 Sat 11:34 | URL | AlphaBeta #-[ 内容変更]
> >システム(日本の慣習)に対して違和感を感じて居る事がわかりました。
> >(略)
> >そうしないと、レッテルは退社したら効果がなくなります。
> 貴君の発言を見ていると、就労経験が乏しい、もしくは、極一部の特殊ケース(ブラック?)だけしか経験していないと察する。
> 世の中は、いろんな面があります。全てに適用できる一般論なんて存在しない。
>
どこからそのように判断しているのでしょうか?
余りにも失礼だと思います。


> >会社を辞めたら意味がなくなるスキルよりも、本当に役立つスキルを修得する事をお勧めします。
> 組織スキルはレッテルに付属するもので、個人に付属するものではない。一般的な個人が持つスキルは微々たるものだ。個々のプログラムを作る程度のスキルはあっても、大きなシステムを作るには集団スキルが必要だ。

数億円規模ならば私一人で作りましたが・・・


> 集団スキルは、個人には属さない。
いいえ。集団をマネージメントするスキルは個人が持っています。
会社が持っているわけではありません。

>  極論を言えば、簡単なOSや言語を作るスキルは個人レベルで習得可能だ。しかし、中規模以上のアプリは個人作成は不可能に近い。
>
> 会社から離れたらスキルが無いことに気付くのは、良く聞く話だ。会社にとっては個人の趣味的スキル蓄積より、収益に結び付くスキル習得を要求するのは当然だ。
> その会社内でしか通用しない言語スキルやフレームワークスキルで商売している場合は特に言える。
>  それに満足するか否かは個人の判断であって会社の問題ではない。
>
いや、だから個人がどのようなスキルを修得しても会社は意に介さないから、個人が努力すればいいといっているのですが・・・


> 貴君は「会社が駄目だ」と批判しているが、的外れな主張だから、あちこちで衝突してしまうんだ。
> 社会や会社に過度な期待を抱いて、保護してくれないから不満をいうのは駄目な行為で、学生の内に気付くものである。
> 貴君は、そこに気付かなかったのが不幸だか、今気付けば、グッと視野が広がる。
>
あのー保護してもらおうと思っているのは貴方の方だと思います。
私は会社に期待なんてせず、自分ひとりで食っていけるように鍛錬する事を進めているのですが・・・
個人で努力しない方が社会を嘗めていると思います。


> 会社にとって労働者の大半に、歯車であることを要求する。非歯車要員は少しで良い。
> 非社会人が「歯車になるのが嫌だ」と叫んで、自分探しをするのが注目されるが、それで飯が食えるほど甘くはない。
> いちど、働いてみたらどうだ。

一応10年働いていますが(笑)
貴方の言っている事はおかしいです。
個人が努力せずに会社に依存しているのを容認するのは、社会を嘗めている学生の思考だと思います。
貴方が努力しないのは勝手ですが、努力している人、もしくは努力しようとしている人を「働いていない」と断定する行為は非理論的で馬鹿げています。

どうやら、貴方は会社に依存して食わしてもらう事を目指しているようですね・・・
それを私は止めませんが、努力している人間をニーと扱いするのは止めましょうね。
2009-09-26 Sat 17:41 | URL | インドリ #-[ 内容変更]
ちなみに、私はフリーで自分で仕事を取ってきて納品までしているのですが・・・
フリーで仕事する事は「働く」という概念に属していないのでしょうか?
個人がスキルを修得する事を推奨しただけでニート扱いされるとは思いませんでした。
全然意味がわかりません。
2009-09-26 Sat 17:46 | URL | インドリ #-[ 内容変更]
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2009-09-26 Sat 19:26 | | #[ 内容変更]
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