アジア | 北米 | 中南米 | 欧州(NIS諸国を含む) | 大洋州 | 中東 | アフリカ
2009年6月現在
約9.3万平方キロメートル(日本の約4分の1)
約1,004万人
ブダペスト
ハンガリー人
ハンガリー語
カトリック約52%、カルビン派新教約16%
3月15日(独立戦争記念日)、8月20日(建国記念日)、10月23日(革命記念日)
| 年月 | 略史 |
|---|---|
| 紀元前1世紀より | ローマ領パンノニア州州都 |
| 紀元4世紀 | フン族が侵入し、ローマ人を駆逐 |
| 896年 | ハンガリー民族定住 |
| 1000年 | ハンガリー王国建国 |
| 1241〜1242年 | 蒙古軍襲来 |
| 1526〜1699年 | トルコによる占領 |
| 1699〜1918年 | ハプスブルグ家統治 |
| 1867年 | オーストリア・ハンガリー二重帝国 |
| 1920〜1944年 | ホルティ摂政によるハンガリー王国 |
| 1920年 | トリアノン条約(領土の3分の2を割譲) |
| 1941〜1945年 | 第2次世界大戦(枢軸国) |
| 1946年2月 | 共和国 |
| 1949年8月 | 人民共和国 |
| 1956年10月 | ハンガリー動乱 |
| 1989年10月 | 共和国に体制転換 |
| 1999年3月 | NATO加盟 |
| 2004年5月 | EU加盟 |
| 2007年12月 | シェンゲン領域加入 |
共和制
ショーヨム・ラースロー(Laszlo SOLYOM、2005年8月5日就任、任期5年)
1院制(定数386名) 任期4年
国会議長シリ・カタリン(Katalin SZILI)
(1)首相名 バイナイ・ゴルドン(BAJNAI Gordon)(2009年4月就任)
(2)外相名 バラージュ・ペーテル(BALAZS Peter)(2009年4月就任)
(1)1990年、体制転換後初の総選挙で議会制民主主義国家への転換は平和裡に実現したが、同選挙で誕生した非共産党政権(民主フォーラム)は、国民の期待に十分応えられず、1994年の第2回総選挙では、社会党(旧共産党改革派)が支持の「揺り戻し」に預かり大勝。しかし、社会党政権も1995年に国民の痛みを伴う緊縮経済措置を実施して支持率を下げ、1998年の第3回総選挙では、若手中心の青年民主連盟(フィデス)が初めて第一党となり、独立小地主党及び民主フォーラムとの中道・右派連立政権が誕生した。
(2)2002年の第4回総選挙は、共同リストで臨んだ右派(青年民主連盟・民主フォーラム)と左派社会党の一騎打ちとなったが、接戦の末10議席差という僅差で社会党と自由民主連盟による左派・リベラル勢力が勝利した。2004年8月、内閣改造をめぐる与党内の対立が深まる中、メッジェシ首相は辞意を表明、9月27日、マードル大統領(当時)がジュルチャーニ氏を首班指名、同29日、国会の承認を経て正式に首相に就任した。
(3)2006年の第5回総選挙においては、連立与党の社会党及び自由民主連盟が合計で過半数(194議席)を超える210議席を獲得し、体制転換後初めて二期連続政権が誕生した。ジュルチャーニ政権は財政赤字削減を最大の課題とし、行政改革や医療改革、教育改革等に精力的に取り組んだが、国民の痛みを伴う緊縮政策に国民の不満は高まった。折しもジュルチャーニ首相の「嘘をついた」発言がリークされたことをきっかけに各地で首相辞任を要求するデモが発生、地方選挙では与党が大敗した。また、2008年3月に行われた国民投票では改革の根幹であった「入院費」「受診料」「授業料」の導入が白紙に戻る等、改革は行き詰まりを見せている。
(4)国民投票後、与党内で改革の進め方を巡る対立が深まり2008年4月、自由民主連盟は連立政権を離脱、同年5月からは社会党の単独少数与党政権となっている。政権支持率が過去最低レベルで低迷する中、2009年3月21日、ジュルチャーニ首相は社会党党大会で辞意を表明、4月14日に国会で建設的不信任案が可決され、バイナイ氏が新首相に選出され、20日には正式に新内閣が発足した。
1990年:民主フォーラム・独立小地主党・キリスト教民主国民党政権(中道・右派)
↓
1994年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
1998年:フィデス―ハンガリー市民党・独立小地主党・民主フォーラム政権(中道・右派)
↓
2002年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
2006年:社会党・自由民主連盟政権(左派・リベラル)
↓
2008年:社会党政権(左派)
(1)体制転換以後、ハンガリーは一貫して「欧州への回帰」を最大の外交目標として掲げ、1999年3月にNATO加盟、2004年5月にEU加盟を実現。
(2)近隣諸国との関係では、国境外ハンガリー系少数民族保護に努めつつ地域協力を推進、地域安定のため、西バルカン諸国のEU・NATO加盟を積極的に支援。
(3)NATO加盟後、イラク(撤退済み)やアフガニスタン、コソボなどへ部隊・要員派遣を実施。またエネルギーを多く依存するロシアとの関係にも配慮。
(1)予算 3,197億フォリント(2008年)
(2)兵力 28,119人(2007年、中央統計局)
機械工業、化学・製薬工業、農業、畜産業
1,363億ドル(2007年、IMF)
13,560ドル(2007年、IMF)
1.3%(2007年、中央統計局等)
8.0%(2007年、中央統計局等)
8.0%(2008年、中央統計局)
1,384億ドル(2007年、中央統計局)
(1)輸出 690億ユーロ(2007年)
(2)輸入 693億ユーロ(2007年)
(1)輸出 機械、輸送機器、工業製品
(2)輸入 機械、輸送機器、工業製品
(1)輸出 ドイツ(28.2%)、イタリア(3.6%)、オーストリア(4.6%)(2007年)
(2)輸入 ドイツ(26.7%)、ロシア(6.9%)、中国(7.8%)(2007年)
フォント(HUF)
フォント(1=0.5円。2009年6月)
(1)体制転換以後、ハンガリーは積極的に市場経済及び外資を導入し高い経済成長を遂げてきたが、近年では経常赤字及び財政赤字という双子の赤字を抱えている。
(2)ジュルチャーニ政権は、財政改革を始め、体制転換以来の課題であった医療改革、税制改革等に取り組んだが、経済は、政府による緊縮政策の影響を受け大幅に失速した。2008年に入って経済回復の兆しが見られたものの、10月以降の金融危機の深刻化を受けハンガリー政府はIMF、EU、世界銀行に総額200億ユーロの融資を要請。ハンガリー政府は、財政改善策、国内経済対策に取り組んでいるものの、欧州経済停滞の影響も大きく、2009年の経済はマイナス成長が予測されている。なお、ユーロ導入時期の設定は、見送られている。
(1)有償資金協力 49.14億円(2005年度まで)
(2)無償資金協力 6.32億円(2005年度まで)
(3)技術協力実績 75.81億円(2005年度まで)
EU
(1)1869年、オーストリア・ハンガリー二重帝国として国交を樹立。第一次世界大戦後、ハンガリー王国として1921年に国交を樹立、1938年に相互に公使館を開設した。
(2)1959年8月国交回復、1960年に相互に公使館を開設。その後、1964年6月に相互に大使館に昇格。1989年の体制転換以降、両国の交流は活発化。1990年1月、日本の総理として初めて海部総理がハンガリーを訪問し、ハンガリーの民主化及び市場経済化への支持を表明。その後も政府要人の相互訪問は活発化し、日本からは、高円宮同妃両殿下、河野副総理兼外務大臣、斎藤参議院議長が、又、ハンガリーからは、大統領・首相・国会議長・外相等の訪問が相次いだ。2002年7月、天皇皇后両陛下が初の中・東欧訪問としてハンガリーを御訪問された。2004年10月、ジュルチャーニ首相が就任後欧州以外では初めての外国訪問として訪日、2007年1月には、麻生外務大臣がハンガリーを訪問した。2008年3月には、ゲンツ外相が訪日。2009年には外交関係開設140周年及び外交関係再開50周年という節目の年を迎え、5月には秋篠宮同妃両殿下がハンガリーを御訪問された。
(3)両国の国会には、友好議員連盟が設置され交流が行なわれている。
(1)日本の対ハンガリー貿易(2008年、財務省貿易統計)
(2)日本からの直接投資
4350万ユーロ(2006年、ハンガリー国立銀行)
(3)日本よりハンガリーに対しては、1991年度からほぼ毎年1件の文化無償供与が行われた(2004年度をもって供与対象国より卒業)。
日本は1965年度からハンガリーより研究留学生招待を開始、現在では学部留学生、日本語・日本文化研修留学生、教育研修留学生、研究留学生を合わせ毎年20名前後の国費留学生を受け入れている。一方、ハンガリー政府も1966年より日本人留学生受入れを開始。両国の留学生交流は活発。特にハンガリーにおいては2008年より元国費留学生(これまで約400名が大使館推薦国費留学生として日本に滞在)を中心とするハンガリー元留学生会が発足し、これら元留学生による留学生支援を始めとし、日ハ交流の活性化への貢献を目指した各種活動の展開が期待される。
1991年、国際交流基金事務所がブダペストに開設され両国の文化交流は拡充された。1996年のハンガリー定住1100年祭には日本より30の行事が参加、又、2000年にはハンガリー建国1000年を祝して日本で「ハンガリー・フェスティバル」が催され、また2005年の日・EU市民交流年に際しても約90の行事が開催される等、両国の文化交流は極めて良好。なお、両国の外交関係開設140周年及び外交関係再開50周年に当たる2009年には、大型周年事業「日本・ドナウ交流年2009」として、各種の記念文化行事が開催される予定。
1,200名(2008年5月現在)
343名(2008年8月現在)
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1989年11月 | 中山外相 |
| 1990年1月 | 海部総理 |
| 1992年1月 | 近藤労相 |
| 1992年5月 | 宮下防衛庁長官 |
| 1992年7月 | 羽田蔵相 |
| 1992年8月 | 桜内衆議院議長 |
| 1993年1月 | 森通産相 |
| 1994年11月 | 高円宮同妃両殿下 |
| 1995年4月 | 河野副総理兼外相 |
| 1997年7月 | 堀之内郵政大臣 |
| 1999年5月 | 与謝野通産相 |
| 1999年5月 | 町村政務次官 |
| 2000年8月 | 斎藤参議院議長 |
| 2001年11月 | 有馬政府代表 |
| 2002年7月 | 天皇皇后両陛下 |
| 2004年9月 | 荒井外務大臣政務官 |
| 2005年11月 | 金田外務副大臣 |
| 2006年9月 | 河野衆議院議長 |
| 2007年1月 | 麻生外務大臣 |
| 2009年5月 | 秋篠宮同妃両殿下 |
| 年月 | 要人名 |
|---|---|
| 1990年11月 | ゲンツ大統領(即位の礼に出席) |
| 1991年5月 | サバド国会議長 |
| 1991年9月 | アンタル首相 |
| 1992年12月 | イェセンスキ外相 |
| 1994年10月 | バヤ環境相 |
| 1994年10月 | パ−ル工業・商業相 |
| 1995年5月 | ボクロシュ蔵相 |
| 1995年12月 | ホルン首相 |
| 1997年4月 | コヴァーチ外相 |
| 1997年5月 | ガール国会議長 |
| 1997年9月 | メッジェシ蔵相 |
| 1998年1月 | ロッツ運輸・通信・水利相 |
| 1998年9月 | ペポー環境相 |
| 1999年3月 | アーデル国会議長 |
| 1999年10月 | マルトニ外相 |
| 2000年4月 | ゲンツ大統領夫妻(国賓) |
| 2000年12月 | ポコルニ教育相 |
| 2002年7月 | チッラグ経済・運輸相 |
| 2003年1月 | コヴァーチ情報通信相 |
| 2003年11月 | コヴァーチ外相 |
| 2004年8月 | ネーメト農業相 |
| 2004年9月 | マードル大統領夫人 |
| 2004年10月 | ジュルチャーニ首相夫妻 |
| 2005年5月 | ショモジ外相 |
| 2005年10月 | コーカ経済・運輸相 |
| 2005年11月 | シリ国会議長 |
| 2008年3月 | ゲンツ外相 |
| 2008年10月 | モルナール科学政策・研究開発担当相 |
| 2009年3月 | グラーフ農相 |
1961年 貿易支払協定、1973年 文化取極、1975年 通商航海条約、1979年 科学技術協力取極、1980年 二重課税防止条約、1991年 青年海外協力隊派遣取極、1992年 外交・公用旅券所持者に対する査証免除取極、1994年 航空協定、1997年4月 一般旅券所持者に対する査証免除取極、2008年 運転免許試験の相互免除に関する二国間取極
(1)ハンガリー国駐箚日本大使 鍋倉眞一特命全権大使
(2)本邦駐箚ハンガリー特命全権大使 ボハール・エルヌー特命全権大使