早い話が

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早い話が:負けたわけ、負けるわけ=金子秀敏

 衆院選投票日の朝刊の見出しは「きょう政権選択」(毎日)、「政権選択 きょう投票」(朝日)、「政権選択の日」(読売)だった。

 同じ新聞に自民党の広告が掲載されている。「日本を壊すな」という大見出し。「偏った教育の日教組」「特定の労働組合の思想」「この国を守りぬく決意」などの文字が並んでいた。「政権選択」ではなく「体制選択」である。「日の丸か、赤旗か」という踏み絵である。このへんの勘違いが、自民党の敗因のひとつではないのか。

 自民党は1955年11月に結成された。その9カ月前の総選挙で右派社会党と左派社会党が議席の3分の1を獲得して、合併した。当時の鳩山一郎首相(民主党)が目指す憲法改正、再軍備を阻止できる数である。政権をとるなら議席の2分の1を目標とするはずだが、社会党が目標としたのは3分の1という抵抗野党の座だった。

 ところが、民主党の三木武吉は議席数ではなく得票率の変化に注目した。民主党と自由党に分かれた保守陣営全体の得票率が70%を割ったのである。帝国議会以来初めてだった(河上民雄「勝者と敗者の近現代史」かまくら春秋社)。革新陣営の社会党が三十数%。保守陣営の民主党、自由党も三十数%。ドングリのせいくらべの保革3極構造では、社会党が比較第1党になり革新政権ができる。東西冷戦が始まっていた。体制の危機だと直感した三木は「保守合同」を提唱し、民主党と自由党は合併した。

 6割の票をとる保守党と3割の革新党が争う体制ができた。保守が常に勝つ。事実、これまで自民党は衆院で比較第1党の座を譲らなかった。

 だが、保革2極構造のもとで行われる総選挙は、保守か革新かの「体制選択」選挙だった。「政権選択」の機能を果たしたのは、自民党総裁選だった。国民の手の届かない密室の談合で、派閥ボスが政権を決めた。

 ところが前回と今回の総選挙では自民党と民主党の対決になった。民主党は自民党からの離党者が中心だから、保守2極構造だ。おまけに東西冷戦も終わっている。国民に「体制選択」を問うのは時代錯誤だ。

 すでに前回の郵政選挙は、政策を問う政権選択選挙だった。だから鮮明な政策を掲げた自民党が圧勝したではないか。それなのに今回、自民党は保守合同時代の体制選択選挙に逆行した。負けるわけだ。(専門編集委員)

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毎日新聞 2009年9月3日 東京夕刊

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