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【ドラニュース】


井上、引退します

2009年9月26日 紙面から

中日−阪神 7回裏2死一、二塁、井上が右翼線に2点タイムリー二塁打を放つ=ナゴヤドームで(横田信哉撮影)

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 中日・井上一樹外野手(38)が25日、今季限りでの現役引退を決意した。阪神戦(ナゴヤドーム)の試合前、落合博満監督(55)に報告。試合後、現役引退の記者会見を行った。5年目の野手転向でチャンスをつかみ、ファンを愛し、ファンに愛された薩摩男児は、27日の阪神戦後に引退セレモニーを行う。

 井上が自らの戦いに終止符を打つ。鹿児島商から投手としてドラフト2位で90年に入団、中日一筋に生きた男が「ちょうどいい区切りなんじゃないかな」と20年間の現役生活に別れを告げる。

 今季は4月3日の開幕・横浜戦(ナゴヤドーム)でスタメン出場したものの2試合3打席無安打で同8日には登録抹消。大半を2軍で過ごし「チームに迷惑をかけた。打てなくても応援してもらったけれど、声援が涙腺を緩ますようにも聞こえてきて」と引退に傾いた。他球団に働き場所を探してでも、という考えが浮かんだ時期もあったが「ドラゴンズに育ててもらった。ドラゴンズで終わるのが一番だと思った」。あとはいつ覚悟を決めるか、だけだった。

 最終決断は「4日前(21日)」だったが、その前に踏ん切りはついていた。9月11日のヤクルト戦(同)で、今季27打席目の初安打を放つと井上は一塁ベース上で涙を流した。「自分で打ったのではなく何かが打たせてくれたんだ。決断しなきゃいけないと思った」。同じく今季限りで引退する2年先輩の立浪からは「一樹にはまだやってほしい」と励まされてきたが、巨人の優勝が決まった23日には「もういいか。やめるか」とねぎらわれ、肩の荷も下りた。

 5年目の1994年、キャンプまでは投手として過ごしたが、故障者が続出したこともあって開幕前の2軍オープン戦で突然、外野手転向を命じられた。「それからもう16年ですからね。自分としてはよくやったと思いたいし、家族はそう言ってくれている」。自らを「たたき上げ」と称する男は、そう言って遠くを見詰めた。

 そんな井上が一番の思い出に挙げたのは「やっぱり優勝を決めた二塁打。カメラマンがよく撮っていてくれました。後から考えても、どうしてあんなポーズをしたのか分からないんですけどね」。99年9月30日のヤクルト戦(神宮)。同点の8回に左翼越え決勝二塁打を放つと、両手を頭上で広げて一本足でベース上に立つ鶴のような歓喜のポーズをつくった。ちょうど10年前、プロ10年目の輝いた瞬間だ。

 その99年には開幕から21試合連続安打の歴代2位記録もつくった。今季の長い2軍生活で「子を見る親の気分にもなった」と言ったが、若い選手にまじっても手を抜かなかった。そんな井上に球団も、27日の阪神戦終了後に引退セレモニーを用意した。もちろんポストシーズンで「戦力になれるよう頑張る」と、それ以降も勝利のためにバットを振り続ける決意だ。

 今後は「これからゆっくり考える。就職活動でもしようかな」と笑わせた。もちろん「ドラゴンズにかかわり続けたい」。野球から離れるつもりはない。今はただ「たくさんの人やファンに支えられてきた20年。みなさんにお礼が言いたい」。27日は鹿児島から両親や恩師の塩瀬重雄・元鹿児島商野球部監督らも招き、心のこもったパフォーマンスを披露する。

 

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