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連休最終日の20日は気分転換を兼ねて夕張市に行きました。 当初は温泉にも行こうと考えましたが疲労蓄積のためか、はたまた前日、2時まで起きていたためか寝坊してしまい断念しました。 それで予定変更しましてゆっくり行くことにしたのです。 途中、警察が車の速度違反取り締まりもしていましたし。 夕張ではビックモロ−さんを訪問。 夕張メロンを購入しました。 諸澤社長からカットメロンをサ−ビスしていただきました。 やはり夕張メロンは他種類に比べ果実の柔らかさ、濃厚な甘みなど遥かに勝っております。 自宅用に購入した夕張メロンも先程食べました。 2分の1を一気に。 本当は1個丸ごと食べたかったのですがお腹が冷えるといけないので明日の朝にします。 今年の北海道は寒いくらいの気候ですが夕張メロンを食べると「夏が来た〜」と感じる次第です。 皆様もよろしければビックモロ−さんを訪問してみて下さい。 住所は夕張市清水沢清栄町109番地です。 諸澤社長の目利きは超一流ですから。 通信販売も行っておりますのでお電話(0123-59-7770)にてお問い合わせ下さい。(HPは現在ございませんので注意されて下さい) 以上、宣伝も兼ねさせていただきました。
7/1に夕張メロンについて記しました。 日曜日はその夕張メロン購入のため夕張市に行きました。 私が住む札幌市から夕張市までは距離にしますと約75キロです。 車で行くとのんびり走って2時間弱です。(少しのんびりし過ぎかもしれません。) 購入先はもちろんモロ−師範のお店です。 「ビックモロ−」という夕張メロン販売店にしては洋風なネ−ミングです。
私はお中元用、知人からの購入依頼そして自分用に購入してきます。 見ているだけで楽しくなるような夕張メロンがたくさん陳列されています。
さかなくんみたいに大声で騒ぎたくなります。でも他のお客さんに迷惑がかかるので我慢です。 希望の夕張メロンを選ぶ前にモロ−師範は冷たいカットメロンをご馳走してくれました。
それはそれは甘いメロンでした。 「ビックモロ−」さんは決して場所に恵まれていません。(目立つところに位置していないという意味です。) しかし毎年、全国からたくさんの常連客が夕張メロンを求めて集います。もちろんモロ−師範に会うためでもあります。 モロ−師範が市場で仕入れてきた夕張メロンは良質のものばかりです。 何でも夕張市でしか入手出来ないメロンばかりを仕入れるそうです。 私は安心して東京の知人に送ることが出来ます。 おまけにモロ−師範はとてつもないサ−ビスをしてくれます。(儲けがあるのか心配です。) メロン以外にモロ−師範の お父上が漬けられた「夕張メロン漬物」までサ−ビスして下さいました。暖かい白米にぴったり合います。ちょっぴり辛い味は漬物好きの私にとって最高のプレゼントでした。
モロ−師範が接客中はお店の周囲を徘徊します。 なぜかクワガタが飼育されています。夜になるとクワガタがお店の灯りに集合するそうです。
そして忘れてはいけないのがアイドル犬(?)のメロンちゃん です。 私は必ず犬に吼えられたり向かってこられる性質の持ち主ですがメロンちゃん はそんなことはしません。
私は安心して頭をなでてきました。 夕張の濃い自然の空気も味わうことが出来た楽しい日曜日でした。
私は夏が苦手です。理由は簡単です。 暑いからです。 寒冷地で生まれ育ちましたので体質が暑さに弱いのです。 先日、上京しましたが暑さで歩くたび疲労度がアップしていきました。我ながら「よくも11年間、東京で生活していたものだなあ」と考えております。 私は夏が苦手でも嫌いではありません。その理由はたった一つです。 美味しい果物を食べることが出来るからです。 その代表は夕張メロンです。 以前にも触れましたがあの口に含んだ時の濃厚な甘さは格別です。 昨日、その夕張メロンが会社に届きました。 送って下さったのは“モロ−師範”です。私へのプレゼントだそうです。
(右のメロンはちょうど食べごろです。色で判断します。)
“モロ−師範”は夕張市でメロン他の果物、野菜を販売されておられます。 そしてもう一つ別の顔もあります。 それは・・・・・、極真空手の有段者です。 あと数年で50歳にもなろうというのに今でも激しい稽古を欠かしません。 私は約10年前に“モロ−師範”と知り合いました。きっかけは私がお店に夕張メロンを買いに行ったことなのですが、“モロ−師範”が極真空手をされていることですっかり意気投合してしまいました。 私も昔、道場に通っていたことがあるのです。 以来、私を弟のように可愛がってくれています。時にはやんちゃな(最近はおとなしくなりました)私を静かにやんわりとたしなめてくれます。 私のつまらない武勇伝(?)を熱心に聞いてもくれます。(電車内でマナ−の悪い行為をする若者を脅したりなど・・・・・。)“モロ−師範”があまりにも楽しそうに聞いて下さるので、つい私も話していましたが・・・・・。 でも私の妻は「モロ−師範は貴方の話を聞いて本当は呆れているのよ。」と言って私を叱ります。 実は、私が“モロ−師範”と会うのは年に数回なのです。でもメ−ルでのやりとりや電話での会話は頻繁にしていますのでいつも会っている錯覚に陥ってしまいます。 “モロ−師範”は、本当に裏表の無い安心してお付き合い出来る方です。 私は毎年、お世話になっている方へのお中元は“モロ−師範”の夕張メロンと決めています。 それは高品質のメロンしか置かないからです。それでいて値段も手ごろです。 通信販売もされていますので是非、ご利用下さい。(宣伝になってしまいましたが。) 電話番号は、0123-59-7770です。もちろん私のことを話されても結構です。 親切に対応して下さるでしょう。 ちなみに店名はビックモロ−です。(HPもあります。) 私は来週、お伺いする予定です。 くだらない話に付き合ってくれるか心配ではありますが。
(完熟です。甘いですよ〜。)
(保存は、種などを除きサランラップで包み冷蔵庫に入れ2時間冷やします。)
北海道新聞さんによりますと夕張市長選挙に出馬意欲をよせている人は市外在住者とのことです。「存続の危機に立たされている夕張を何としてでも再建したい。」という強い意志の持ち主なら夕張市民も歓迎するでしょう。
しかしどうも動機があいまいというか不純という人も交ざっており不快な気分にさせられます。 そんな夕張市を代表する名産品といえば当然、夕張メロンです。 この度実施された日本経済新聞社・「地域ブランド調査」にて夕張メロンは何と日本一の栄冠に輝きました。 この調査はインタ−ネットを通じ、知名度・購入の有無等6項目の質問をしてその実力を分析した内容となっております。ちなみに2位は魚沼産コシヒカリ。3位は長崎カステラでした。 北海道民にとっては身近な果物である夕張メロンは本州では高級品の代名詞だそうです。私が東京在住の時はあまり意識しておりませんでしたが夕張メロンは高級百貨店にしか陳列されていないとのことです。 私は敬愛する空手家・モロ−師範が夕張にてメロン販売を生業とされている関係上、夏になると美味しい夕張メロンをふんだんに食べることが出来るのです。 一般にメロンは甘い果物ではあります。夕張メロンも当然ながらスプ−ンで果肉をすくい口に含んだ瞬間、舌に強い甘さを感じます。しかし驚くのは食べ終わった後も蜂蜜・砂糖・ケ−キのクリ−ムの甘さとも異なる甘味が口全体に残るのが夕張メロンの特徴です。 もちろん夕張メロンは札幌でも購入できるのですがモロ−師範の会社(ビックモロ−)では安価で良質な夕張メロンのみ販売していますから私は夏になると何度か足を運びます。 私は財政破綻にあえぐ夕張市こそ地産地商に留まることなく夕張メロンを全国に広めるべきだと思います。 いきなり話題を変えてしまいますが鹿児島には芋焼酎・黒豚・さつま揚げという全国区の名産品があります。これらの名産品は鹿児島県内でのみならず全国至る地域にて販売されています。もちろん保存期間が長いですとか流通の問題もありますが夕張もメロンを加工するといった更なる工夫が必要かと思います。(夕張メロンのピュアゼリ−やキャラメルもありますが・・・・・・。)夕張メロンアイスなんてもっと“売り”になると思いますよ。 そういえば鹿児島の芋焼酎は元来、戦争(いくさ)で傷ついた兵士(サムライ)の怪我を消毒するために製造されていたのだと聞いたことがあります。何かのきっかけで嗜好品へと変貌を遂げたのでしょうね。 かつて薩摩藩は沖縄のサトウキビを他藩に売り資金を蓄え産業振興・教育に充てていたとのことです。外様の悲哀を骨の髄まであじわったからこそ臥薪嘗胆で来るべき時に備えていたのでしょう。 夕張市も周囲の温かい手助けを頂きつつ薩摩藩の様に復活して地域再生の先駆けになってほしいですね。 「幸せの黄色いハンカチ」は永遠の名作です。
人間誰しも口だけでは何とでも言えるものです。どんな美辞麗句を並べ立ても、それが困難なことであればある程いざ行動に移すとなると殆どの人はしり込みしてしまうものです。
モロ−師範は47歳という武道家としての全盛期を過ぎているにも拘らずあえて自ら死を掛けて“大義名分”のため一昨日、闘いの場に躍り出たのであります。 舞台準備が終わるとすぐに闘争心をかき立てる太鼓の音を背にし“約束組手”が始まりました。この“約束組手”とは一般には事前に双方で打合せをするものです。 実際には突き蹴りを身体に当てなかったり、当てる場合は力を抜いて攻撃するというのが常であります。 「始め!」の合図で組手が始まったその直後、私は寒さを忘れる程の衝撃を受けました。 モロ−師範と相手の方は手加減無しのまさに「ガチンコ」組手をしているのです。 皮膚と筋肉を同時に突き刺す“ビシッ”・“ドスッ”という音が同時に鳴るのです。あまりにも激しい組手に観衆の中には悲鳴をあげている人もおりました。 私は内心、「これは組手ではないケンカだ!」と叫び興奮は頂点に達しました。 TVで放送される格闘技番組でよく見受けられる「ワンツウパンチ→ロ−キック」攻撃でポイントを取る格闘技ショ−とは次元が異なる内容です。 これぞまさしくかつて地上最強の異名を欲しいままにした極真空手の真の姿です。 組手が終了しましたが観衆の興奮は冷めることはありませんでした。 その後すぐに「氷柱3段割り」(ひじによる)の演武に移りました。分厚い氷を3個、まとめて割る演武です。 実は後で知ったのですがモロ−師範の身体はは組手の最中に異常をきたしておりました。左肩を負傷し左手が上がらなくなったのです。モロ−師範は「やってしまった。鎖骨が折れているな」と直感しました。同時に最悪の場面を想像しました。 「氷柱3段割り」失敗の場面です。 試し割りは割る方の腕の力だけでは成功しないのです。腰をため、もう一方の腕で身体全体のバランスをとり力を集中させることが不可欠です。 モロ−師範は「左手が動かない。どうしたらいいんだ。もう駄目だ。」と心の中で叫びました。 もう、すぐに分厚い氷を割らなくてはいけません。 その時、一瞬ですがモロ−師範の脳裏に師匠である高木薫師範の稽古が浮かびました。 高木薫師範は数年前にお亡くなりになりましたが北海道に極真空手を根付かせた最大の功労者です。文字通り鍛え上げた身体のみで単身、縁もゆかりもない北海道に渡ってこられました。 それは競技空手ではなく「命を捨てる極限の空手」です。ひょっとしたら非科学的な稽古であったかもしれません。 マイナス20度を越す大雪山で上半身裸になり30分以上も不動立ちで寒さに耐える耐寒稽古。 10mの長さの火の上を裸足で歩いて渡る火渡りの稽古。 お互いがぶっ倒れるまで続ける20人組手。 度胸をつけるためススキノのど真ん中で歌を歌ったり、時にはチンピラ相手の喧嘩をしたり。 しかし、当時は皆、高木薫師範の様になりたくて必死になって耐えました。 すると不思議とモロ−師範の頭はからっぽになり目の前の分厚い氷の中心部分しか見えなくなりました。 観衆の姿は見えません。観衆の声も聞こえません。 身体の余分な力も抜けています。 自然と動かなかった左手が上がりました。その瞬間、目にも見えないスピ−ドで右のひじがぶ厚い氷に振り下ろされました。 氷は3個ともきれいに割れました。いえ、割れるというよりも“切れる”という感じでした。 ほんの少しの静寂の後、嵐の様な拍手喝さいが会場を包み込みました。 我に返ったモロ−師範は激痛に耐えながら寒空を見上げ心の中で噛みしめる様につぶやきました。「高木師範ありがとうございました。高木道場の名誉を死守しました。押忍。」 私は北の大地で武人(サムライ)に逢いました。 普段は柔和で朴訥としたモロ−師範がサムライになったのです。 人間、不断の努力と忍耐そして気力があれば不可能などないのだということをモロ−師範は身をもって教えてくれました。 遠く海外から札幌雪まつりを楽しむため来札した観光客の皆さんの心にも北の武人(サムラ イ)の勇姿は目に焼きついたことでしょう。 完 明日は130年前に西南戦争が始まった日です。薩摩軍は今夜、肉親と最後の別れをしたのでしょうね。 写真はモロ−師範の勇姿です。この直後、氷が割れました。
昨夜は何年か振りに「札幌雪まつり」大通り会場に足を運びました。
普段、雪に囲まれた不便な生活をしていると“もう雪なんか見たくない”という気持ちになるのであえて雪祭りには行きません。 私の周囲の方も同様です。 しかし今年は私の敬愛するモロ−師範(夕張在住)が何と、雪まつりのフィナ−レを飾る催しに参加されると聞き、寒空の中を出かけました。 昨日の夜の寒さは今年一番だったかもしれません。 寒さに強い私ですが何枚もシャツ・フリ−スを着込み、だめ押しでアイスホッケ−観戦用のロングコ−トを着用しました。 しかし、じっと動かない状態が数分続くと体が震えてきました。(一応、カイロも体に貼り付けました。) モロ−師範は現在、お仕事のかたわら、極真空手・高木道場にて指導員もされております。 空手歴30年以上のキャリアを持つ武道家です。その空手はスポ−ツ空手とは大きく異なりまさに“一撃必殺”のための空手です。 高木道場では今年の雪まつりりで真の武道空手を披露するべく昨年から激しい稽古を積んで参りました。特にモロ−師範は昨日の演武に文字通り「生命」をかけていました。 正月を返上し、仕事そして家族を犠牲にして朝から晩まで空手漬けの毎日でした。 演武の前日、モロ−師範から私の携帯電話にメ−ルが届きました。それは文面からも鬼気迫るサムライ魂を感じる内容でした。 モロ−師範曰く。「今度の演武は自分の生き様を身体で表現します。それだけではなく多くの観衆の注目を浴びるのでぶざまな内容は許されません。高木道場そして空手が笑いものになる様な事態は自分を育ててくれた師範、共に苦しい稽古に耐えてきた友人そしてこれから高木道場を背負って立つ若い後輩に顔向けが出来ません。もし自分がぶざまな演武をしてしまったら自分は腹を切ります。」 何と薩摩隼人に負けずと劣らぬ激しい決意でありましょう。 モロ−師範は純粋で人が良すぎる性格ではあるが自分が吐いた言葉には必ず責任を持つ人物であります。私はモロ−師範のそんな人柄が大好きであるが内心、不安で一杯でした。 モロ−師範には家族がありお子さんもまだ小さい。家族を残して切腹する様なことにでもなれば残された家族はどうなるのか・・・。それにモロ−師範が選んでくれた私の大好物の「夕張メロン」を食べることが出来なくなる・・・。 そんな不安な気持ちをかかえ、私は大通り8丁目会場に到着しました。 舞台は彦根城をモデルに作られた巨大な雪像の下にあり、さながら敵を迎え撃つにふさわしい様相を呈していました。 時刻は20時近くになっていたため寒さがますます厳しくなっていたが、雪まつりフィナ−レのイベント目当ての観衆の数は増えていきました。 イベントに参加したのは合計10チ−ムで高木道場の出番は3番目でした。 2番目の“よさこい”らしきチ−ムの踊りが終わり高木道場の皆さんが登場しましたが全員空手着しか身につけていないのです。おまけに裸足なのです。防寒靴を履いている私ですら寒さで足が痛かったのですが高木道場の皆さんは表情も変えず黙々と準備を進めていました。 私もかつて少しだけ極真空手をやっておりましたので少しずつ血が騒いできました。 モロ−師範は「氷柱3段割り」の演武に挑戦するのです。私の経験では氷柱は気温が高めの室内ですと比較的割り易いのですが気温が低い場所ではより硬くなり割りづらくなるのです。 気温がその成否を左右しますので、過去に氷柱割りに失敗し骨折した空手家の数は数えられないくらい多いのです。 以下、次回に続きます。 写真は演武会場になった彦根城の雪像です。 │一覧 │ 一番上に戻る │ |