職場の心理学 [138]

「人物本位採用」の本音と建て前

 
 
学生の採用基準は学歴よりも人物本位で、先行き不透明のビジネスモデルに
果敢に挑戦する異能・異才タイプを、と言われるが、現実には、
会社に貢献できる資質を見抜くことは至難の業である。
 
 
ジャーナリスト
溝上憲文 = 文
text by Norifumi Mizoue
みぞうえ・のりふみ●
1958年、鹿児島県生まれ。明治大学政経学部卒業。経済誌記者などを経て独立。経営、ビジネス、人事、賃金、年金問題を中心テーマとして活躍中。著書に『年金革命』『隣りの成果主義』などがある。
高橋常政 = イラストレーション
illustration by Tsunemasa Takahashi
 
 

学歴と経営システムは
密接に結びついている

 学歴・学校歴と採用や出世の関係は時代とともにどう変化しているのか。このテーマを長らく関心を持って取材しているが近年、徐々に変質しつつある。もちろん企業は学歴のみで採用するわけではないが、求める人材像の一要素として学歴が介在しているのは間違いない。さらにマクロ的に観察すれば、学歴と企業の経営システムは密接に結びついている。戦後の高成長を支えた日本型経営は今、批判にさらされているが、この日本型経営と学歴は抜きがたい関係にあった。

 日本型経営とは、いうまでもなく終身雇用、年功賃金、それに労使一体となった集団的行動方式である。つくれば売れるといった労働集約型の大量生産時代にあっては、できるだけ多くの人材を採用し、社宅・寮をあてがい家族手当などの法定外福利手当を手厚くして、年功賃金によって会社に囲い込む。後顧の憂いなく働ける環境を提供することで得られる忠誠心や帰属意識をてこに、上は社長から下は末端の製造現場の社員までが一体となって社業に邁進する。

 この日本型経営時代において求められた人材像とは、一定の知識と技能を持った組織に忠実な“兵隊”として動くタイプであり、突出した個性や能力を持つ人間は組織を攪乱する存在として排除された。具体的には実業系の高卒技能者を大量に採用し、OJTによって熟練工として育成。一方、有名大卒の学生を幹部候補生として採用し、組織の秩序維持に忠実な指揮・命令管理者として育成した。その結果、採用試験では高卒者には一定の技能を求めるが、大卒者にはどの大学出身なのかという学校歴が重視され、それは昇進にも深く結びついていた。

 事実、戦後の日本企業は年功による「在籍年数別管理」と学歴による「学歴身分集団別管理」の二つによって昇進ルールを築き上げてきた。学歴身分集団別管理とは、その名の通り学歴によって勤務する部署や出世のスピードを決めるやり方である。大学出は中・高卒者に比べて、より早く出世の階段を上り、また同じ大学出であっても有名大学卒は、さらに早く出世する仕組みである。高度成長期は「あの人は出世が早い。東大出だから」とよくいわれたものである。当時の採用事情を知る大手電機メーカーの人事部長もこう証言する。

「当社も東大卒など有名大学卒を数多く採用しましたが、1960年代までは採用した学生に関しては、学歴と会社との相関関係があるとよくいわれました。とにかく大学名だけを見て採用すれば間違いはないというのが多くの企業の常識でした。でも70年代以降になると学生数も増え、有名大学卒が必ずしも会社での成績がいいという時代ではなくなりましたね」

 当時は日本型経営と並んで人材教育投資は世界からも高く評価されていた。逆にいえば企業自身があまり大学教育に多くを期待してはおらず、むしろ余計なことを教えてもらわないほうがよかった。入社後に時間とお金をかけてじっくりと育成し、自社の色に染め上げればそれで十分と考えていた。それならなぜ大学名にこだわるのか。いうまでもなく大学には“入学試験”をクリアしたという潜在的に質の高い労働者の選別機能しか求めていなかったからである。

学歴を超える採用基準を見出せるか

 しかし、現在は周知のように経営環境が激変し、日本型経営は落日の運命にある。社員を大量に囲い込むだけの企業体力を失い、リストラを断行し、賃金も終身決済型から短期決済型の成果主義に移行しつつある。さらに会社が求める人材像も従来の管理・調整能力型ではなく、最近は先行き不透明のビジネスモデルに果敢に挑戦する“異能・異才”タイプが好まれ、中途採用にも積極的に乗り出している。だが、日本型経営と密接に結びついていた学歴重視の姿勢も変わったのだろうか。

 多くの企業は学歴より「人物本位」を掲げる。しかし、現実には採用における学歴重視の姿勢は今も残っている。入学偏差値の高い大学ほど企業の需要は高くなり、偏差値が低くなるにともない需要も低下するのが実態である。業界中位の半導体関連メーカーの人事担当者は偏差値上位大学の学生を確保しなければいけない理由をこう語る。

「人事の立場から言えば、やっぱり偏差値の高い大学の学生をたくさんとったかどうかで評価されてしまうし、これはある意味つらいところでもあるんです。たとえば、今年は東大からの採用者が一人もいないとなると、何をやってるんだということになる。人事としてはいい学校からたくさん来てもらいましたと思われなくてはいけないし、現場の事業部、役員を含めて社内にアピールする必要がある。大学でいえば旧帝大、早稲田、慶応、それから一橋、東工大ですね」

 同社は、もちろんすべての採用者を一流大学で固めるつもりはない。景気が回復し、一定規模の学生を確保しようとすれば一流大学以外の大学からも採用しなければならない。関西地区に地盤を置く業界中位の建設会社の人事担当者はこう語る。

「うちは古いかもしれませんが、今も基本的には大学ごとにA、B、Cの3段階のグループに分けて採用しています。Aグループは関東なら東大、一橋、早稲田、慶応、それに東工大。関西なら京都、大阪、神戸大。Bグループはそれ以外の6大学に加えて、青学、上智、中央大学、理系では東京理科大、東京電機大、芝浦工業大学クラス。関西では同志社、関西学院大、立命館大学クラスでしょう。Cグループはそれ以外の大学ということになります。A〜Cごとに一定数を確保するように努力していますが、業界最大手の企業であれば、東大、京大クラスがずらっと並ぶんでしょうが、うちには選べるほど来ません。ですから、Aグループの学生が応募すれば、ぜひ採用したいという思いで面接しています。Bグループは、いい学生がいたらとろうかという感じです。Cグループはよほど傑出した学生じゃないととりません。この分け方は基本的に昔も今も変わっていません」

 この選別方式では、まずA、Bグループの順に優先的に一定数を確保する。そして残りの数をCグループから選別することで、表面的にはあらゆる大学からまんべんなく採用者が出る結果となる。表向きは「当社は学歴に関係なく、人物本位であらゆる大学から採用しています」と言っても通じることになる。

 もちろんかつてのように大学名だけで選んでいるわけではない。求める人材像が大きく変わったことは人事担当者も十分わかっている。しかし、現実問題として学歴に関係なく、本人が会社に貢献できる資質があるかどうかを見抜くことは至難の業である。商社系企業の人事担当者はジレンマを抱えながらもこう言い切る。

「昔と違いどんな大学でも応募できるようになっているが、実際には就職サイトに登録する学生が数万人単位で、内定予定数をはるかに上回る人数だし、絞り込まないといけないのが現実です。しかし、面接で見極めるにしても、せいぜい3回か4回、延べ2〜3時間でその人を正しく評価するのは無理です。そうなると結局、どんな学校を出たの、ということになる。確かに大学は4年前の学力の証しでしかないし、偏差値主義的教育には批判があるし、個人的にはよくないとも思っています。しかし、それも大きな指標の一つだし、採用にそれを使わない手はないということです。学歴で採用するのはどうかという批判に対し、あえて学歴を見てどこが悪いのかと言いたい。そのために皆勉強して、努力して得た証しではないですか」

「終身競争社会」の中で生き残るには

 しかし、以前と明らかに変化しているのは、学歴重視の姿勢は残りながらも、できるだけ本人の能力を見極めようとしている点である。精密機械メーカーの人事担当者は「有名大学であっても問題解決能力がなければ落とします。当社では職種別採用をしていますが、『自分でやりたいことをやって結果を出した経験がある?』と必ず聞いて、自分の能力をどう使ったかということをチェックしています。そのうえで『当社で何をやりたいのか、どういうふうにやりたいのか、また、そのために当社の環境をどう使うのか』といった点を面接でしつこく聞いてます」と語る。

 また、電機メーカーの人事担当者はコミュニケーション力を重視していると言う。

「会話のやりとりで相手を判断する。たとえば、こっちが聞いたことに対して、答えをちゃんと返してくれるかどうかは基本。聞いてもいないのに、自分を売り込むために喋りだす人、冗長に話す人がいますが、いらないことは喋ってほしくありません。大事なのは潔いというか、ポイントを的確に突いた答えを返してくれ、テンポよく楽しく会話ができる人です。的が外れた話をする学生は即アウトです」

 機械メーカーの人事担当者は学歴は指標としながらも東大、一橋、早稲田、慶応だけでなく、それ以外の大学の学生でも優秀だと思えば迷わず採用すると言い切る。

「一次試験の集団面接で東一早慶や立教、明治、青山学院、中央が並んだ場合、東大や早慶を落とし、その他の学生だけが二次試験に進むこともあります。実際に東大の学生が10人来ても一人しか採用されない年もあります。なぜなら、東大の学生には悪いが、東大の中でもすごく優秀な学生は国家公務員を目指すでしょうし、あるいは民間でやろうという学生は、銀行、自動車などの業界のトップに行くでしょうから。昔と違って学生の質が落ちているということもありますが、採用窓口は必ずしも偏差値上位に限定しないで間口を広くして、これはと思う人材を探すようにしています」

 特定大学出身者に偏る採用では必要とする人材は発掘できないために、企業の人事部も必死なのである。

 それでは学歴は入社後の出世にどう影響するのだろうか。商社系企業の人事担当者は「学歴と出世は基本的に関係ない」と言下に否定する。

「学歴は採用の際には、ほかにこれといった指標がないから見ていますが、入社したら学歴を指標にしなくても、日々の仕事で評価できるわけです。学歴があっても結果を出さない社員は出世もしませんし、東大卒もしかりです。これはどこの会社もはっきりしていると思います。また、当社はとくに学閥もありません。たとえば慶応出身者が多いということはありませんし、第一、今の世の中では学歴で出世できるほど甘くはありません」

 ただし、精密機械メーカーの人事担当者は「人事としては学歴だけで昇進を左右するということはまったくありません。ただし、カンパニーや各部門では大学の後輩、先輩関係で昇進させたいと言ってきたり、あるいは古い世代の本部長クラスが『彼は東大だからそろそろ課長に』といった話があるのは否定しませんが」と言う。学閥や同窓意識が多少は残っているのだろうが、一流大学出身者を会社ぐるみで昇進させるという学歴と出世の相関関係は以前に比べて消えつつあるようだ。

 学歴・学校歴が依然として企業の採用で重視されているのは事実である。しかし、高成長時代に比べて、必ずしも一流大学出身者が一流企業に入ることを保証する時代ではなくなっているのも確かである。厳しい大学入学試験をクリアし卒業しても、再び企業の入社試験において競争を強いられることになる。そこではあらゆる角度から挫折を含めた経験・能力を試され、当然ながら以前のように大学生活を漫然と過ごすことも許されなくなる。

 まして入社後は、はるかに厳しい競争にさらされる。成果主義の名の下で同期、後輩、先輩を含めた競争に勝ち抜くことでしか、出世や高い報酬を獲得することはできない。日本型経営の終焉は単に学歴の獲得競争だけでは終わることのない“終身競争社会”時代の到来をもたらしている。

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