2009-08-26 10:24:04

SAMの欠陥 6 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

「無い」が有るを考える。哲学的過ぎて分からない。そうであれば、これならどうだろう。「想像出来ない」状態を「想像」する。いくら、定形発達であっても、此も出来ないだろう。ところが、定形発達であれば、概念化が出来る。或いは、「その事は置いといて」と、思考上の棚上げが出来る。だから、私が、今まで掲げた命題を、「出来る」と言える人は、定形発達。つまり、「想像出来ない」という状態を、此処では深く考えず置いて於いて、「想像する」は出来る。だから、「想像出来ない」を「想像する」だって、出来るはず。こう言いきる人は、私が、言わんとする所を、理解出来ないから、これ以上読むのは無駄だ。私が説く命題について、「無」とは何か。「想像」とは何か。と、本質から離れても尚、その言葉の、厳密な意味を考え出す事になった人は、なかなか見込みがある。横道にそれたが、つまり、「SAMが無い自閉症」と、「SAMがある定形発達」とでは、片や生後18ヶ月の状態で停止し、動物と同じ状態の人間と、生後22ヶ月で「自己」を持ち、「ヒト」となった人間の差があり、さらに言えば、私は、言葉を話す動物(Animal)なのだ。インコや、チンパンジーのハナコと変わらないのだ。人間の形をし、言葉を話すけれども、ごく一般的な人間では無い、と言うことなのだ。だから、チンパンジーに、一生懸命、友達とのコミュニケーションの仕方を仕込んでも、表面的には、その時だけは、上手くやるだろう。しかし、本人が社会に出て行った時、同じ事の繰り返しは出来ても、所詮チンパンジー。コミュニケーションを、そんな上手い具合に出来ないのだ。テクニックの問題だと考える、その考え方の根本が間違っている。だからこそ、本物の、生活実態のある経験、実績、ノウハウが必要なのだ。ところが、集まるのは、なんちゃってアスペと、クソチンコ擬きばかり。世の中上手く行かないな。


2008/1/17(木)のブログ    復元記事

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2009-08-25 09:50:42

SAMの欠陥 5 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

それでは、SAM迄解明されていながら、何故その先が進まないか。進まない所か、SAM迄行き着く人が少ないのか。その手掛かりは次にある。此処に「先天的に目が見えない」人が居ると考えて下さい。この人は、視神経が無いので、光も感じない。では、あなたは、この人の状態を「想像」してみて下さい。あなたは、本当に盲目の人の状態を「想像」出来ましたか?それは、単純に、見える現在の状態から「見える」部分を無くした状態では無いでしょうか。「見える」人が「見えなくなった」状態は、簡単に想像出来ます。しかし、生まれつき「見える、見えない」とは無関係の「無」の状態を、あなたは、本当に「想像」出来ると思いますか?実は、此こそが、哲学的領域まで踏み込んだ、「自閉症を想像する」と言うことの、手掛かりなのです。今、その見えない人の「無」の状態を想像する。「無」が有る事を「想像」する。この、哲学的命題を理解出来るでしょうか。この事自体、大変難しい事ですが、「自閉症」とは、現実の事です。「SAM」の完備した、クソチンコが、あたかも「SAM」が無い世界を見たような、出任せを言うと、「SAM」の完備した、脳天気な、知性の低い教授連中は安心するのです。だから、何時まで経っても、クソチンコは消えない。それ所か、貴重な存在、自閉症でありながら、定形発達の考え方をする。それも、アホな教授達が考えるような、低レベルの話を、その通り発言してくれる。こんな便利な存在はありません。定形発達の側から、「無い、が有る事を想像する」事が、論理的に不可能ならば、どうしたら良いのか。では、自閉症の側から考えて見ると、「無い物が、有るかの如く想像する」これも、また、残念ながら論理的に不可能なのです。誰一人、「定形発達に生まれて、自閉症になる」或いは「自閉症から定形発達になる」と言う体験をした人は、居ないのです。(村上由美は、世界で唯一治った) だから、日本のバカ教授連中以外の、海外の研究者達は、軒並み謙虚です。それだけ、彼我のレベルの差は、大きいのです。


2008/1/16(水)のブログ    復元記事

2009-08-24 10:57:08

SAMの欠陥 4 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

SAMが無い。つまり、「自己」を明確に意識出来ない。これは何から分かるが。アスペルガー症候群の子供の特徴として、「ハイ」と言わない、という特徴がある。「ハイと言わない」というのは、「ハイ」という言葉を使わないという事ではない。

「どうして宿題してこなかったの?忘れたの?」(教師)

「ううぅん」

「昨日寝ちゃったの?」

「ううぅん」

「やりたくなかったの?」

「ううぅん」

「どーしたの!はっきりしなさい!」(堪忍袋の緒が切れた教師)

「わかんない」

「わかんないじゃ、ないでしょ!どーしたの!!」

これは、知能の低い子供の返答ではなく、殊更勉強が出来、頭が良い子供なのに、妙に幼ぶって、シラを切るので、教師もブチ切れたのだ。

これは、宿題をしない理由を、概念化して、纏められない事も原因の一つだが、最も重要なのは、「自己」を見つめられない。自分の状態をモニター出来ない。つまり、「SAMの欠陥」に依る物である。大人になると、「あまのじゃく」とされる物だが、自分の内部にある「気持ち」と、命名されているモノは、非常に複雑なモノで、概念化が出来ないが故に、「楽しかった」だの「嫌だった」だの「普通になりたい」だの「帰りたい」だの、簡単な言葉で言い表せない。逆に言えば、言葉に表せない状態を、表しているのだから、素直と言えば素直なのだが、SAMが完備している、定形発達の「ヒト」が、間違い無く同じ表現を取るのに、それらと同じ表現が出来ない。つまり、SAMの欠陥で、自分の状態を、きちんとモニター出来ない事が、「あまのじゃく」の発生に繋がる。だから、答えを悩む子供に、通り一遍の回答を求めても、出来ないし、期待に応えた答えを、導き出せないのだ。「どーして、どーして」と親は問い詰めるが、もう一度、その質問の意味をよく考えて欲しい。親、又は教師は、その時、本当の理由が知りたいのか。或いは、その時の当然のやりとり「コミュニケーション」としてのやりとり、自分が望む、子供らしい答えを望んでいるのか、一度考えて欲しい。実は、後者であることが、ほとんどなのではないか。しかし、自閉症の子供は、自分の内部にある「気持ち」というモノを、モニター出来ないから、しょうがなく、その時の物理的状況、例えば、「あの時、車がビューって来たから」とか、「犬が吠えたから」とか、「太陽が眩しくて」とか、大人が求める言葉と、全く違う事を言い出す。大体の大人は、それでキレて、「他人のせいにするんじゃない!あんたはいつも、ヒトのせいにする、卑怯者だ!」と怒鳴ると、「オレは卑怯者だ」と、50年言い続けることになるのだ。自閉症の子供は、自分の気持ちをモニター出来ない。その事が分かっていれば、子供との関係も、少しは上手く行くかもしれない。子供の頃から「つらく哀しい」かった、クソチンコは、子供の頃から普通だったのだ。


2008/1/15(火)のブログ    復元記事

2009-08-23 12:40:22

小休止 (復元記事)

テーマ:社会生活

SAMは自閉症のすべてであり、その根幹を為すモノである。一気にSAMについて書き込もうかと思ったが、昨日また素晴らしい映画を見たので、ちょっとお休み。映画については、過去に何度か書いた。アメリカの映画は、どうしてこんなに奥が深いのだろうか。本当に感心する。日本の映画、テレビドラマ、ドキュメンタリーの作りのちゃちさに比べると、日本のメディアの底の浅さに嫌になる。昔、初めて痴呆にメスを入れたと、話題になった「花いちもんめ」と言う作品があったが、これもアルツハイマーと脳血管性痴呆とが混ざっていた。「光とともに」というドラマも、あらゆるエピソードを、1人のキャラクターに押し込めて、解説ドラマになっているから、結局そんな人間が居なくなってしまう。しかし、アメリカの優れた映画は、「障害の紹介」に目的がある訳ではなく、「其所に居る人物」の物語を描いている。「その人物」をリアルに描こうとすればする程、障害を明確な形に描き出す事になる。その事で、障害も考える事になる。参考になるか分かりませんが、いくつかの映画を紹介します。

「RADIO(僕はラジオ)」☆☆

「ジュラシックボーイ」

「ハウスオブカード(心の扉)」

「シザーハンズ」


今日のこの文章で物足りない人は、もう一度こちらを読み返して見て下さい。

http://3rd.geocities.jp/horidasi1147/totu2.html

http://3rd.geocities.jp/horidasi1147/totu1.html


2008/1/14(月)のブログ    復元記事

2009-08-22 10:21:32

SAMの欠陥 3 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

可愛い動物に、鏡を見せた事が有るだろうか。子犬でも、子猫でも、初めは鏡の裏に、何か居るのか不思議そうにする。明るい性格の子犬なら、相手になんとかじゃれつこうとする。人間にも同じ時期がある。人間の18ヶ月から22ヶ月は、SAMが発現する時期である。だから、18ヶ月以前に鏡を見せると、不思議がり、裏側に回って、誰かが居ないか確かめようとする。しかし、22ヶ月を過ぎた子供に、鏡を見せ、隙を見て鼻の頭に、赤い絵の具を付けると、すぐに自分の鼻の頭に、絵の具が付いた事を理解する。勿論、理解の表現は様々で、自分で取ろうとしたり、誰かに取ってもらおうとせがんだり、その反応は色々だ。(この部分が個性だね)22ヶ月を過ぎた子供は、SAMがあり、鏡に映った【自己】を、完全に理解している事が、この実績によって分かる。この18ヶ月から22ヶ月に完成する【自己意識】こそが、自閉症に無いモノである。しかし、この、幼い時期に【自己】が確立するせいで、多くの親が、混乱を起こすのも事実である。「昔は自閉症じゃなかったのに、3種混合ワクチン(アメリカの混合ワクチンの事。日本とは違う物)を打ってから、自閉症になった。だからワクチンが原因だ」「子供の時、40℃を越える熱を出した。それからおかしくなった」等、自閉症の子供を持つ親のほとんどが、DNAではなく、外的要因を原因に挙げ、それを強く信じていた。だから、今現在でもそうだが、様々な原因説が作られ、しかし、ほとんど時間と共に消えてゆく。《キレート剤による、体内金属排出療法は、アメリカの3種混合ワクチンに、極々微量の金属成分が入っていた事と、多くの親が、ワクチン接種時期から、子供が変わったという証言から、発案された原因説で、それが事実なら、既に、日本で、足柄鉱山流域、水俣、での、自閉症児大量発生があるはずだが、現実にその報告は無い。水俣病は、あくまで水銀による、【水俣病】であり、自閉症では無い》 DNAの謎が解明されつつある現代では、その原因がDNAに有る事を、疑問に持つ人は、少なくなったのではないだろうか。とにかく、幼児は、18ヶ月から22ヶ月にSAMを獲得し、自己を確立出来るかどうかが、自閉症かどうかの境目になるのだ。さらに、知能の遅れ(知能障害)は、また、別の問題として、付随して発生してると考えた方が正しいだろう。

自己の発生は、18ヶ月から22ヶ月にあるのであーーーーーーる。


2008/1/13(日)のブログ    復元記事

2009-08-21 10:50:14

SAMの欠陥 2 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

先天的に、SAMが形成されないのが、自閉症である。しかし、知能はある。周りの人間には、すべてSAMが備わっている。SAMが欠けている、自閉症の子供達は、見よう見まねで、SAMに変わる物を身に付ける。私はこの事を、便宜上「疑似SAM」と呼んでいる。尤も、そう呼んでいるのは、私達夫婦だけで、さらに成長した自閉症が、この「疑似SAM」を獲得する様について、述べている書物は見たことが無い。残念ながら、自閉症とSAMについては、あくまで10才位迄の子供を、対象とした研究結果だけで、さらに成長した大人については、全く研究報告が無い。だから、「疑似SAM」については、学問的裏付けが無いのだが、現実に私達夫婦は、そのようなモノを持っている。そうしか言えない。その前に、SAMについて、もう少し簡単な、分かり易い説明をしよう。それは、明日じっくりと。


2008/1/12(土)のブログ    復元記事

2009-08-20 17:43:41

SAMの欠陥 1 (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

私は、SAMの欠陥と表現しているが、厳密に言えば、有るか無いかの世界なので、「無い」と言う表現になる。但し、人間には知恵があるし、人間として生まれた以上、SAMが有る事が基本条件であり、無条件でSAMが有ることを求められる。その為、非常に幼いときから、知能で擬似的にSAMを作り上げる。例えば、他の人間が、こちらを向いていると、「誰かが見ている」と「知識」として、憶えるのである。「ヒト」であるならば、そんな事は教えられる迄もなく、無意識下で理解しているのである。

ところが、自閉症のグループは、知能を用いて理解しなければならない。「アスペルガー症候群」であれば、知能が高いから、何れ知識として、社会生活の常識として憶える。「知能が低い自閉症」であれば、アスペルガー症候群に比べ、憶えるのが遅くなる。こう考えれば、知能の高い、低い、時間がかかる、掛からないの区別だけで、対応する方法としては、自閉症もアスペルガー症候群も、全く同じで有る事が、分かると思う。だから、我々「アスペルガー症候群」の、知識として身に付けた社会常識を、掘り起こすと、そのプロセス(手順)を丁寧に解明すれば、自閉症の諸君に、なんとか、社会常識を憶えさせる手引きと成るはずである。クソチンコの様な、誰でも簡単に分かったような気にさせる、ガセデータは、糞の役にも立たない事が、よく分かるだろう。逆に、自閉症の子供を持つ親で、クソチンコを信じる人間は、クソチンコのガセネタを実践して、子供を人身御供として差し出し、結果クソチンコ達のミスリードを、広く知らせる使命がある。

そうにでも、ならなければ、日本中の自閉症児が、永遠に、無駄な努力を強いられ続け、逆に苦しみ続けなければいけいからであーーーーーる。


2008/1/11(金)のブログ    復元記事

2009-08-19 17:30:36

ルー・タバーキン (復元記事)

テーマ:SAMの欠陥

今から30年前、秋吉敏子とルータバキンビッグバンドが結成された。ビッグバンド構成に誰も見向きもしなかったこの時期、アメリカで活動していた秋吉敏子が、ジャズビッグバンドを作り、オリジナル曲を発表した。

当時、それは確かに面白く、久しぶりのビッグバンドの新曲に、みんな大いに喜んだ。

日本に凱旋公演すると共に、ライブ盤を録音するツアーが組まれた。大体、ライブ盤は、ツアー後半のライブがまとめられる事が多いのだが、その時は、私達(私と友人)が見に行った、初日の録音がほとんど採用されていた。

あの時は、ノリノリで最高に楽しかった。録音盤を手に入れて、何千回聞いたか分からない。そのライブで、最高に間のいい掛け声を掛ける客が居て、それにつられ、ライブでも皆ノリノリだ。観客に合わせ、アドリブも冴えた。

その録音は、何千回、何万回も聞いているんだ。今日、突然気が付いた。

あの、ノリノリで、抜群のタイミングで声を掛けていたのは、「オレじゃん!」どう考えても、その状況を考えても、

やっぱりオレだ。友達と一緒にレコードを聴いた時に、誰も教えてくれ無かった。だけど、あれはオレだ。間違い無い。

SAMの欠陥がある私が、確信を持てたのは、あれから30年経った、今日その日だ。間違い無い。レコーディングのその日、オレは中野サンプラザに居たんだ。今、気付いた。30年してやっと確信できた。

そんな、アスペルガー症候群のおじさんです。 アスペルガー症候群とは、こういうモノなのです。

でも、なんであの時、友達は教えてくれなかったんだろう。友達甲斐の無い奴だ。


2008/1/10(木)のブログ    復元記事

2009-08-18 11:16:42

泣く (復元記事)

テーマ:社会生活

自閉症のグループの子供が、泣き声になっているのを聞くと、胸が締め付けられる。私もよく泣く子だった。

いつからかは、知らない。「あんたはいつも、ニコニコ、ニコニコ機嫌のいい子だったのにねぇ」母のぼやきは毎日だ。泣き終わった私には、針の筵だ。母曰く、私はいつもニコニコ機嫌の良い赤ん坊で、本当に手が掛からない、親孝行だったそうだ。それが、毎日の様に泣くようになったのは、いつからなんだろう。

「あれっ?今日、トール泣かなかったね。珍しい日もあるねー」「そんな事無いよ。いつも泣いてないモン」小学4年にもなった私に、母は屈辱的な言葉を投げ掛ける。私も、何故泣くのかは分からない。何か言おうとすると、胸が熱くなり、身体に力が入り、そのままでは声が出ない。涙が出て、少しだけ身体の力が抜けると、やっと声が出る。もう、その時の声は泣き声で、やたら大きな声だ。私だって、そんな大ごとにしたくない。しかし、出来ないのだ。上手く声が出せないのだ。


「コノヤローーー、マテーーー」教室の外を、いつものあの子が、クラスメイトを泣きながら追いかけている。

「あー、また泣いている。あの子泣くと怖いよ」あの子とクラスメイトだった子が、面倒くさそうに呟いた。

私は、学校では何とか気を紛らわせて、泣く事を押し潰していた。同じクラスの皆にはバレていない。しかし、彼の気持ちは、手に取るように分かる。私も、家に帰ると、姉妹家族に泣かされる。しかし、泣いて、初めて言いたい事が言えるのだ。     何時からか。何故なのか。


2007/6/16(土)のブログ    復元記事

復元コメント:

トールさんのブログにはいつも自分のことを考えさせられます。

いたんですね、私のような人が。

自分と同じような人が見つけられずに、中学生ぐらいからずっと漠然と

自分のことを「絶滅種」だと思ってきました。

今思えば、これが私なりのアスペルガー症候群の呼び名だったわけですが。【投稿者:笛 2007年6月18日(月)16:36】

2009-08-17 16:36:06

笑いもの (復元記事)

テーマ:社会生活

何時も、母が此の話をする時は、微笑ましい話としてでは無く、笑い話として話すのを、良く憶えている。

「トールは、よく箱の中で、本を逆さまにして、読んでいたのよぅ」箱は、当時玩具を入れていた、ミカン箱位の木箱で、

これは、好んで入っていたことを、よく憶えている。夜眠る時は、自分の敷き布団の下に、足を折り込んで挟んだり、時には、姉の敷き布団の下に、足を入れてさせて貰っていた。

最近気付いたのだが、私の場合、眠くなると足が非常に怠くなる。だから、足の裏を叩いたり、小さく曲げたりするのだが、これは本当に怠い。(ここまでは、誰にでもある話)大学時代、叔父の家に泊まった時、何気なく足をパジャマの裾より内側に入る様に、足を小さく畳んだら、叔父が「小さい頃の癖は抜けないもんだなぁ、お前が小さい時、何時もそうやってたぞ」

叔父が言う、私の小さい頃とは、我が家に叔父が居候していた頃で、丁度私が、0才~4才前迄の頃の話だ。

良く、自閉症の子供が、狭いところに入ろうとしたり、狭いところに、ぎゅーっとしてるのは、なにか、手足がだるいのではないか。(さらに、考えてみると、私は、普通に立っている状態の時でも、時々、左右の壁に挟まれたまま、宙ぶらりんの状態にならないかな、と願う時がある。息が苦しくても、挟まったまま宙に浮いている方がいい。

そういう意味では、テンプル・グランディンの牛締め機の話も、なんとなく分かる。)

とにかく、4才過ぎの私は、絵本を逆さまに読んでいたのだが、此は、逆さまに読みたいのではなく、吝嗇の母が

新しい絵本などは、絶対買わず、何度も同じ絵本を繰り返し読み聞かせるので、こんなつまらない絵本を、

何度も声を出して読むのは、逆さまに読んだら、何か面白い事があるに違い無い、そう思って逆さに読んでいただけで、正逆分からず読んでいた訳では無いのだ。


22ヶ月を過ぎて「自己」が確立した幼児なら、母親が、本を逆さまにして読むのは、自分の為に逆さまにしていると言うことを、無意識に、自動的に理解出来るのだ。


これが、自閉症児の私と、定形発達の幼児との大きな違いなのである。


2007/6/15(金)のブログ    復元記事

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