2009年9月22日
スポーツ選手の親は、大きく二つのタイプに分かれる。子どもの競技になるべく近づこうとする親と、距離を置く親。父の智英(53)と久美子(51)は、後者だ。久美子は話す。
「私たちがやったことと言えば、練習の送り迎えをして、ご飯を食べさせたことぐらいでしょうか。あとはイトマンの先生方にすべてお任せでした。だって、水泳はなんにもわからないのですから」
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陵介(19)は小学校時代から中学3年生まで、大阪市住之江区のイトマンスイミングスクール玉出校に通っていた。車で30分ほど。基本的には、学校から帰宅した陵介を父親が車で送っていき、母親が迎えに行く生活だった。
午後6時の練習開始に合わせて智英は家を出て、その間に久美子は夕食の準備をする。智英が帰宅して食べている途中に久美子は出発し、午後8時の練習終了までにスクールに着く。帰って陵介に食事をさせていると、兄の晋平(22)が帰ってくるので、また夕食を作る。
意外だが、陵介は基本的に身体が強くない。小学校時代など、「また、貧血で倒れました」と電話を受け、久美子は学校に急いだものだ。
「保健室に入ると、青白い顔をしてベッドに寝ているんです。それが、とても気持ちよさそうで。『授業はいいから、ずっと寝てなさい』と寝顔を見ていました。ついこの間のことみたいですね」
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陵介は食も細い。まず、スポーツ選手としては信じられないほど食べる量も少なかった。だから久美子は食べる回数を増やすことでカロリーを取らせた。パンを食べさせるときも栄養価が高い菓子パンを出したり、チョコレートを絶えずポケットに入れておいて口に入れたり。
「小学校3年からは朝練習も始まり、午前5時過ぎの電車でスクールに行き、午前8時前にひとまず帰ってきて朝食を食べる。味はさておき、いかに栄養をつけさせるかだけに頭を使いました」
近畿大学付属高校に入った時、寮生活の選択肢もあったが、イトマンの元会長に「陵介は家から通う方が絶対にいいよ」とアドバイスされた。その言葉を、久美子は「最高のほめ言葉」と受け止めたのだった。(敬称略、石川雅彦)
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