発信箱

文字サイズ変更
はてなブックマークに登録
Yahoo!ブックマークに登録
Buzzurlブックマークに登録
livedoor Clipに登録
この記事を印刷

発信箱:公約を守ることとは=磯崎由美(生活報道部)

 1700993。95年の東京都知事選で初当選した故青島幸男氏は得票数を刻んだタイピンを胸に、逆風の都議会に臨んだ。与党なき議会と巨大な官僚組織に単身乗り込み、無党派層の絶大な支持こそが支えだったのだろう。

 四面楚歌(そか)の中、青島氏は臨海副都心開発の起爆剤として進んでいた世界都市博覧会を公約通り中止した。記者会見では「都市博をやる、やらないでなく、青島は約束を守れる男か、守れない男か、信義にかかわる問題だ」と声を張り上げた。まだマニフェスト(政権公約)という横文字も見ない時代。公約というものは形骸(けいがい)化し、政治不信が広がっていた。走りだした公共事業の中止などあり得なかった。「何かが変わる」と高揚したのは、取材していた私だけではなかった。

 しかし振り返れば、決断の評価を定めるのは難しい。工事を請け負うはずの中小企業は相次ぎ倒産、融資あっせんや補償にも多くの費用がかかった。臨海副都心開発は中途半端に進み、開発を担う第三セクターは破綻(はたん)した。

 当時を思い出させたのは、群馬県の八ッ場(やんば)ダム建設をめぐる民主党の姿勢だ。前原誠司・国土交通相は「公共事業を見直す入り口」と述べ、マニフェスト通り中止することが変革の象徴になると位置づけるが、地元の困惑などを見ているとすっきりしない。

 公約を変えれば、野党は鬼の首を取ったように追及するだろう。でも、政権を取ってみて分かることもあるはずだ。公約した個々の政策は本当に必要なのか。誰が何を得て、何が失われるのか。改めて分かりやすく説明し、軌道修正すべきことが見つかれば修正する。それも政権政党への期待だと思う。

毎日新聞 2009年9月23日 0時08分

PR情報

発信箱 アーカイブ一覧

 

おすすめ情報

注目ブランド