昭和29年 |
7月 日本中央競馬会法公布。9月 日本中央競馬会設立。初代理事長に安田伊左衛門が就任(国営競馬を引き継ぎ特殊法人となる。売得金の一部を畜産振興、社会福祉事業に充てる)。中央競馬第1回の競馬を東京および京都両競馬場で開催。 |
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昭和30年 |
1月 競走馬事故見舞金制度が発足。4月 理事長に有馬頼寧が就任。9月 英国ジョッキークラブが日本中央競馬会の競馬国際協定加入を承認。12月 日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律(有馬特例法)公布。 |
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昭和31年 |
9月 「中央競馬サービス・センター」を中央区銀座2丁目プレイガイド・ビルに開設。10月 中山競馬場大スタンド改築工事竣工。日本短波放送による中央競馬の実況中継放送開始。12月 第1回中山グランプリ、後の有馬記念競走が中山競馬場で行われる。 |
昭和32年 |
1月 理事長に酒井忠正が就任。9月 「中央競馬運営方策要綱」がきまる。騎手安全帽と枠順による色別帽を採用。12月 中山競馬場で勝馬投票券発売集計器(トータライザー)を導入。 |
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昭和33年 |
3月 日本中央競馬会として初めて、米国の州競馬委員全国協会(NASRC)の年次総会に参加。5月 第25回日本ダービーに国賓マラヤ首相、国際オリンピック委員会委員、各国大公使が来場。ハクチカラ、初の海外遠征馬として米国へ渡る。7月 福島競馬場スタンド改築工事竣工。 |
昭和34年 |
2月 米国遠征中のハクチカラ、サンタアニタ競馬場のワシントンバースデーハンデ競走に優勝。競走馬保健研究所(現競走馬総合研究所)新設。3月 米国ニューヨークジョッキークラブへ第1回研修生2名を派遣。9月 競走タイムの表示を従来の1/5秒単位から1/10秒単位に改正。10月 阪神競馬場スタンド改築工事竣工。12月 野平祐二騎手、豪州の国際競馬に招待され、シドニーのカンタベリー競馬場で優勝。 |
昭和35年 |
1月 ニューヨークジョッキークラブから寄贈の優勝杯を競う第1回アメリカジョッキークラブカップ競走を施行。5月 7ヵ国12機関参加のもとに第1回アジア競馬会議を東京で開催。日本騎手クラブ設立。7月 小倉競馬の3歳(現2歳)馬レースから初めてウッド式発馬機を採用。 |
昭和36年 |
2月 重勝式勝馬投票券の発売を中止。初のダートコースが東京競馬場に登場。3月 中央競馬馬主協会連合会設立。10月 オリンピック東京大会のための日本中央競馬会の国庫納付金等の臨時特例に関する法律が衆院本会議で可決成立。 |
昭和37年 |
1月 東京競馬場の新型トータライザーが完成。3月 オリンピック特例法の施行令公布、第2回中山競馬、第3回東京競馬をオリンピック基金臨時競馬として開催することを決定。6月 理事長に副理事長石坂弘が就任。11月 第11回ワシントンD.C.インターナショナル競走に日本馬として初めてタカマガハラが出走。 |
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昭和38年 |
1月 競馬法施行規則の一部を改正する省令(8枠連複制)公布。2月 オリンピック臨時競馬として第2回中山競馬5日間および第3回東京競馬5日間が指定される。4月 競馬法施行規則の一部を改正する省令(8枠連複制)実施。5月 アルゼンチンジョッキークラブカップ新設。競走馬保健研究所常磐支所(馬の温浴場)を開設。6月 保田隆芳騎手中央競馬史上初の通算1,000勝を達成。11月 第5回京都競馬第1日から場内有線テレビ放送を開始。 |
昭和39年 |
1月 第1回中山・京都競馬の第1日から場内テレビでオッズ(配当率)と出走馬の体重を発表。5月 第5回東京競馬から4大場の100円券を廃止し、200円券となる。6月 尾形藤吉調教師黄綬褒章を受章。9月 中山競馬場スタンド馬場改修工事竣工。第3回中山競馬から競走中の順位表示を実施。10月 東京オリンピック馬場馬術競技、馬事公苑で行われる。11月 シンザン、史上2頭目の三冠馬となる。競馬モニター制度を採用。 |
昭和40年 |
3月 第2回中山競馬から自動タイム計測装置を採用、また婦人専用発売窓口を設置。5月 新潟新競馬場完成。7月 新潟競馬22年ぶりに再開。8月 競走馬理化学研究所発足。9月 京都競馬場スタンド馬場改築工事竣工。12月 シンザン、有馬記念を制し五冠馬となる。 |
昭和41年 |
3月 英国のグランドナショナル障害競走にフジノオーが初参加。5月 鈴木信太郎調教師黄綬褒章を受章。6月 本部ビル竣工。9月 中山競馬場ダートコース新設。理事長に清井正が就任。10月 ハリウッドターフクラブカップ賞競走新設。中央競馬型トータリゼータ・システム竣工(中山)。 |
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昭和43年 |
3月 日本中央競馬会競馬施行規程を改正し、理化学検査の業務と違反に対する制裁を規定化。6月 東京競馬場スタンド竣工。12月 繋駕速歩競走廃止。 |
昭和44年 |
2月 関東場外発売所における発売の大幅規制を開始。3月 第8回アジア競馬会議を東京で開催。7月 スピードシンボリがわが国から初めてキングジョージVI&クイーンエリザベスステークス競走(英国)に出走。10月に凱旋門賞(仏国)にも出走。9月 福島競馬場スタンド改築工事竣工。10月 中央競馬社会福祉財団設立。競走馬の貿易自由化発表。11月 栗東トレーニング・センター開場。12月 小倉競馬場スタンド改築工事竣工。 |
昭和45年 |
6月 競走馬保健研究所栃木支所開設。8月 函館競馬場新スタンド竣工。10月 中京競馬場新スタンド竣工。 |
昭和46年 |
5月 東京競馬場スタンド増築工事竣工。競馬保安協会設立。6月 活馬の輸入自由化実施。7月 財団法人日本軽種馬登録協会が新発足。8月 札幌競馬場新スタンド竣工。京都競馬場のダートコースを新設。11月 農林大臣の諮問機関として設置された競馬懇談会の第1回会合を開催。 |
昭和47年 |
5月 元横浜競馬場の一部日本中央競馬会払下げについて、国有財産地方審議会が決定。6月 理事長に大澤融が就任。12月 有馬記念で1競走の売得金が初めて100億円台に乗る。 |
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昭和48年 |
4月 元横浜競馬場敷地の一部を日本中央競馬会が取得。東京競馬場で場内有線テレビのカラー化実施。6月 自動発売機運用開始。10月 東京競馬場で初の地方競馬招待競走。限定1枠1頭方式投票法(シード制)導入のため施行規則一部改正。新潟競馬場新スタンド竣工。 |
昭和49年 |
2月 電話投票の試験的実施開始。5月 皐月賞で初のシード制実施(キタノカチドキ)。8月 阪神競馬場にダートコース新設。10月 ハイセイコー、史上初の2億円馬となる。日本中央競馬会創立20周年を記念して「外国騎手招待競走」(5ヵ国)を東京、京都両競馬場で開催。11月 日本中央競馬会新橋分館竣工。 |
昭和50年 |
1月 中央競馬運営改善懇談会の設置。2月 新型J.S.G.48型発馬機を障害レースから使用開始。5月 天皇皇后両陛下、栗東トレーニング・センターでご少憩。6月 札幌競馬場のコース、右回りに変更。12月 グランドマーチスが中山大障害4連勝を飾り初の3億円馬となる。 |
昭和51年 |
1月 第1回東京・京都競馬初日から場内で単勝オッズを表示。4月 馬事文化財団設立。6月 複合投票券方式によるユニット勝馬投票券を、中山競馬場で試験的に発売。10月 電話投票制度を施行。11月 第37回菊花賞で、初の2頭シード(トウショウボーイとクライムカイザー)。12月 全国オンラインシステム完成。 |
昭和52年 |
6月 日本中央競馬会主催によりアジア競馬会議参加国研修が行われた。9月 競馬の円滑な施行のため勝馬投票券の買い替え廃止、シード制の拡大等を実施。根岸競馬記念公苑開苑。10月 政府は総理府総務長官の私的諮問機関として「公営競技問題懇談会」の設置を発表。12月 年間勝馬投票売得金初の1兆円突破。 |
昭和53年 |
4月 美浦トレーニング・センターが開場。5月 超党派国会議員による公営競技調査議員懇談会が発足。6月 理事長に武田誠三が就任。11月 武田文吾調教師、勲五等双光旭日章を受章。12月 有馬記念で売得金が史上初の200億円を突破。 |
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昭和54年 |
4月 厩舎関係者の養成施設として馬事公苑白井分苑を開設。5月 世界に通用する強い馬づくりを目指して「馬事振興研究会」設置。6月 第200回英国ダービーに理事長列席。総理府総務長官の諮問機関「公営競技問題懇談会」(座長吉国一郎氏)が意見書提出。8月 ノミ行為防止キャンペーンを展開。 |
昭和55年 |
1月 騎手への制裁点数制が導入される。4月 日本軽種馬登録協会の毛色判定審議会は現行の毛色から粕毛を除外し、新たに白毛を追加。5月 福島競馬場にダートコース完成。6月 函館競馬場にダートコース完成。10月 京都競馬場スタンド改築工事竣工。11月 第1回京都競馬第5日第2レースで初の単・複・連とも万馬券。藤本冨良調教師、勲五等双光旭日章を受章。 |
昭和56年 |
2月 馬事振興研究会が「強い馬づくり」答申書提出。4月 新潟競馬場ダートコース使用開始。7月 日本中央競馬会のテレホンサービス、関東・関西地区で実施。9月 理事長に内村良英が就任。10月 滋賀国体馬術競技、栗東トレーニング・センターで挙行。11月 日本初の国際招待競走第1回ジャパンカップ競走が東京競馬場で行われる。稲葉幸夫調教師、黄綬褒章を受章。 |
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昭和57年 |
3月 馬事公苑白井分苑に競馬学校開校。5月 オークス当日を“レディースデー”とする。9月 第4回中山競馬から複勝式のオッズ表示開始。11月 小川佐助調教師、黄綬褒章を受章。エリザベス女王杯当日を“レディースデー”とする。ジャパンカップの調教を東京競馬場で一般に初公開。 |
昭和58年 |
1月 引退した名馬の日本中央競馬会施設での繋養が決定。第1回東京競馬よりシルバーシートを初めて開設。4月 引退名馬の繋養第1号としてカブトシローが決定。5月 日本ダービー50周年を記念し、東京競馬場と英国のエプソム競馬場が姉妹競馬場となる。東京競馬場でダービーフェスティバル開催。7月 場外・電話投票の締切りを10分前に繰下げる。11月 競馬法施行令等の一部政令改正(6枠連単等が可能となる)。ミスターシービー、3頭目の三冠馬となる。59年度競馬番組の大幅改革を発表(グレード制の導入等)。12月 場内テレビの2系統化実施。 |
昭和59年 |
3月 東京競馬場厩舎跡地がダービースクエアとしてオープン。9月 東京競馬場に初のターフビジョン設置。日本中央競馬会創立30周年式典挙行。11月 シンボリルドルフ、史上初の無敗の三冠馬となる。カツラギエース、第4回ジャパンカップで世界の強豪を退け優勝。12月 わが国で最大規模のCATV映像伝送全国ネットワークシステム運用開始。顕彰馬選定委員会「競馬の殿堂」入りの名馬10頭を決定。シンボリルドルフ、第29回有馬記念で優勝、4歳馬初の四冠馬となる。 |
昭和60年 |
4月 シンボリルドルフ、第91回天皇賞(春)に勝ち、シンザン以来の五冠馬となる。6月 札幌競馬場で新型発馬機(60型)使用開始。7月 理事長に澤邉守が就任。8月 日本中央競馬会発行月刊誌『優駿』創刊(昭和16年)以来500号を発行。10月 第18回アジア競馬会議を東京で開催。11月 東京競馬場旧事務所2階に「競馬の殿堂」中央競馬メモリアルホール開館(現在は同競馬場競馬博物館へ移設)。中山競馬場に新スタンド「クリスタルコーナー」増築。栗東トレーニング・センターに坂路調教馬場完成。 |
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昭和61年 |
2月 文字多重放送への情報提供を開始。4月 釧路場外への映像伝送サービス開始、全場外の映像伝送システム化となる。9月 ソウルで開催された第10回アジア大会の総合馬術競技団体で日本初優勝。日本中央競馬会からは、宮崎栄喜選手、中俣修選手が参加。10月 英国エジンバラ公フィリップ殿下と当時、皇太子ご夫妻だった天皇皇后両陛下が東京競馬場にご来場。11月 メジロラモーヌ、重賞6連勝でエリザベス女王杯を勝ち史上初の牝馬三冠馬となる。パソコンによる競馬情報提供システムPCIS(ピーシス)が運用開始。12月 増沢末夫騎手、中央競馬史上初の1万回騎乗を達成。 |
昭和62年 |
1月 小倉競馬場でダートコースの使用を開始。4月 日本中央競馬会の略称JRAおよびシンボルマーク、場外勝馬投票券発売所の愛称ウインズ(WINS)を制定。5月 天皇陛下主催の春の園遊会に中央競馬の騎手として初めて増沢末夫騎手が招かれる。7月 長野県諏訪地区のCATVで実験放送開始。9月 キャプテンシステムへの競馬情報提供を開始。10月 東急・CATV(渋谷区、横浜市緑区および町田市の一部)で競馬中継放送開始。11月 天皇皇后両陛下(当時は皇太子ご夫妻)が東京競馬場にご来場になり、施行50周年記念・第96回天皇賞(秋)をご覧になられる。12月 阪神競馬場で第1回ワールドスーパージョッキーズシリーズ施行。 |
昭和63年 |
2月 調教師の70歳定年制が決定。『優駿』誌主催による競走馬の表彰に、調教師・騎手部門や馬事文化賞などの表彰項目を加えた「JRA賞」が制定、授賞式挙行。7月 新潟競馬場アイビススタンド竣工。8月 栗東トレーニング・センターに初の「馬のスイミングプール」が完成。11月 タマモクロスが史上初の天皇賞・春秋連覇を達成。12月 有馬記念当日に、騎手をファン投票により選出するジョッキーズ・グランプリ競走行われる。 |
平成元年 |
4月 京都競馬で第1回オーストラリアデーを開催。6月 オーストラリアで行われた国際騎手招待シリーズで、日本チーム優勝。9月 場外発売締切時刻が場内と同時となる。10月 星野忍騎手が史上初の障害200勝を達成。第100回天皇賞競走の記念切手発行。 |
平成2年 |
4月 東京競馬場とウインズ後楽園でマーク式勝馬投票申込みを試験的に開始。5月 ダービー当日、196,517名の中央競馬史上最高入場者数を記録。6月 理事長に渡邊五郎が就任。札幌競馬場に新設された芝コース使用開始。オーストラリアで行われた「シュウェップス障害騎手世界選手権」で、星野忍騎手が総合優勝。10月 お客様へのパトロールビデオ公開開始。11月 中山競馬場新スタンド竣工。 |
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平成3年 |
1月 降着制度導入。4月 新しい在宅投票システム「PAT方式」試行開始。競馬法および日本中央競馬会法一部改正(9月16日施行)。8月 武豊騎手が米国サラトガ競馬場で、本会所属騎手として初めて海外重賞競走制覇。馬番連勝式勝馬投票券の併用発売が、北海道地区で試行(全国的には10月からスタート)。10月 単勝式、複勝式の配当に特別給付金が上乗せされる。東京競馬場内にJRA競馬博物館がオープン。増沢末夫騎手、中央競馬史上初の通算2,000勝を達成。11月 天皇皇后両陛下が、馬事公苑で行われたウィーン・スパニッシュ・ライディング・スクールの演技をご覧になられる。阪神競馬場新スタンド、馬場改造工事完成。 |
平成4年 |
3月 クラシック登録制度が改正され、桜花賞出走のウィーンコンサートが追加登録料の適用第1号となる。4月 勝馬投票券の払戻有効期限が60日に変更。二本柳俊夫調教師、黄綬褒章を受章。5月 「プラザエクウス渋谷」がオープン。6月 JRA城山事務所を開設。ロンドン駐在員事務所を開設。11月 本年より国際GIに認定され、強豪外国勢を迎えた第12回ジャパンカップでトウカイテイオーが優勝。 |
平成5年 |
4月 ニューヨーク駐在員事務所を開設。5月 パリ駐在員事務所を開設。安田記念が国際交流競走に指定され、外国馬2頭が出走。第60回日本ダービーを、「皇太子殿下御成婚奉祝競走」として施行。9月 東京競馬場に新スタンド「メモリアル60」竣工。勝馬投票券の購入方法に「ながし投票」「ボックス投票」が加わり、試験的に実施(本格実施は10月)。10月 北海道の日高育成総合施設・軽種馬育成調教場が開場。美浦トレーニング・センターに坂路調教馬場完成。天皇賞競走の勝馬投票券の前々日発売をウインズ後楽園・新橋・難波で実施。11月 中京競馬場の馬場改修工事が終了。12月 SAT方式電話投票が、都内の4店舗で限定会員制で実験的に実施。岩手県水沢競馬場にて、初めて地方競馬の施設を利用した勝馬投票券の発売を実施(スプリンターズステークス)。新潟県三条競馬場にて、有馬記念の前・当日発売を実施。 |
平成6年 |
1月 騎手免許制度が一部改正され、外国で騎手免許を受けている者のための臨時試験制度を整備し、短期免許を交付できることになる。東西メインレースの相互発売を、GI前・当日とローカル開催日を除き年間を通して実施。7月 レーシングプログラムをA5判からB5判変型に改訂、また、出馬発表時にブリンカー着用馬を公表。8月 シドニー駐在員事務所を開設。函館競馬場の馬場改造工事完成。9月 武豊騎手が、フランスのロンシャン競馬場で行われたムーランドロンシャン賞でスキーパラダイスに騎乗し、日本の騎手で初めて海外のGIレース優勝。10月 (財)競馬・農林水産情報衛星通信機構が運営する「グリーンチャンネル」の試験配信がスタート。京都競馬場新スタンド、馬場改造工事完成。11月 ナリタブライアン、史上5頭目の三冠馬となる。中京競馬場でスタンド増築工事完成。 |
平成7年 |
1月 「グリーンチャンネル」の本格配信を開始。岡部幸雄騎手が通算勝利数を2,017勝とし、中央競馬史上最多勝を更新。3月 理事長に京谷昭夫が就任。宇都宮育成牧場内に装蹄教育センターが竣工。4月 「プラザエクウス梅田」がオープン。保田隆芳調教師が勲四等瑞宝章を、布施正調教師が黄綬褒章をそれぞれ受章。6月 京都競馬場で阪神・淡路大震災の復興支援競馬を開催。収益金等24億円を震災復興費として拠出。8月 福島競馬場スタンド増築工事竣工。9月 香港駐在員事務所を開設。10月 ノーザンテーストの産駒の勝利数が1,380勝となり、中央競馬史上最多勝を達成。12月 阪神・淡路大震災の影響で休止していた阪神競馬場が第1回阪神競馬を開催。中央競馬のアラブ競走廃止。 |
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平成8年 |
3月 JRA初の女性騎手3名がデビュー。4月 東京競馬場と地方競馬の盛岡競馬場が姉妹提携を結ぶ。根岸競馬記念公苑の「馬の博物館」所蔵の和鞍「張良図沈金鞍」が文化庁から重要文化財に指定。5月 理事長に浜口義曠が就任。6月 決勝写真がカラー化される。 |
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平成9年 |
2月 競走馬総合研究所が東京都世田谷区から宇都宮市に移転。3月 「ダート競走格付け委員会」が、9年4月から10年3月までの中央・地方のダート交流重賞競走の格付けを発表。5月 1枚のマークカードで最大10点の申込み、または2種類の勝馬投票券が購入できるジョイント投票券を導入。6月 福島競馬場がリニューアルオープン。10月 競走馬の精神面のケアを目的とし、美浦トレーニング・センター内の調教施設「森林馬道(北の杜)」オープン。インターネットにホームページを開設。 |
平成10年 |
4月 福島競馬場で岩手県競馬場外発売を実施。8月 電話投票加入者が100万人を突破。シーキングザパールがモーリスドゲスト賞(仏G1)で日本調教馬として初めての海外GI制覇達成。9月 出馬投票の土日一括受付を開始。10月 GI競走当日における他場特別3競走の発売を開始。フランス伝統馬術「カドルノワール・ド・ソミュール」日本公演開催。11月 グレード制導入等の障害振興策を発表。 |
平成11年 |
1月 第16回フェブラリーステークスでメイセイオペラが勝ち、地方馬で初の中央GI制覇。4月 「三木ホースランドパーク」がオープン。5月 シーヴァがタタソールズゴールドカップ(愛G1)で日本産馬として初めての海外GI制覇達成。7月 小倉競馬場で馬場改造とスタンド改築の全面改築工事竣工。9月 理事長に高橋政行が就任。馬事公苑で、天皇皇后両陛下をお迎えして、「天皇陛下御在位10年慶祝第31回愛馬の日」の行事が行われる。京都競馬場スタンド増築工事が竣工。10月 エルコンドルパサーが凱旋門賞(仏G1)で2着となる。拡大馬番連勝複式勝馬投票法「ワイド」が、福島競馬場とウインズ新白河で先行発売される。11月 審議の対象となったすべてのレースに関し、対象部分のパトロールビデオが競馬場内で公開される。 |
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平成12年 |
5月 武豊騎手が、史上初のダービー2連覇。9月 ミレニアムキャンペーン「Dream Horses 2000」の一環として、21世紀に残したい名馬100頭がファン投票で選出され、「20世紀の名馬100」が決定。第1位にはナリタブライアンが選ばれる。シドニーオリンピック柔道男子81キロ級に本会の瀧本誠職員が出場し、金メダルを獲得。12月 有馬記念は、テイエムオペラオーが優勝、通算獲得賞金、重賞最多連勝の記録を更新、また、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念制覇で2億円の褒賞金も獲得する。 |
平成13年 |
4月 テイエムオペラオーが天皇賞(春)を優勝、史上初の天皇賞3連覇。5月 日本ダービーを外国産馬に開放、2頭の外国産馬が出走も優勝馬は内国産馬ジャングルポケット。6月 1台で勝馬投票券の購入と払戻しを同時に行える第6次現金投票端末機の試行運用を京都競馬場で開始。7月 新潟競馬場新スタンド(NiLS21)完成、周回コースは左回りとなり、直線芝1,000mコースを新設。本会城山事務所が六本木事務所に移転。9月 競馬場場外新呼称を「パークウインズ」とする。12月 阪急電鉄仁川駅と阪神競馬場を結ぶ「専用地下通路」が運用開始。香港ヴァーズ(G1)でステイゴールド、香港マイル(G1)でエイシンプレストン、香港カップ(G1)でアグネスデジタルがそれぞれ優勝。第46回有馬記念を「敬宮愛子内親王殿下誕生慶祝」競走として実施。 |
平成14年 |
3月 岡部幸雄騎手が中央競馬初の通算2,800勝を達成。「IPAT(携帯)」の本格運用開始。5月 皇太子同妃両殿下が馬の博物館にご来場され、春季特別展「働く馬」を鑑賞される。小泉純一郎内閣総理大臣が日本ダービー当日に来場。6月 馬番号連勝単式勝馬投票法「馬単」と馬番号三連勝複式勝馬投票法「3連複」が、福島競馬場とウインズ新白河で先行発売開始。7月 ウインズ汐留、ウインズ佐世保がオープン。「IPAT(PC)」の本格運用開始。9月 ウインズ難波がリニューアルオープン。旧プラザエクウス梅田が「Gate J.」として大阪・心斎橋にオープン。10月 韓国・釜山で開催されたアジア大会の障害飛越競技団体戦、総合馬術競技団体戦で日本が金メダル、馬場馬術競技団体戦で銀メダルを獲得。本会職員は岡崎詠司選手、布施勝選手、北原広之選手が参加。12月 武豊騎手が1日8勝のJRA新記録を達成。ニュージーランドのロシェル・ロケット騎手が中山大障害に優勝し、女性騎手として初めてJRA重賞制覇。 |
平成15年 |
3月 安藤勝己騎手が地方競馬から中央競馬に初めて転身。4月 エイシンプレストンがクイーンエリザベスII 世カップで日本馬として初の海外同一GI連覇達成。馬場改造および第1期スタンド改築工事が竣工した東京競馬場がリニューアルオープン。騎手に対するドーピング検査を実施。5月 3連複の「軸1頭ながし」および最大18点までのボックス投票が可能になった新マークカードを導入。6月 日本ダービーはネオユニヴァースが優勝、M.デムーロ騎手は初の外国人ダービージョッキーとなる。10月 スティルインラブが桜花賞、オークスに続き秋華賞を制し、史上2頭目の牝馬三冠馬となる。 |
平成16年 |
7・8月 2回函館、1回札幌ではくぼ競馬を実施。1回札幌競馬で馬番号三連勝単式勝馬投票法「3連単」の先行発売開始。9月 「日本中央競馬会創立50周年記念式典〜感謝の集い〜」を挙行、尾形藤吉氏、松山吉三郎氏、藤本冨良氏、武田文吾氏、稲葉幸夫氏、二本柳俊夫氏、久保田金造氏、野平祐二氏、保田隆芳氏、福永洋一氏を顕彰。また、140件の表彰者に感謝状を授与。11月 ゴールデンジュビリーデーと銘打ち、JRA史上初めて同一競馬場で1日にGI 2競走(ジャパンカップ&ジャパンカップダート)を施行。全国でゴールデンジュビリーイヤー記念イベントを実施。12月 ゼンノロブロイが天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念を制覇し、史上2頭目の2億円ボーナスを獲得。 |
平成17年 |
3月 岡部幸雄騎手引退。引退式当日の最終レースは「岡部幸雄騎手引退記念」競走として施行。4月 福島競馬場でJRA史上初の1,000万馬券。5月 ウインズ小郡オープン。日本ダービーを史上最高の単勝支持率でディープインパクトが優勝。6月 新電話投票サービス「即PAT」運用開始。7月 第4回アメリカンオークスを福永祐一騎手騎乗のシーザリオが、レースレコードで優勝。日本馬の米国GI制覇は史上初めて。9月 携帯版JRAホームページ、携帯版「Club A−PAT」がオープン。ウインズ錦糸町西館7階にエクセルフロアがオープン。武豊騎手、騎乗機会6連勝、1節に12勝のJRA新記録を達成。10月 武豊騎手、1開催に26勝のJRA新記録達成。東京競馬で3連単1,846万9,120円の公営競技史上最高配当が誕生。ディープインパクト、21年ぶり無敗の三冠達成。天皇皇后両陛下が東京競馬場を行幸啓され、天皇賞(秋)をご覧になられる。11月 ハートランドヒリュが123回目の出走、JRAのサラブレッド最多出走記録を更新。12月 武豊騎手が自身の持つJRA年間最多勝記録を212勝に更新。 |
平成18年 |
2月 2007年度から、国内で生まれた競走馬に対するマイクロチップの埋め込みを義務化。3月 ハーツクライがドバイシーマクラシック(G1)、ユートピアがゴドルフィンマイル(G2)で優勝。日本馬によるドバイGI競走、海外ダート重賞制覇は初。5月 古馬牝馬限定の新GI「ヴィクトリアマイル」を実施。ダンスインザムードが初代女王に。7月 「セレクトセール2006」でキングカメハメハ産駒「トゥザヴィクトリーの2006」が日本セリ史上最高価格の6億円で落札される。IFHA発表の「トップ50ワールドリーディングホース」でディープインパクトが125ポンドで日本馬として初めて首位に立つ。8・9月 初めて実施されたサマー2000シリーズでスウィフトカレントが、サマースプリントシリーズでシーイズトウショウが初代チャンピオンに。9月 ウインズ後楽園にエクセルフロアがオープン。 10月 ディープインパクトが仏国の凱旋門賞(G1)に挑戦。東京競馬場に世界最大級マルチ画面ターフビジョンが登場。「応援馬券」の発売開始。11月 豪州のメルボルンC(G1)でデルタブルースとポップロックが日本馬のワンツーを記録。日本馬初の南半球GI制覇。日本が2007年からICSCにおけるパートI国入りすることが決定。世界で16番目のパートI国になる。12月 阪神競馬場に外回りコースを新設。中央競馬で唯一のダート2,000mコースも設置される。ディープインパクトが有馬記念優勝後に引退式を実施。中山競馬場において在席投票「i−Seat」を導入。 |
平成19年 |
4月 中山グランドジャンプで豪州馬カラジが3連覇達成。東京競馬場の新スタンド「フジビュースタンド」がグランドオープン。往年のダービー、オークスジョッキー9人によるエキシビションレース「ジョッキーマスターズ」を東京競馬場にて実施。 5月 皇太子殿下が東京競馬場を行啓され、日本ダービーをご覧になられる。ウオッカが64年ぶりとなる牝馬による日本ダービー制覇。 6月 種市場外オープン。 7月 武豊騎手がJRA通算2,944勝(1万4104戦目)を達成し、岡部幸雄元騎手が持つJRA最多勝記録(2,943勝)を更新。 8月 馬インフルエンザにより第3回新潟、第3回小倉、第1回札幌競馬の第3日・4日が開催中止となる。 9月 理事長に土川健之が就任。競馬法及び日本中央競馬会法の一部が改正される。経営委員会委員6名が農林水産大臣より任命される。委員長に奥田碩氏が就任。 10月 京都競馬場で新ターフビジョンの運用を開始。東京競馬場に次ぐ“世界最大級のマルチターフビジョン”となる。 11月 武豊騎手がJRA史上初の通算3,000勝を達成。1987年3月のデビュー以来20年8ヵ月、通算1万4288戦目での到達。美浦トレーニング・センターの南馬場にニューポリトラックによる調教コースを導入。 12月 西日本初の先着・有料定員制場外勝馬投票券発売所「エクセル博多」がオープン。エクセル単独施設としては国内3ヵ所目。 |
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平成20年 |
1月 「JRAプレミアム」が東西金杯にて初めて実施される。「JRAプラス10」が実施される。6月 ウインズ新横浜オープン。新馬競走に「メイクデビュー○○」(○○は場名)という愛称を設定。7月 3連単の全レース発売開始。10月 三浦皇成騎手が武豊騎手のもつJRA新人年間最多勝記録(69勝)を更新。11月 第2回「ジョッキーマスターズ」を東京競馬場にて実施。第32回アジア競馬会議を東京で開催。 |