この記事は気分を害される方がいる可能性があります
子供がほしい方や子供好きな方は見ないほうがいいかもしれません。
「何が書いてあってもかまわない」という方だけ(っていうとおおげさすぎますが)読んでください。
また、この記事は2月初めに期間限定で公開したものに手を加えたものなので、その頃から読んでいただいている方には同じ話になってしまうと思いますので、ご了承ください。
私には思い出したくない、でも忘れてはいけない過去があります。
大学4年の夏、当時つきあっていた彼の子供を妊娠し、中絶しました。
子供の名前は二人で「優(ゆう)」とつけました。
生まれていたらもう5歳になるでしょう。
忘れないように写真立てに水子供養のときにもらった紙を入れています。
最初は機会があれば彼とお参りにいっていました。
引越して、彼とも別れ、最後にお参りにいったのは2年前くらいでしょうか。
今でも、子供の話はつらいときがあります。
妊娠がわかったとき、「堕ろすでしょ?」と彼は言いました。
私ももう少し考えていればよかったと思う。
産みたいって気持ちはたぶんあったはずなのに、「今は無理だ」という判断が先に立ち、あっさり中絶することを決めてしまった。
このときに、どうしてもっと、自分の気持ちに素直にならなかったんだろう。
最終的に諦めることになったとしても、もっと考えることもできたと思うし、どうしても生みたいって思ったら彼や自分の親を説得することだってできたと思う。
でも、そういう努力もせずに、本当にあっさりと決めてしまった。
つわりで朝起きれないし夜眠れない
幸い、つわりが始まった頃からバイトのシフトがが昼から夜の時間に変わったから助かったけど。
授業のレポート書くのがキツかった。
パソコン置いてる場所がわるくて、立ってキーボード打たなきゃいけないから、何度も横になりながら書いたよ。
病院でエコーみたとき、小さな赤ちゃんがいたよ
中絶できる曜日と祝日と大学のレポート提出日の関係で、中絶まで1週間の猶予があった。
中絶するってわかっていても、お腹に子供がいるのがわかるから、子供番組見て歌を歌ってみたりしたよ。
もうすぐお別れなのにね。それでも、母親ってかんじがした。
短い時間なのはわかっていたけど、そうしている時間はとなんだか充実した気持ちだった。
手術当日、彼に車で送ってもらい、病院へ。
手術しやすいように膣を広げる脱脂綿みたいなものを入れてくれた看護婦さん(50歳くらい)が、
「いつだってツライ思いするのは女性なのよ」
と言いました。
その脱脂綿みたいのが広げてくるのが痛くて、2、3回痛みどめの座薬を入れてもらいました。
病院の消灯時間って早いけど、私は痛くてあんまり寝れなかったよ。
翌朝、手術です。
手術室に運ばれて、全身麻酔。
気付いたら病室にもどってました。
高熱が出たり、逆に体温が下がったりしたあと、お昼には落ち着きました。
化粧もせずパジャマを来たまま、車椅子で診察室へ行ったときの周りの視線がなんかイヤだったな。
診察券は看護婦さんが出しておいてくれてたから待つことなく入ったけど。
帰りも彼に車で迎えにきてもらいました。
その日は隅田川の花火大会でした。
行きたかったけど、「あ~今日だったなぁ~」とボーッと考えながら部屋の外を見てました。
その日はつわりもなくなったし、痛くないし、なんかよくわからないまま寝たような気がします。
でもこのあとの1ヶ月は地獄のような日々でした。
子供がいないということが悲しくてしかたない。
人間の本能というヤツなのでしょう。
そしてHがしたい。本能としか思えない。失ったから早く取り戻したかったんだね。
Hがしたいというより、子供がほしいというかんじがしたから。
悲しくて苦しくて取り返したくて・・・・でも、誰も責めることはできない。
悪いのは私だから。
自分で自分を責め続ける毎日でした。
やっていたバイトも妊娠がわかった日にはやめてしまってましたし。(妊娠とは関係なしに)
夏休みでやることもなく、ただひたすら家にいて、テレビみたり、ネット見たりしながら、泣き続ける毎日。
今も思い出したくない、苦悩の日々です。
とにかく、いろんなものに過敏になって、子連れの人を見るのが苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて苦しくて!!!!
そんなんだから外に出れない。
水子供養した神社に毎日行きたくなるんです。
会いたくてしかたない。
そして死にたい。
死んで子供のところに行きたい。
でも自分のために子供を犠牲にしたのに、自分が死ぬわけにはいかない、と日々葛藤。
そんな日々も1、2ヶ月したらだいぶよくなりました。
バイトも始めたし。
でも、自分が一番大事な人を自分で殺すということは、そんなに簡単に済むことじゃない。
「子供の分まで幸せにならなきゃいけない」、でも、「こんな私は幸せになれるわけがない」。
自分の中に別の自分がいて、お互いがお互いを攻撃し合ってるような感覚で2、3年過ごしました。
子供を産みたかった気持ちを押し殺していた。
その私が心のどこかでくすぶっていて、でも、それに気付かないように、「中絶して正解だった」と理論的に進めようとする私もいて、心の中がめちゃくちゃだった。
だって、「これでよかった」って思わなかったら、すべてがダメになっちゃうじゃない
「産んでいたらよかった」って思ったら、そんなの悲しいだけじゃない
子供はなんのために死んだのさ。意味がなくなってしまうじゃない。
いまさらそんなこと思ったって、何ももとには戻らない。
だから、「これでよかった」って思うしかないじゃない。
やっと2、3年たった頃から、少しずつ自分の気持ちを認めて、許して、という段階にいたりました。
今はすっかり一人の私になれました。
それでもやはり妊娠の話はキツイ。
トラウマスイッチがオンになる。
私と同じ思いをする人がいてもつらいし、できちゃった婚する人でも複雑な気持ちになるし、結婚してる人の妊娠でも「なにごともなく子供産めていいなぁ」と少し悔しい気持ちになります。
人の幸せを素直に喜べなくなってしまったことが今はとても悲しいですね
子供が15歳になるまではきちんと忘れずに供養しなきゃいけないっていう話を聞いたことがあります。
あと10年近くあります。
この先、子供を授かって、産むことができたとしたら、そのときはゆうちゃんの分まで幸せにしたいと思っています。
・・・・・そう思うしかないです。
もう二度と自分の気持ちにフタをするようなことはしたくないし、大切な人は守りたいと思います。
たとえ、努力してもダメだったとしても、自分は十分がんばったといえるようにしたいと思います。
大切な人を失うのはとてもとても悲しいことです。
今、仕事とかで大変だな、辛いなと思うことがあっても、あの大学4年の夏の地獄に比べたら、まだ大丈夫って思えます。
ありがとう。
私が前向きでいられるのは、ゆうちゃん、あなたのおかげだから。
どんな出来事もあなたとの別れほどの悲しみや後悔ではない。
そう思います。
あれから、6年経ってあらためて考えて、中絶を選んだことは、結果的によかったんだと思ってはいます。
ただ、きちんと避妊しなかったことは後悔しています。それは間違いありません。
あたりまえですが、産む産まない以前に、ほしくないなら作らないということが大事です。
いくら後悔しても遅いので、私は、次は、子供がほしいと思って万全の状態で子供を迎えたいなって思っています
結婚式をして、新婚旅行にいって、新婚生活で旦那さんとの生活を楽しんで、「いよいよ赤ちゃんです」ってね。
そううまく行くかはわかりませんが。
でも、それが、ゆうちゃんに対しても、次に授かる子供に対しても、礼儀だと思います。
今、結婚して、本当に何の不満もなく新婚生活を送れていることが奇跡のように感じます。
こんな私でも幸せになれるんですね。
今の幸せも犠牲にした一つの命と、苦しんだ過去の上に成り立っていることを忘れずに、毎日を大切にしてきたいと思います。
最後はとりとめもない文章になってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございました。
結婚式まで、あと、1ヶ月半くらいですが、まだまだ準備をがんばっていきたいと思います
1 ■無題
('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
何事も、自分に必要な事は、
よい事でも悪い事でも必然的に起こる。。。
辛い事を知った人ほど、
幸せを敏感に感じられるし、
他人の痛みをわかってあげられる。。。
私が日々思い返すのは、
他人と比べてはいけない。。。
そうする事で心が優しくなります(^_-)☆