投稿者
trycomp 投稿日時 2004-3-2 21:18:46 (2312 ヒット)
都立大教授の鄭大均さんがこの度、日本に帰化されたという。2日付の読売新聞夕刊に、鄭大均さんのエッセイが掲載された。帰化した人に「おめでとう」と祝福する日本人が少ない、という指摘は考えさせるものがある。
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帰化 この実感のなさ
コリア系日本人 第二の人生の始まり
日本国籍を取得した。わが家は夫婦と息子の三人家族。今回日本国籍を取得したのは私と息子のふたりで、私は日本生まれの二世だが、息子は韓国で生まれた一世であり、いわゆる特別永住者ではない。特別永住者とは、戦前から日本に居住し、五二年のサンフランシスコ平和条約発効で日本国籍を失ったとされる旧植民地系の人々やその子孫たちのことである。
妻はというと、やはり韓国に住民登録を持つ韓国人で、今でも韓国で仕事をしているから、日本国籍を取得する必要はない。私たちは結婚してしばらくは釜山で暮らしていたが、九〇年代半ばに私が東京で仕事を得、翌年妻が釜山からソウルに職場を移したのを機に、息子は日本で育てることにした。
日本にやってきたとき息子は九歳。みるみる日本語が上達すると同時に、故郷の社会や文化からは遠ざかり、もう大分以前から「日本の息子」という感じである。ならば日本の国籍がふさわしい。できれば高校卒業前に、ということで、今回帰化の決断をした。
帰化手続きで悩ましかったのは名前の問題。できれば民族名のままで帰化したかったのだが、「崔」や「鄭」「姜」のような名は人名用漢字表にないからダメだという。しかし「金」や「李」や「朴」はいいというのだからおかしい。おかしいが、民族名に固執する気持ちはない。在日が祖先たちの文化を継承するか否かは個人の選択に任せられたことだと思う。では「鄭」に代わる新しい名前とは何か。迷ったが、結局は妻の姓を借りて新しい名前を作った。コリア風の名前ではない。だが職場などでは従来の名前を使う。在日コリアンの多くは韓国・朝鮮籍を持ちながらも日本風の通名を用いるが、私は逆である。
それにしても、長い間韓国人をやってきたものだなと思う。私が生まれたのは一九四八年。七〇年代までの日本にはコリアンに対する蔑視や偏見があり、だから在日たちは自己の出自を隠そうとした。しかし人権や多文化共生が謳われる八〇年代になると状況が変わる。かつて「悪者」や「犯罪者」として語られていた在日は、「被害者」や「犠牲者」として語られることが多くなった。在日とは、戦時中に労働力として強制連行された被害者やその子孫というわけである。だが、一世の多くは出稼ぎで日本にやってきたのであり、徴用などで日本に動員された朝鮮人が多かったのは事実だが、大部分は戦争直後に帰国した。
在日が被害者として語られることが多くなってから私は在日であることに緊張感が持てなくなった。被害者意識は人間を自己責任の感覚から遠ざける。在日が韓国・朝鮮籍を持ちながらも本国への帰属意識に欠け、また外国人登録証を持ちながらも外国人意識にも欠けるという不透明性も気になった。「多文化共生」というなら、その最も確かな方法は日本人という枠組みそのものを多様化する方法であろう。「永住外国人」などとして生きるより、「コリア系日本人」として生きる方が前向きな生き方ではないのか。
そういえば、二月に東京で「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」が旗揚げした。「協議会」が目指すのは、二〇〇一年与党の国籍プロジェクトチームがまとめた「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案」を立法化すること。同法案は特別永住者が民族名を使用したまま、届け出によって日本国籍が取得できるという画期的なもので、サイレント・マジョリティの在日たちが待ち望んでいたものである。現状では煩雑な手続きにもかかわらず、年間一万人近くの在日が日本国籍を取得している。
それにしても、晴れて日本人になったというのに、いまひとつ実感が湧かないのはなぜなのか。司馬遼太郎とリービ英雄の対談で読んだことだが、もしここにフーテンの寅さんや寅さんの家族がいて、「日本国籍取ったよ」といったら、彼らはまちがいなく「おめでとう」といってくれるに違いない。韓国人だってアメリカ人だって、その国の国籍を取ったら、祝福してくれる人がいる。だが、日本にはどうもそういう人間が少ないのだが、なぜなのか。リービ英雄がいうように、それはこの社会に自分が絶対日本人だという確信のある人が少ないためなのだろう。私は世襲の日本人ではない。日本人になることを選択した人間だ。これからどのような日本人として生きていくのか。そんなことも考えながら第二の人生を始めたい。(読売新聞2日夕刊)
鄭 大均
1948年岩手県生まれ。東京都立大学教授。専門は東アジアの民族・国民関係論。著書に「韓国のイメージ」「日本のイメージ」「在日韓国人の終焉」など。