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2009-09-23

くたばれFGM

俺はフェミニストじゃなくてポコチニストなのだが、FGMについては、「こりゃ酷い」というのが感想。てか、そんなことやって誰が得するんだよ、女性の命より、テメエが初物いただけるそんなしょうもないプライドのほうが大事なのかよというのが正直な感想

そんなこというと「文化」至上主義者から文句言われるだろうけど、そんな文化は潰しちまったほうがいい。5000年前の倫理と、この平成の世では、求められる共通基盤の倫理観そのものが違うだろうし。情報量も、社会を取り巻くインフラも違うわけで。基本的に「文化」って、社会に適合して生きてくもんじゃないのかなと。

というわけで、FGMについては「クソったれな風習」以外の感情は湧かない。

女性器切除

http://anond.hatelabo.jp/20090923003429

僕にできることと言えば、こうしてブログの記事を通してこういった事が現実にあるということを知ってもらうことしかできない。ただ、このエントリを見た方がそれに続けて他でアウトプットしてもらえればさらに拡大する。まずは知ってもらうことくらいしかできないが、アフリカ伝統文化だから周囲の国々、個々人が手を出すものではないというのではなく、人間として、基本的尊厳として、こういった「ただの女性差別」、非人道的行動をいち早く無くす方向に持っていく必要があることは間違いない。

 このへんは俺も同感。まずはFGM現実を知って、議論に上がり、それぞれが自分意見を持って「どうすりゃいいのか」というのを構築せにゃあかんのかなと思うし。

 少なくとも、日本において、FGMという言葉を知ってる人自体が少ないだろう。俺の周辺の人たちに聞いても、知らない、初めて聞いたという人が結構いる。

 俺にしても、元々アフリカに興味があるんで、その過程で知ったというぐらい。

 で、俺も色々調べてみたら、アメリカサイトに、今回取り上げたいものがあったので紹介する。

 今はアメリカモデルとして頭角を現している、Fatimaさんの話だ

 http://www.cwtv.com/thecw/americas-next-top-model10-fatima

 Fatimaさんについての話は、以下の記事に詳しい。

 America's Next Top Issue: Female Genital Mutilation

 http://ngm.typepad.com/pop_omnivore/2008/02/americas-next-t.html

 英語で上げるのもアレなので、僭越ながら俺が訳した。意味は大体伝わっているとは思うが…

「私が7歳のとき、割礼されたのよ。それは伝統的かつ喜ばしいことだったのよ。」と

ソマリア出身のFatimaは言った。だけど、彼女が「POSITIVE」という言葉を使うたびに、彼女にとって、その儀式は受け入れられないものだっていうのがわかってきた。

彼女は言い続けた。

FGMってクリトリスを切り取って、そして二つの陰唇を一緒に縫うことなのよ。あたしはあたしと同じ経験をする人をなくしたいということを現実にするために自分の一生を賭けているのよ。今こうしてあたしが話している間にも、若い少女たちが割礼を施されて、そしてその中の何人かは割礼の過程で死んでいくのよ。」

後に、彼女がその話をするとき、何人かの対談相手は言う。

「あなたは女性を喪ったと感じるのか?」と。

また、別の対談相手は、無知で不穏当な質問をするのかと彼女を非難している。

そして、FGMに関する論争は、たくさんの閲覧者の目を引くことになる。

注意:以後のインタビューについては、FGMに対する具体的なディテールが含まれています。

ANTMは、この記事の責任を果たすために、女性に対する暴力差別をなくすことを訴える人権団体とEquality Nowの代表、Taina Bien-Aimeにインタビューを行った。

 ソマリアといえば、確かにFGMの被害に遭う女性はかなり多い

 参考:アフリカ全土におけるFGM分布

 http://www.afrol.com/Categories/Women/FGM/netscapeindex.htm

 分布図を見ると一目瞭然だが、特定の緯度に集中している。

 この点からも明らかなのだが、FGM宗教は関係ないのかなと。イスラム教に基づくものだったら、もっと広範囲になるわけで。

Q:FGMの風習はどれぐらい広がっているか?

A:アフリカにおける28の国々および中央アジアの一部の地域で行われている。

 それ考えると、アフリカだけの問題でもないような。

Q:それって、宗教に基づく儀式なのか?

A:それは誤った認識エチオピアの例を取り上げても、クリスチャンユダヤ教徒、イスラム教徒、アミニズム問わずFGMの風習がある。5000年前から行われている危険極まりない伝統儀式だ。年代問わず、人々はそれは宗教的な一面だと認識している。

だけど、コーランにもそんなのは載っていない。FGMに関することは一言もね。

 この辺見ても明らかだが、FGMを推奨するアホな宗教というのは存在しない。5000年前といったら、それこそ、キリスト教イスラム教ができる前の話だからなあ。

 なので、その問題と宗教問題を結びつけると、背景見失うような。

Q:何故そんなしょーもないことをするんか?

理由としては、女子における結婚ができる保証としての意味合いしかない。要するに、結婚までの純潔を守ってることを保証するというのがただひとつの理由。

 確かに、縫ってたら誰かが糸ほどくまで純潔のままなんだろうけど、かといって、純潔と人の命だったら、人の命が重要だろう。5000年前ならともかく、西暦2009年では。

Q:いったいどれだけの少女が被害に遭っているのか?

A:1日あたり6000人の女の子がまだこの風習の被害に遭っていて、毎年2、300万人の少女が被害に遭っている形だ。

 しかも、年齢も生まれてから初潮前までにやってるケースが多いという。

Q:そこには苦痛を和らげる措置が取られているのか?

A:とんでもねえ。ほとんどは麻酔なしでやっている。

 しかも、その土地伝統助産婦が剃刀やナイフ、はてや鋭い石で執刀し、母親親族女性が、子供を押さえつけてる状態だ。考えただけでぞっとする。

 男だったら、麻酔なしで亀頭を切除されるようなもん。考えただけで痛い話だ。

Q:FGM儀式によって死に至る少女はいるのか?

A:死亡率に対する統計はないのだが、一週間の間に出血多量や、ショックにより死ぬこともあるし、3年以内に感染症を患ったり、その後の激しい労働で死に至っているという。

 死に至るだけでなく、生涯に渉って悪影響を及ぼしているという。具体的には排尿痛、性交時における激痛、難産における死亡等。

Q:今回取り上げられているアメリカの次世代のトップモデルにおけるFGMに対する言及は正しい言及なのか?

A:FGMには大きく分けて3つある。スンナ割礼については、要するにクリトリスを切除するということだ。

比較的多いのがタイプ2:エクシジョンだ。それは、クリトリスと小陰唇、そして膣を切除するという奴。

3つ目の奴がもっとも性質が悪い。恐らくFatimaはこの被害に遭ったんだろう。

陰部封鎖という奴だ。それは、クリトリス、小陰唇、大陰唇等の外性器を全て切除し、月経血を出すために鉛筆削り程度の穴を残して、膣を縫ってしまうという奴。

性交や排泄、出産があるたびに、それを裂かなければならなく、さらに最悪なことに、その後また再縫合しなければならない。

…なんつーか、滅茶苦茶だな。

Q:FGMの悪習を終わらせるための試みは成功しているのか?

A:朗報といえば、アフリカ中で、FGMに反対する団体が活動しだしているということだ。FGMからのサバイバーたちが、まさに命を賭けて活動しているという状況だ。そして、その動きは私たちにも伝わっている。すげえ歩みは遅いけどね。だけど物事はいい方向に動きつつある。このクソったれな風習は、共同体にいる人々が動かなければ断ち切ることはできないから、Equality Nowは市民団体と共にその働きかけを行っている。

 ポルノ関連の活動ではEquality Nowのやり方は正直アレだと思ったけど、FGMに対する活動については、正直凄いなと。なんつーか、運動アプローチも、やはり、外からの働きかけだけでなく、当事者が変わらないと無理なのかなと。

 西アフリカ指導者FGMを禁止してるし、法律というフレームだったら、FGM自体は違法となっているところは多い。あとは当事者認識の問題と、治安維持に必要なインフラの問題になっちまう部分がある。それが難しいところなのかな。

 要するに、法律で禁止しても、それを取り締まる手段、パワーが貧弱というか。

 あとは、当面は、FGMに変わる代替的な手段でなんとかするしかないのかな。饅頭語源の話のようにFGMという行為の代償になるもので、尚且つ女性差別に結びつかないものを普及させるとか。

 それ書いたら、女性差別に対する意見はどうなるんだという話になるけど、今の状況って、女性差別云々を論じるレベルまでその手のリテラシーが育ってない話だし。

 ソマリアに至っては、FGM以前に、国としての基盤がめちゃくちゃだからなあ。なんつーか、そういう精神リテラシーが育つ前段階だったら、すげえ原始的な方法なんだろうけど、代替としての儀式の提示しかない。たとえば、生身の人間FGM施すんじゃなく、女性を模した人形FGMを施すとか。人形にそれやるだけで女性差別という意識が出るんだろうけど、それ以前のレイヤーの問題だろうしな。そういうことを考えることができるリテラシーが育つまではそうするしかないのかなと。

 その辺、宗教がらみよりもさらに根は深い。「何故それがいけないか」ということを考える土台がないというか。あとは、アメリカお得意の経済制裁等で国に圧力かける方法か。エジプトだったらその手段は有効なんだろうが…。

 なんつーか、そうなると、結局は「衣食足りて礼節を知る」という問題に帰結しちまいそう。

Q:彼女の「女性」に対するFatimaに対する質問は、不適切な質問だったのだろうか?

A:みんな、私にFGMに対する質問を投げかけてくる。だけど私はまっとうな質問だと思うのよ。これらの質問って、結局、共同体に結びついてくる質問だから。

わたしが女っ気がないって?何人かの女の人はこんなこと言ってるけどね。私は頭の中で性の喜びを見つけることができるって。わたしを女性とみなさないで欲しいのよ。わたしは母であり、妻にすぎないのだから。また、別の女の人はアタシが不具にされたと言ってるだろうね。アタシが性の喜びを見出せないということで。

 てか、先進国ですらそんなアホな質問投げかける奴がいるぐらいだからなあ。

Q:彼女が男とセックスできないと言ったとき、Fatimaは言いすぎだと思ったのか。

A:多分、彼女は「性の喜びを見つけられない」という意味だったと思う。それって同じ状況に遭った女性も同じことを言っていることだし。何人かの男はナイフ山羊の角を初夜のベッドに持ってきているんだ。性交するために。それは多分彼女が言ってることだと思う。

Q:これはアメリカの次のTopModelに対する適切な質問?

A:それは別にいいことよ。15年前までは誰もFGMについて話をすることがなかった。このアメリカでさえも。90年代中頃のジェラルドリベラショーに行ったときでさえもFGMについて話すことについて、まだ議論があったわけだし。

 アメリカですら、FGMが議論に上がったのはつい最近の話だしなあ。

 じゃあ、どうすりゃその状況が解決できるか。

 この問題を今回取り上げた勝間和代はこうのたまっている。

 http://anond.hatelabo.jp/20090923153050

 なんつーか、評論家という人間って、すげえのんきなんだなと思う。

女性差別を打破するには何よりもまず、女性に対する教育の質を上げることです。女性は男性の従属物だという非科学的・非現実的な発想を是正するところから始めなければなりません。

 てか、教育インフラ整えてるのは、確かに必要だけど、インフラ整えてる間にも毎年2、300万人の女の子FGMの被害食らってるという現実があるわけで、それを物理的に止めるための方法がまず必須かと。

女性は男性の従属物だという非科学的・非現実的な発想を是正するところから始めなければなりません。

 FGMが問題になってる国では、その非現実的な発想が現実的だと思ってる奴が多いからなあ。なんつーか、個人の良心に任せる前に、法や警察等の強制的な手段でなんとかするっていうレベルのような気が。ただ、それやると、金と政治の問題に帰結しちまうからなあ。

今後のアフリカ経済発展は、女性解放がどれだけ進むか、女性労働力をいかに活用できるかにかかっています。

 女性労働力以前に、身体そのものが危機に晒されてるという現実があるんだが。

 

 なんつーか、荒っぽい話だけど、とりあえず代替の儀式に強制的に切り替えさせて、とりあえず今起こってる被害を少なくした上で、啓蒙教育を考えるという段階なのかもしれない。それこそ、5000年前の常識がまかり通ってる状況だったら、それしかないだろう。

で、その件について、また違った切り口の意見があるんで取り上げる。

[性][web]ちょっと待って、「女性器切除」の話題!

http://d.hatena.ne.jp/font-da/20090923/1253674546

 ネットで検索しても、「女性器切除」を廃絶する運動の記事が多い。虐げられた女性に対する同情と、そうする男性に対する怒りから、今すぐ「女性器切除を廃絶すべき」だという思いに駆られるかもしれない。第三世界では、いまだ古い掟にムスリム女性が縛られ、犠牲になっているという議論が始まるかもしれない。

 とりあえず突っ込み。俺のエントリにも書いてるんだけど、この問題って、ムスリムだけの問題じゃねえよ。宗教問わず発生してる問題だよ。

 まず、「女性器切除」という、この行為の呼び名の問題から始めよう。日本メディアではFGM(Female Genital Mutilationの略)の訳語として「女性器切除」という言葉が用いられている。だが、この呼び名に アフリカ女性から批判があることは押さえておくべきことである。Mutilationは、日本語の「切除」から想起される「腫瘍を切除する」というような意味合いではなく、「からだの一部を切断することで身体を不完全なものにするというニュアンスがある」*1という。アフリカ女性たちは、この行為が「切除(Mutilation)」ではないから、FGMという呼び名を批判しているわけではない。同じように、身体を切り取り加工する*2ために行われる美容整形を、先進工業国では「切除(Mutilation)」ではなく「手術(Surgery)」と呼ぶことを問題視している。これは、自文化で行われる切除を「手術(Surgery)」と呼び、アフリカの習慣で行われる切除を「切除(Mutilation)」と呼ぶことへの批判である。この語の選択には「自文化中心主義」があるというのだ。岡さんは以下のように書く。

 てか、正直、言葉遊びとしか思えないんだが。これって、言葉遊びできるほどお手軽な問題なんすかね。呼び名はともかくとして、わけわかんねえ風習で、何の罪もない女性女性器の機能をぶっ壊され、一生残る深い傷を残したまま生きるし、下手すりゃそれによって人死にが出てるという現実があるわけで、呼び名なんざ、そこから考えると、それこそ「どうでもいい問題」なんだけどね。

 引用されてる岡さんの引用見ても思うけど、なんつーか、フェミニストっていう奴って、そんなどうでもいいレイヤーの話やってるのか?それこそ、言葉を乱暴にすると、「手でチンコ擦ることをオナニーというべきか、マスターベーションというべきか、それともセンズリと呼ぶべきか」という感じなんだけどね。フェミニストでもなんでもない俺から見た感じだと。

 で、ここらへんも、これ、書いてる増田を批判するのって、何か違わないかと個人的には思うんだよね。

この「僕にできること」として書かれた行為は、「かわいそうな抑圧された少女たち」という像をインターネットを通じて複製し、流布させることである。ここで言われる「現実」とは「僕」が切り取り、「僕」の目を通して、痛ましさを付与された、犠牲者イコンである。少女たちは声をあげられない。だから「僕」が代わりに語ってあげるのだ、声なき者たちの声にならない叫びを。こうして、彼女たちの声は、「僕」に奪われ消し去られていく。

 俺の場合は、とりあえず当事者意見を探して持ってくるしかないんで、今回引用したんだけど、問題付けの動機としては、やっぱり知ってもらうことが先なんだろうなと。知った上でいろんな意見が出てきてくるし、自分の身に置き換えて考えないと、実感わかない話なんだろうし。その上で、当事者の話、背景探りつつ、「どうしたら解決できるのか」という視点になるんかなと。

 岡さんは、著作でエジプト女性作家ナワール・エル=サアダーウィーの作品が、「先進国フェミニストによってどう読解されたのかについて詳述している。結論をだけを抜き出そう。「先進国フェミニストたちは、サアダーウィーの作品から、北側先進国第三世界を新植民地主義により構造的に搾取し、政治自律性を奪うことで第三世界の民衆を貧困と抑圧に追いやっている構図を消した。そして、第三世界が後進的であり、「イスラーム=抑圧的な宗教」「ムスリム女性=無力な犠牲者」という構図だけを言説化したのだ。また、サアダーウィーが「先進国」にある女性に対する抑圧を指摘すれば、パーソナルな女性という部分を抜き出し、「同じ女として」連帯しようとし、後進国とみなす自らの視線を隠蔽する。こうして、第三世界第三世界化され、女性たちは犠牲者化される。

 …なんつーか、そもそもの前提条件間違ったところで話してるって感じ。そもそもFGMイスラム教って関係ねえ話だぞ。イスラム教よりFGMのほうが先に発生してる話だしな。

 また、ここらへんについても、俺は違和感感じるんだよね。俺がアホだからなのかもしれないけどさ。

 私たちは「第三世界」の女性たちにの現実について、よりよく知らねばならない。それは「第三世界」の女性たちの自己表象をめぐる上述のような困難な状況について認識するということでもある。だが、私たち北側先進工業世界人間が「第三世界」について知ろうとするとき、「知る」という営為自体が実は、すでにさまざまなレベル差別性を帯びてしまっているという事実に努めて自覚的であらねばならないだろう。いや、そもそも他者を知るという欲望が生起するトポス自体が中立的ではありえないのではないか。

 なんつーか、「知る」という行為が差別性を帯びるんだったら、何もできねえと思うんですけどね。そもそも「知る」ことで相手に対する関心、好意が出てくるもんだと思うんで。さらに「差別」というのは無知から来ることっていうのが俺の持論なんで。「知る」と「差別」って結びつく話なのかなと。

 だが、このとき、こうした言説によって私たちが都合よく忘却の彼方に追いやってしまうことがある。それは、私たちの社会もまた、サアダーウィーが主張するように、アラブ社会アフリカ社会と同じくらい、時にはそれ以上に、父権主義的で暴力的で野蛮であるという事実であり、さらに、私たちの「先進的」で豊かな暮らしが「第三世界」に対する構造搾取の上に成立しており、アフリカ女性にとっては、そうした先進工業国の経済搾取による貧困化の問題も、性器手術にまさるとも劣らず重要な問題であるという事実である。*5

 その辺の回答については、FGMの問題にそれ結びつけることで、さらに解決しづらくなるんじゃないのかなと。なんつーか、AsIsの認識が間違ってて、なおかつToBeモデルが見えてない状況で議論してるって感じがするんですね。そんなの、俺がいるところだったら「口先でセンズリこいてるのかよ」と怒られちまう話だが。

 なんつーか、この手の問題って、要するにFGMに被害に怯えてる人が多数いる現状があって、あるべき姿って、その風習がなくなった状態なんだろうなと。

 経済搾取については、それはそれで問題なんだろうが、議論のレイヤーが違うだろと。 経済がよくなったから、今問題になってるFGMがなくなるかといったらそういう問題じゃないだろうし。まあ、警察力が強化されて、法制度が強化されてという点では有効なのかもしれないけど。なんつーか、目標についても、段階的なものがあるんだろうなと。

 じゃあ、俺ができることって、なんだろうなと。

 まずは問題の啓蒙、周知はここでやるとして、具体的にそういう運動してるところのサポートか。また、当事者の著書を購入することで、印税というもので貢献するってのもある。やれる方法でサポートしたらいい。

 ちなみに、俺が読んだのはここらへん。

 

 

 

砂漠の女ディリー

砂漠の女ディリー

 まずは、FGMって、文化云々問わず、間違ってるという認識を共有することが先。

 文化って、人に仕えるものであって、人が生贄になるもんじゃねえんで。