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kikiの「コト」

hello, my friend

今日 04:33


いつも素敵な写真と記事をアップしてくれる つばささんが
hello,my friendを貼っていて
すごく久しぶりに、ビデオを見ながら終わりまで聴きました。

もともとは衣服の通販を基盤にしたサービスでも
夏の終わりにこの曲は、とか
楽しかった日の日記とともに、そんな心の揺れる感覚に触れさせてもらえるというのは
すごくありがたいことだなと、ここを始めてみてとても思います。
hello,my friendは、小さな頃に母と一緒に聴いた思い出が強くて
「かなしくての歌がききたい」とよく頼んでいました。



your letter

09 9/4 23:13


しばらく部屋を留守にしていて。
6日ぶりの自宅です。

疲れて

体内が しん、として

あ。と気づき

ポストをあけたら 白のシンプルな手紙が。


届いてすぐの日付で読めなかった悔しさもありつつ
今夜帰ってきて、その人からの言葉を受け取れただけで
この数日の苦しさがすっと鎮まるようだった


返事。うまく綴る事が出来るだろうか

私は手紙が大好きだけれど、同時にとても緊張します。
望んで書く、でも 身を削って綴る。いつも。


ほかにも 送るねと約束している高校の友達宛ての手紙が封、出来てない。
そろそろ送らなくては






記事のタイトルとは別の曲



繰り返される歌詞が大好きです

how far

09 9/3 00:38


あさってまで自宅にいないため
携帯からのテスト





さて




私は

自分が居てはいけない場所 というのが
そこらじゅうにあると日々感じています。


それは
身なりが一般的でないことの言い訳だったり
抱え込んできたものの異様さだったり
存在する器用さを
無能だから持てずにいて、感じることなので

情けないし恥じている。


(それらを一瞬手放して逃げるために
小説に没頭したり、カメラを構えたりしているように思う)



でも今日

ふいに、
べつにどこにだって居てもいいような気がしたんです。

いい、の判断は誰がするのかって
所詮は自身です。

だから正しくは、どこにでも居られるようになればいい。というか。



望む場所に相応しくないことを嘆くくらいなら

少しでも追いかけて、変わろうとすればいいのだと


そんな簡単な結論にさえ、ずいぶん長い間たどり着けなかった

ことがまた、恥ずかしい。


冷たくなった空気のなかで今

もっとよくなりたいと思う。

あらゆる面において。
根がバカなので
きっと容易くはないけど。

どうか。間に合いますように。


today

09 8/29 01:28






ずっと行きたかったカフェに寄り
お店特製の梅シロップサイダー+小説読みしてたら、すっかり夜。

最初の注文時、スタッフの方が カメラ素敵ですね。と声をかけてくれたので
たずねてみたら フラッシュなしなら大丈夫、とこころよく許可。
他のお客様もちょうどみんなテラス席だったので
店内を少しと、必要最小限に撮って あとはおいしくいただきました。
ここのトースト食べたら 家ではもうやめよ、ってくらいおいしかったです。


雑貨店にて
青いホーローのカップ、あきらめ。
1泊旅行ぐらいできそうなカバン(半額)自分どこにも行かないので、あきらめ。
自炊でなく カフェで贅沢したのだから今日は何も買わないで帰ろう。
と思ったのに
スタンプ衝動買い。

交通費を徒歩で節約したぶん
±ゼロと言い訳して はきはき歩いて帰りました。夜風きもちよかった。




でも今いちばん欲しいのは16インチ自転車。
ただ街中の、チャリ停め方マナーが ややわからない。
乗ってる方に教わりたい。
行き先で お店の方に確認取るのが最善かな。
鍵をつける/つけないの判断とか どうしてるのみなさん?






帰りに聴いていた曲の 始まりがすごく好きです。

our minds are empty

09 8/25 23:52


髪を切りに行ったら
お店のベランダで採れたミニトマトをお土産に戴きました。
メッセンジャーバッグにまさかのミニトマトIN。ハンカチでくるんで。
潰さないように、恐る恐る帰りました。
夕飯にさっそく添えたのですが
スタッフの方たちのやわらかな空気を、そのまま吸って育ったに違いない
しみじみと甘くて美味しいトマトでした。


目標にしているマクロビオティックの料理本に
「You are what you eat.」という言葉について書かれたページがあります。
求めよさらば与えられん。何を必要とするのか。
その日のお皿にある素材ひとつひとつが明日の我が身になる、という話


食べ物の事だけではなくて、見聞きするものや捉える物事も
それにあてはまるのだろうし
細胞になっていくものと日々向き合っているというか。そう在りたい、というか
自分の皿(=時間)に、望んだり望まなかったりしながら
あらゆるものをよそって繰り返し息をしているのだと、この頃あらためて思うようになりました。
自分は何を選んできたのかって。先々に何を選ぶのかって。
選択の余地があるなんて概念さえも、そもそも横着という気もしますが。
慎重でいたい事ほど無下にしないでいることが、難しいです。
(一般論ではなくて 自分の力不足について思うところです)


ともかく
今度お店に行く時 どんなお礼をしようか、楽しみに悩もうと思います。




駄文の最後にテスト





そんなことを考えている者です。
オワリ。