2007年04月27日
壊すべき自分・壊すべきでない自分
最近、ある人々と知り合って視野を広げる事ができた。また、自分の汚らわしさを改めて強く実感し、他人に対する寛大さも身に付いた。しかし、失ったものもある。それは自信だ。結局私も低俗な薄っぺらい人間なのである。汚らわしい事、如何わしい事を考えたり行う事もある。自分に負けているのである。
私は人間関係という面倒な(?)事を避けてきたし、人間関係を作る勇気も無かった。「俺は俺だ。」「他人に気に入られる為に本当の自分を隠すような不和雷同な事は無意味だ。」と、一見カッコよくも見えそうだが(そうでもないか<笑>)実は強がって突っ張って突っ張って生きてきたのだ。しかし虚しい現実があるだけだった。本当は私だって自分を理解してくれる友人が欲しいし、異性に興味があるのも紛れも無い事実。だが、いつまでも美しい良好な関係・健全で清い関係を続けられる自信が無い。
このように、表面は強がっていても、内側には物凄く弱い自分が居る。歳を重ねて強くなったのではない。内側はどんどん弱く汚らわしくなっていって、外側の殻の厚みはどんどん増していっただけだ。しかし、殻をあまりにも厚くしすぎてヒビが入ってしまったようだ。外部の刺激により殻の外側は熱で膨張し、内側は冷たく収縮していた。とうとう殻の内側と外側の体積差による歪が応力限界を超えてしまった訳だ。自分の弱さが外に出てきてしまった。
私は自分自身の汚らわしさと、世の中の汚らわしさを嫌で嫌でたまらない。時々くだらないテレビ番組がやっていたり、時と場所を弁えずに公然と下品な下ネタを話している人達を見ると何て奴等だと思うけど、自分にもそういった一面が無いと言えば嘘になる。とてもとても嫌でたまらない。生きている事さえ嫌になる事がある。私はもっと前向きに生きていくべきである。しかし、前向きに生きる自身が今の私には無い。
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Posted at 2007/04/27 15:01:38
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