出会いは1981年5月。まだ手のひらに載るほどの大きさだった。目も開かずに、栄養失調だったのか衰弱。「このままじゃ死んでしまう」。人間の赤ちゃん用の粉ミルクと、猫用の哺乳(ほにゅう)瓶を買ってきて、人肌の温度で与えると、吸い付くように飲み始めた。目を開いた瞬間、「お父さんと認定された」と感じた。「それが28歳、人間で120歳の年まで生きるなんてね」。成長に驚く。
最初に引き取ったのは、北九州市に住む妹峰子さん(71)。雨の日に、小学生女児2人がぬれた猫を抱え、途方に暮れていた。峰子さんが聞くと「お母さんに『飼えないから元の場所に戻しておいで』と言われた」と泣く。しかし、峰子さんの家も公団住宅。そこで白羽の矢が立ったのが、飯塚市に家を建てて1週間の、「猫好き」の兄だった。
「みーちゃん」と名付けたその猫は、玉江家で“大活躍”を見せる。庭ではツバメやキジバトを捕まえる「名ハンター」。83年に頴田町口原(現・飯塚市口原)に開店した飲食店に連れて行けば、玄関先にチョコンと座る姿が「かわいい」と話題になる。「本当に『招き猫だ』と思ったよ」
みーちゃんはここ2、3年、歩くときよろけるほど足腰が弱った。食欲旺盛だが、牙は抜け落ち、店で残った魚のアラの塩焼きは「お父さん」がかみ砕いてあげる。その苦労も「11年前に亡くした妻の代わりの相棒。一緒にいて癒やされるからね」といとわない。
福岡市獣医師会によると、同会で毎年長寿猫を表彰するが、基準は15歳以上。
「28年も連れ添えば、人間の言葉が分かるんでしょう」。「みーちゃん」と呼べば、か細い声で「ナー」。「寝るよ」と声を掛ければ、先にふとんの前にゴロン。「30歳まで生きてもらわなね」。頭をなでると、ゴロゴロとのどを鳴らした。 (山路健造)
=2009/09/22付 西日本新聞朝刊=