「諸君」 平成14年3月号 掲載
ノドから手が出る秘策あり
−小泉政治は「悪の華」−気がつけば1億「暗夜行路」の地獄行き
ドン底2、3月危機を回避するためにも今こそ
「政府通貨発行特権」で日本経済を蘇生させろ
大阪学院大学教授 丹羽 春喜
昭和五年(1930年)兵庫県生まれ。関西学院大学経済学部、
同大学院経済学研究科博士課程卒関西学院大学社会学部教授、
筑波大学社会科学系教授、京都産業大学経済学部教授を経て、
現在、大阪学院大学経済学部教授。経済学博士。
日本学術会議第16期会員をも務めた。
著書に『社会主義のジレンマ』『ソ連軍事支出の推計』(「防衛図書出版奨励賞」受賞)
『ケインズ主義の復権』『日本経済再興の経済学』『日本経済繁栄の法則』ほか多数
経済は瀕死の重症
いま日本は未曾有の経済・財政危機に陥っています。
昨年四月に誕生した小泉内閣は、「改革なくして成長なし」をキャッチフレーズにして構造改革論議に終始してきました。新年の記者会見でも構造改革路線の継続を強調しつつ、経済政策についての“所信表明”を行ないました。ポイントを整理すると、「金融不安回避のためにあらゆる手段を講じる」「消費税も対象としつつ、税制改革議論を始める」「ぺイオフ凍結は予定通り今年4月に解除する」「時代に対応できない企業の淘汰はやむを得ず、新しい成長産業への支援策をとる」といった点が翌日の新聞一面に踊りました。
いずれも「迂遠なり!」と言うほかありません。新味もぜんぜん無しです。相変わらず圧倒的な国民の支持率に支えられている小泉政権ですが、その支持率の高騰とは裏腹に、鉱工業生産が十数パーセントも落ち込み、倒産も多発し、完全失業率は(失業率を低く見せるクセのあるわが国の雇用統計においてさえ)史上最高の5.5パーセントに達する勢いです。株価は1万円割れも時間の問題といった状況で、金融機関のシステムリスクも極めて重大化しており、わが国の経済はまさに瀕死の重症に陥っています。
構造改革政策で脱出不可能
この状況下で、構造改革の断行が最優先事項だといえるのかどうか。答えはノーです。
構造改革の諸政策を行なうことで未曾有の危機から脱出できるといった因果メカニズムはなにひとつありません。仮に百点満点と評価されるほどの構造改革政策を行ないえたとしても、それは何ら日本経済に好景気をもたらす特効薬とはなりえません。危急存亡の日本を建て直すつもりならば、国内総需要の思い切った大幅な増大を行なうことが、唯一の確実な方策です。景気回復と何の因果関係もない構造改革なるものを、政策の最優先順位に置くことは、はっきり言って大間違いです。
昭和16年秋の失敗を教訓にせよ
いまの日本を見ていると、この状況と極めて類似した時代があったことに気づかされます。
それは昭和16年秋の日本です。すでに泥沼化した支那事変から抜け出せずにいた日本はこの年の12月に、ハワイ真珠湾での奇襲攻撃開戦を機に、英米との全面的な戦争に突入しました。
同年の秋、時の近衛内閣が考えていた選択肢は三つしかなかったのです。
@全面屈伏か、
A石油輸入さえもが不可能にされているような徹底的な経済封鎖下に置かれつつも、隠忍自重じっと我慢するか、
B開戦するか、
の三つでした。その選択をめぐって9月6日に御前会議が行なわれ、「対米外交交渉が十月になってもまとまるメドがつかない場合は、開戦も止むなし」という決断を下さざるを得なかったことは、よく知られています。
ほかの選択肢はなかったのか
戦わずして英米に加えてオランダ、そして中国国民党政権に全面的に屈服する道を政府が選んでいたら、国内は大騒乱の内戦状態になり、国家解体という最悪の事態を招きかねませんでした。 また無為に隠忍の日々を過ごす選択肢も不可能であることは、火を見るより明らかでした。石油が一滴も国内に輸入されえない状態で、国家経営などできません。軍隊も戦闘能力が機能しませんし、国内経済自体も壊滅します。
そういうわけで、当時の選択肢のなかでは第三の「開戦も止むなし」を選ばざるをえなかったわけです。対米兵力比率の推移から見ても相対的に最も善戦できるのが昭和16年末であると見積もられていたのですから、なおさらのことでした。
しかしその後、その年の10月に近衛内閣総辞職、東条英機が組閣の大命降下をうけ、昭和天皇より、さきの御前会議の決定を「白紙にもどし、広く深く国策を再検討せよ」とする「白紙還元のご掟」が下されたのです。政府の各省庁や陸海軍統帥部は検討に検討を続け、大本営政府連絡会議で連日議論を重ねました。しかし右記の三つの選択肢のワク内で検討しただけでしたから、結局、11月5日の御前会議での結論は、白紙還元前と同じ「外交手段による交渉不成立の場合は開戦する」というものでした。
はたして、東条首相が陸軍参謀総長と海軍軍令部総長とともに昭和天皇のもとに参内したときに、新しい着想の救国策として奏上できる、「第四の」オプションは本当になかったのでしょうか。
第四のオプションは蘭嶺東インド(現在のインドネシア)の油田地帯のみの保障占領
その時点で決定的に有効な「第四の」オプションは、当時の蘭嶺東インド(現在のインドネシア)の油田地帯のみを保障占領する、という国家戦略であったはずです。
つまり、日本には領土併合する意図がないことを声明した上で、対日石油輸出の履行を促進・確保するために、蘭領東インドの油田地帯と石油積み出し港にわが軍が進駐すればよかったのです。必要兵力も、混成一個旅団程度で間にあったはずです。
当時、こういった保障占領は各国が行なっていた常套手段でした。すでに英米両軍が共同してアイスランドを占領していましたし、昭和16年には春にイラクを英国が占領し、夏にはイランを英国とソ連で分割占領してしまっています。
この「第四の」オプションを手にしていれば、わが国の対米全面開戦は回避できたはずです。アメリカ国内では飛行機で世界初の大西洋単独無着陸横断を果たした「空の英雄」リンドバーグ大佐が中心となった反戦運動が盛んで影響力もありましたから、オランダの亡命政権(在ロンドン)に頼りなく帰属しているらしいといった太平洋の西の果て、東南アジアのどこかの島の一角に、日本軍のわずかな兵力が進駐したぐらいで、対日全面戦争の火蓋を切ろうなどという米国の世論は沸き上がらなかったはずです。
対米戦争が始まらなければ、対ドイツ戦で苦戦中の英蘭両国との戦争も回避できたのです。
「第三の」歳入財源は通貨発行
翻って、いまの日本も同じ状況下にあります。バブル崩壊後の長引く経済不況下で、とるべき指針は何か。細川内閣から小泉内閣まで、歴代内閣はいたずらに在来の政策立案パターンの枠内のみで堂々巡りをしてきただけで、新しいオプションを提示できずに終わってきました。現状を打開するには、つまるところ国家財源をどうするかに尽きます。経済学の教科書をひもとげぱ、国の財政収入を得る手段は「租税徴収」「国債発行」「通貨発行」の三つだと必ず書いてあります。
「第一の」歳入財源は税金
まず税金に関しては、とくに消費税率議論が何度も行なわれ、政治家や経済学者、そしてマスコミからも税率を30パーセントに引上げよ、などといった提言もなされてきました。しかし、それらは現実味に乏しいヒステリックな空論に過ぎません。実施すれば日本経済が潰れるだけではなく、結果的に歳入が減少して財政も完全に破綻するでしょう。つまり、税金の徴収方法をいくら改良しようとも、わが国の財政と経済を再建・再生しうるような効果は期待できません。
「第二の」歳入財源は国債
国債も発行残高が400兆円という膨大な額になっています。地方自治体の地方債も加えると六百数十兆円にも達します。そこで小泉政権は2002年度以降の新規国債発行を年額30兆円以下に抑えるという緊縮路線を公約・言明しています。しかし今後、この30兆円はそのほとんどの額が累積してきた既発の国債への利払いやその償還(借換えが大部分ですが)に当てられ、景気を刺激するための財政政策の財源として使う余裕などはなくなります。しかも、毎年30兆円ずつにしろ、国債は増え続け、その利払いや償還額も増えていきますので、その他の財政支出は削られていかざるをえません。それはますます不況を深刻化させます。
「第三の」歳入財源、通貨発行を決断せよ
残されれたオプションは通貨発行しかありません。ところが、いまだかつてこの第三のオプションが考慮されたことはありませんでした。あたかもパンドラの箱のごとく、封印されつづけてきたのです。これまでの政府や経済閣僚、担当省庁の役人も気づいていないはずはありません。彼らは気づいていないふりをし続けていたのです。これは犯罪行為にも等しい大罪です。
とにかく、「財政」と「経済」の二本柱を建て直すことこそが救国の急務です。
400兆円もの累積国債額のうち、可及的すみやかに250兆円程度を償還できれば、まず財政再建に目処がつきます。経済についても、平均年率7〜10パーセントの高度成長の回復軌道に乗りうるような大々的な内需拡大政策をとるべきです。
高度成長の条件(生産能力の余裕)は揃っている
日本には、これを実現するだけの生産能力の余裕があることが、実は多くの日本国民には伝えられていないかもしれません。高度成長末期の1970年と比較して、現在は企業の資本設備の総量は7倍以上になっているのに対し、実質総生産は2倍半、鉱工業生産も2倍程度の水準にしか達していません。この対比で分かるように、テクノロジーの変化を考慮に入れたとしても、資本設備がうんと遊休(稼働率の低下)していることは明らかです。労働力に関しても、失業率の上昇や雇用システムの変化などで、きわめて多くの労働力が遊休状態にあるのです。
このようにマクロ的に需要が不足して実質生産が生産能力を下回っているとき、完全雇用・完全操業時の生産能力の上限である「天井」と比べて、総生産量が落ち込んでいるその差をデフレ・ギャップといいます。現状は天井からみたときに総生産の水準が下回っているこのデフレ・ギャップ幅、つまり生産能力の余裕が40パーセントにも及んでいるのです。譬えるならば、最高時速200キロのイタリア製スポーツカーが、高速道路上であるにもかかわらず無理に制限されて、時速80キロ以下で走ることを強いられ、その性能を活かしきれていないのと同じ状況です。
日本のGDP(国内総生産)は、八百数十兆円まで可能
日本経済におけるこの潜在的な生産能力の余裕は膨大です。日本のGDP(国内総生産)は、年間約500兆円ですが、これは総需要の不足でデフレ・ギャップがいまのように生じているままでの数字です。もし完全雇用・完全操業状態ならば八百数十兆円のGDP水準まで可能です。つまり年率400兆円弱にも及ぶ膨大な生産能力が宙に浮いている。逆に見れば、潜在GDPを毎年400兆円近くも失っているのです。
今までに失われた潜在GDPの額は累計でおよそ4000兆円
実はデフレ・ギャップが生じ始めたのは、第1図(次頁)が示すように1970年代半ば頃からですが、現在までの二十数年間で実現されずに失われた潜在GDPの額は累計でおよそ四千兆円(90年価格評価の実質値)というまさに天文学的な数字になるのです。これはロシア一国のGDPの四百年分に相当する額です。いま日本の企業は円高を嫌って海外へ工場を移転させたり、生産プラントの閉鎖や破棄に追い込まれたりと、九〇年当時よりいっそう産業空洞化が深刻化しつつありますが、しかし今なお依然としてこの巨大な生産能力の余裕を保有していることこそ、日本経済の究極的な力であり、「真の財源」だと言えます。
第1図
昭和16年には生産能力の余裕なし
昭和十六年との比較で一点だけ違いがあるとすれば、当時はこの生産能力の余裕がありませんでした。支那事変で主に戦ったのは陸軍で、海軍は支援作戦にとどまっていました。その海軍ですら十六年までに費やした戦費は約百億円にのぼっています。当時のGNP百七、八十億円と比較すれば、莫大な額を費やしたことになります。その百億円を最新鋭航空母艦建造費に充当していれば、抑止力効果で対米戦争は起こらなかったのではないか、あるいは強大な戦力で我が国は楽勝していたのではないか−−こんな仮説があるのです。当時は航空母艦の建造費は一隻一億円でしたから、単純計算では百隻も建造できたことになります。
しかし、この仮説は荒唐無稽です。なぜなら、当時の日本が保有していた戦艦や空母など大型艦の同時建造能力は四隻分しかありませんでした。横須賀と呉の海軍工廠に加えて、神戸の川崎造船所、長崎の三菱造船所。この四ヶ所だけです。戦艦や空母は進水までに約二年半、その後の艤装にまた二年、計四年半以上の時間が必要でした。実際に昭和十二年から十六年までの間に日本が建造しえた戦艦と空母は、戦艦が大和と武蔵の二隻、空母が飛龍、翔鶴、瑞鶴の三隻、つまり五隻です。これで精一杯だったのです。
昭和16年のようにモノやサービスの生産が滞っていたときにこそ、構造改革が必要
あの当時のようにモノやサービスの生産が滞り、随所に隘路が生じているようなときにこそ、その打開策として構造改革が必要なのですが、現在は供給力は需要に対して充分に応じられます。在庫変動額はGDPに対して0.1から0.5パーセント程度のレベルで、需給のミスマッチや需給ギャップなどありません。現在のわが国では需給は立派に均衡しているのですが、そのマクロ的な需給均衡点(いわゆる「ケインジアン・クロス点」)そのものが、総需要の低迷によって低いところにあり、したがってデフレ・ギャップが大きく発生しているのです。 さて、このマクロの需要を拡大するには財政政策の大規模出動と、そのための財政改革が不可欠です。さきどの「税金」「国債」に代る第三の財源「通貨発行」に工夫を凝らしていくしかありません。
日銀券と政府貨幣の違いがわかりますか?
ここで想起すべきは「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」(昭和六十二年、法律第四十二号)です。我々が「日銀券」とならんで日常的に使っている五百円以下の硬貨や、記念貨幣などを政府が発行するための法律が、これです。
日本でいま流通している通貨のうち、紙幣は中央銀行である日銀の日本銀行券、硬貨は政府貨幣に分けられますが、この銀行券と政府貨幣の違いが重要なポイントです。これは専門家もあまり指摘していない点ですが、私は強調しておきたい。
国債を日銀に買わせての日銀券の発行額は日銀の負債勘定に計上され、政府は「造幣益」を得られない
日銀券は、いわば日本銀行という銀行が振りだした手形ですから、日銀にとっては紙幣の発行額がそのまま負債勘定に計上される、つまり日銀の借金になるわけです。国債を日銀に買わせたとしても、政府が日銀から借金をしただけの事ですから「造幣益」という形で政府の正味の収入になるわけではありません。
日銀券の発行は、日本銀行法に規定されています。平成十年三月末までの旧日銀法では紙幣発行には金融資産の担保が必要でしたが、同年四月に実施された現行の日銀法では担保は不要となった。ですから理論上は巨額の発行も可能にはなりましたが、その発行額が計上されるのはあくまでも日銀の負債勘定です。発行額が大きくなり過ぎれば、日銀は債務超過になってしまう。民間の金融機関と違って債務超過となっても中央銀行としての働きの続行は可能ですが、マスコミは大騒ぎをし、わが国の金融政策と金融システムの信頼度が大きく損なわれることになるのは不可避でしょう。
政府貨幣発行は日銀の資産勘定に計上され、政府の負債勘定に計上されず、正真正銘の財政収入が得られる
しかし、政府貨幣は性格が違います。これは発行高の上限も定められていないので何千兆円でも発行できますし(記念貨幣の形式にすれば額面の制限もなくなります)、担保も不要です。しかもこの政府貨幣の発行額は日銀券の場合とは異なって負債としては扱われず、政府の負債勘定に計上されることにもなりません。ですから、その発行で正真正銘の財政収入が得られます。つまり発行された額面金額から原材料費や鋳造費、人件費などのコストを差し引いた額が「造幣益」として、国庫に入るのです。無限に発行でき、担保もいらない。借金ではないので、利息の支払いや元本の返済も不要、いくらでも造幣益が手に入るーーこんな「打ち出の小槌」のような政府貨幣の発行を実施しない手はありません。
さらに付言すれば、政府貨幣は何も硬貨だけである必要はありません。前掲の現行法の規定では紙幣でも良いのです。
ただ留意すべきは、日本の社会に整備されている金融システムのインフラの問題です。一昨年に発行された二千円札は千円札や一万円札と同様の日本銀行券ですが、現在めったにお目に掛かりません。キャッシュディスぺンサーや自動販売機などがこれだけ整備されているご時世に、二千円札対応マシンやソフトの整備をすることだけで膨大な費用がかかってしまう。実際に二千円札に対応できる機械は市場にほとんど存在せず、国民も使い勝手が悪いからと敬遠しました。その結果、大部分の二千円札は日銀に還流してしまい、市場にはほとんどありません。ですから、仮に政府紙幣を発行するとしても、文字通りの紙の通貨を発行するのは現実的ではないのです。
具体的には「政府貨幣の発行権」を日銀に販売し、日銀は保証小切手を政府に一枚渡す方式
この難問も発想の転換しだいで、クリアできます。それは政府貨幣の発行権を、政府が日銀に売却することです。例えば五百兆円分の政府貨幣の発行権を、その額面の一割引、つまり四百五十兆円にして日銀に売る。日銀は四百五十兆円と記載した保証小切手を政府に一枚渡すだけで、五百兆円分の資産を保有できることになります。しかも日銀にとって、この政府貨幣の発行権は超優良金融資産です。まさに濡れ手に粟で得た五十兆円分の利益で、日銀の資産内容も改善できる。中央銀行が健全化すれば、金融政策の信頼度も、当然ながら向上します。
このプロセスに疑義を唱える方もいらっしゃるかもしれませんが、れっきとした合法政策です。日銀法の第三十八条に規定されている「信用秩序の維持に資するための業務」の適用にあたります。
つまり二つの現行法を巧みに運用することによって、日本政府は一挙に四百五十兆円もの巨額を追加的な財政収入として計上することができるのです。この四百五十兆円のうち、約三百兆円は政府の債務を大幅に減らすために投入することにしましょう。累積債務は約六百兆円ですから、これでその半分を償還し、残りの百五十兆円を景気対策費として活用するのです。
時限的に、例えば三年間で五十兆円ずつ景気対策に投入するというヴィジョンを描けばよいのです。しかしいま、各省庁や地方自治体などは長年の不況で萎縮しきっており、マスコミ等も左翼陣営と共同戦線をはって「公共投資はもうイヤだ!」と叫んでいる始末です。
全日本国民に対して、年額一律四十万円ずつ「潜在経済力活用費」というような名目でボーナスを支給
そこで、具体的には赤ん坊から老人まで一億二千六百万人の全日本国民に対して、年額一律四十万円ずつ「潜在経済力活用費」というような名目でボーナスを支給することにすればよいのです。この年間給付総額はGDPの十パーセントに相当します。それを三年くらい、必要とあれば五年ほど続けてもよいでしょう。この施策を実行すれば、控えめに見積もっても二年間ほどで百兆円のGDP上昇、年率約十パーセントの経済成長が確実に約束されるのです。この成長率は高度成長期のそれに匹敵しますので、瞬く間に不良債権が優良債権に、不良資産は優良資産へと転化することも確実です。
また、この政策ですと「消費者主権の原理」の貫徹という市場メカニズムの特質にピッタリ適合していますので、産業構造に不自然な歪みが生じる心配もありません。
指定された預貯金口座に振り込む方式
しかも全国民に四十万円のボーナスを支給する際に、現実には大規模な紙幣増刷は必要ありません。支給方法としては、指定された預貯金口座に振り込めばよいのです。振り込む時には預貯金口座に電子信号を送り込むだけですから、紙幣は不要です。国民一人一人がこの四十万円を消費や投資に使う際にはある程度現金を口座から引き出しますが、それは結局商品を売った店や企業を通じて金融機関に還流されてくる。現実に必要な現金通貨の流通量の増加は、GDP増加額の一割、すなわち十兆円程度で済む話なのです。
「国民へのボーナス」というと九九年の「地域振興券」を連想する方も多いと思いますが、今回の提言と比べると、その手法や効果には、雲泥の差があります。まず交付総額の規模が七千億円程度と少なく、対GDP比0.14パーセントにしか過ぎませんでした。財源も税金と国債で賄われていますから、国が国民から微収したカネを再度還流させただけです。使用形態も発行体である市町村内に限られ、そのなかでも特定された事業体でしか使えませんでした。受給者も十五歳以下と六十五歳以上に制限された等々ーー諸々の制約の下で行なわれたあの政策は、総じて不人気で景気振興策としては非力でした。やはり受給者の制限も設けず、簡単明瞭で画期的な景気回復効果がある政策こそが、国民にも真に受け入れられるのです。
こうして考えると、「国の貨幣発行特権」の大規模な(間接的)発動による財政と経済の再建・再生策では、だれも困りも損もしません。政府は財政体質が改善される。日銀も負債を抱える必要はない。国民に対しても現在の世代はもちろん、将来の世代にも負担をかけません。“三方一両損”どころか、三方が得をする政策なのです。私のシミュレーションによれば、この提言の実施の有無で生じる将来のGDP格差は莫大です。第二図が示すように、2010年度時点には、実施ケースでは1020兆円にまで成長するGDPが、現状の緊縮財政政策を持続させた場合にはマイナス成長に拍車がかかり、310兆円という悲惨な低水準にまで落ち込む計算になってしまうのです。
第二図
付表(緊縮財政シミュレーション)
単位(兆円)
年度 | 国債金等 年間国債発行額 および 借入金純増額 |
国債費 純償還額 および 利子支払い額 |
プライマリー・バランス赤字額 | 税収総額 (中央政府) |
国債および 政府借入金の残高 (年度末) |
GDP |
平成12年 (2000) |
47,6 | 22,6 | 25,0 | 50,7 | 545,0 | 490,1 |
平成14年 (2002) |
46,3 | 26,0 | 20,3 | 47,2 | 617,3 | 477,0 |
平成18年 (2006) |
48,5 | 32,5 | 16,0 | 31,1 | 763,7 | 401,5 |
平成20年 (2008) |
47,9 | 35,7 | 12,2 | 22,9 | 833,3 | 353,7 |
平成22年 (2010) |
46,7 | 38,7 | 7,9 | 17,0 | 898,4 | 312,2 |
(注)平成12年度は実際値(もしくは予算値)である。
「通貨発行」は極めてオーソドックスな手法(経済学を知らない人はヘリコプター・マネーとバカにする)
経済学の歴史をみても、すでにこの方策が極めてオーソドックスな手法であると言うことができます。
ロシア出身のアメリカ人経済学者P・ラーナー教授や、ノーベル経済学賞を受賞したJ・ブキャナン教授といった一流経済学者が唱えてきたのも、このような政策理論でした。
注目に値すべきは、このブキャナン教授が公共選択論学派を打ち立てた指導的な学者で、本質的には反ケインズ主義者として名を馳せた、そして霞が関の政策担当者や官庁、エコノミストたちの間でも話題にのぼる人物だということです。
ノーベル経済学賞を受賞したJ・ブキャナン教授(公共選択論学派)の三原則
ブキャナンの考えは次の三つの原則に基づいています。
第一が、生産能力に大きな余裕があって、需要が増えれば、物価上昇なしにモノやサービスがどんどん供給されるということ。第二に、財政政策の財源を税金や国債ではなく通貨発行から調達すること。第三が、政府機構を肥大化させないこと。
先に提言した「国民へのボーナス支給案」はこの「ブキャナン三原則」になんら抵触せずクリアできます。
このプキャナン学派の影響を受けた経済学者は多く、なかでも慶応義塾大学系の有力なエコノミストたちには非常にそれが色濃く見られます。竹中平蔵経済財政相もその一人です。彼らがこの三原則を知らないはずはありません。
他方、リチャード・クー氏や植草一秀氏といった小泉内閣の経済政策に批判的なエコノミストにはケインズ主義者が多いのですが、このような諸氏の場合も、その財源についての考え方を、国債発行からなんらかの形での通貨発行「造幣益」の活用へと転換させるだけで、問題解決への近道が待っているはずなのです。
この政府の貨幣発行特権ーーセイニアーリッジ権限seigniorageといいますーーを工夫して活用しさえすれば、この未曾有の経済不況と財政破綻の危機を乗り越えうる有効かつ具体的な手だてを明確に提示できるはずなのです。
政府紙幣発行は現実的でリスクの少ない政策
この提言に対して、「禁じ手」を使おうとする異論だといった批判をする人がいるかも知れません。しかし、これほどにも現実的でリスクの少ない政策はないのです。
日銀券と政府通貨の二重性を指摘する人もいるでしょうが、いま現在ですら紙幣と硬貨の双方が流通していますので問題は生じようがない。しかも、この私の提言では「新一万円札」とでもいうべき新紙幣を発行する必要などは一切ありません。“二千円札の教訓”をしかと学ぶべきです。
二重性を批判する一方で、景気対策として通貨単位切下げ、いわゆるデノミを実施すべきだという意見が一部に強くあります。
竹中大臣も昨年十月、「デノミは景気刺激効果をもたらすので、来年度の政策案の一つとして積極的に取り上げるべきだ」と提唱しています。しかしデノミを行なったところで、現「一万円」を「百円」と言い換えるだけにすぎず、実体経済には何ら影響を及ぼしません。むしろ二千円札のケースと同様、金融システムのインフラを再整備する必要が生じます。企業の会計ソフトや帳簿・伝票類なども、やり変えねばなりません。このコストこそが莫大で、むしろ不況を一層激化させることになりかねません。床屋政談風に貨幣単位が小さくなるので「値ごろ感を覚えて消費支出が増える」などというのは俗説にすぎません。今は、現行の通貨単位を活用すべきです。デノミ実施は景気回復後の話でよいのです。
国債償還による過剰流動性発生の防止策あり
もう一つ、国債を償還する際に過剰流動性の問題が生じるという指摘もあります。
確かにこれには十分に注意しなければなりません。過剰流動性とは、運用対象を見いだせない余裕資金が、有効需要支出に向けられずに、博打的マネーゲーム的な使途にばかり使われるような状態でだぶつく現象
をいいます。
その防止策もあります。まず政府や日銀が、アメリカ等の国債や社債を大量に購入しておく。これと、国内投資家が保有している日本政府発行の国債とを等価交換することによって、既発国債を国庫に回収するーーこういうやり方です。
アメリカ国債の購入は、円高防止策も兼ねています。もとより内需拡大策を十分に行なえば、必然的に円はもっと安くなり、それによってわが産業の対外競争力は回復できます。1ドル160〜170円ぐらいが
適正レートでしょう。日本政府の政策は1973年に変動為替相場制に移行して以来、内需を抑え過ぎてきました。その結果、貿易収支は過度に黒字となり、円高をもたらし、対外競争力を弱めて産業空洞化の危機を招いてしまいました。国際経済のなかで、内需不足のためわが国の産業が輸出に活路を見出そうとしても、「円高でモノが売れない→必死で努力をする→さらなる円高を招く」という悪循環に陥っていったのです。
内需拡大による円安で国際協調をめざせ
変動為替相場制がこうした危険を孕んでいることについて、政策当局は当然承知していたにもかかわらず、なんら有効な手立てを講じてこなかった。わが国民の間では、産業空洞化をグローバリズムの流れの中では止むを得ないと考える風潮もありますが、それは政府の失政を弁護することで、自分の首を自分でしめて苦しんできたようなものです。自由貿易を通じて国際分業社会のなかで利益を享受することは、同時にそのメカニズムをより理解した合理的な政策運営で、共存共栄を図っていくことが肝要です。ところがわが国の場合、政府が当然なすべきであったケインズ的政策ーー内需拡大路線を打ち出す、景気政策で国際協調するなどーーを怠ってきたつけがいま現れているのです。しかし、大々的な内需拡大政策を断行しさえすれば、異常な円高の進行で苦しめられてきた四半世紀にも及ぶ日本経済の苦難の道程からも、脱することができる
のです。
巨大なデフレ・ギャップをなぜ隠すのか?
さて現在の日本でデフレ・ギャップがなぜ議論の狙上にのぼることが少ないのかと言えば、そこには奇怪な世論操作が行なわれてきたからです。
私がデフレ・ギャップの計測結果を示した第一図は、経済統計体系の基本である国民所得統計、就業統計、企業の資本ストック統計の、三つの公式統計データと極めてオーソドックスな経済学の生産関数理論をつかって算出した算定結果です。統計の数字は意図的に改変するようなことを厳に避けて算出していますが、エコノミストであればだれでも容易に算定して見出しうる巨大デフレ・ギャップの発生と拡大というこの明確な事実を、従来の経済企画庁ーーいまは内閣府になりますがーーは、ひた隠しにしてきたのです。過去十年、この正しいコンセプトでのデフレ・ギャップについて旧『経済白書』が触れたことはありません。昨年末に発表された『経済財政白書』でも、同様に隠蔽しているのです。
巨大デフレ・ギャップ下で「インフレ・ターゲット論」は不可能
いま大流行の景気対策案のひとつに「インフレ・ターゲット論」があります。物価を一定の目標率で上昇させて景気を刺激しようという政策発想ですが、巨大デフレ・ギャップが発生して居すわっている現在の日本経済ではまったく非現実的で、間違っています。
本来インフレ・ターゲットとはインフレ・ギャップを発生させて、そのギャップぶんだけ物価が上昇することを期待するという手法ですが、日本はデフレ・ギャップが40パーセントという現状ですから、インフレ・ギャップを発生させることなどまったく不可能です。
竹中大臣は潜在成長率が景気回復を阻害していると発言していますが、これは妄言です。なぜなら「潜在成長率」とは完全雇用・完全操業の潜在GDPという「天井」の勾配のことだからです。上述のごとく、潜在GDPの天井から見て400兆円ものギャップが厳然と存在しているのです。第二図のごとく、高度成長期並みの年7パーセント成長が10年続いたとしても、まだそのギャップが埋められないほど、実際の実質GDPは潜在値の天井よりもはるか下にあるのですから、天井の勾配を云々する竹中発言は無意味です。その竹中氏もインフレ・ターゲット論者ですがまったく信憑性はありません。
旧大蔵省、旧経企庁、日本銀行や民間のシンクタンクも同罪
なぜ「インフレ・ターゲット論」が持て囃されるのかーーこれも原因はデフレ・ギャップに蓋をする『白書』にあります。
この白書が経済財政動向の指針として重要なので取り上げましたが、ことはこの一省庁の問題に限りません。旧大蔵省、旧経企庁、加えて日本銀行や民間のシンクタンクも同罪です。民間でも金融・経済業界には官僚からの天下りトップを抱える事例が多く見られ、同根です。問題の基底には、旧大蔵省を中心勢力とするグループの影に、ある隠された意図が存在することは明確です。つまり「ケインズ主義を復活させてはならぬ」という迷妄ともいえるイテオロギーでしょう。
巨大デフレ・ギャップを隠し続けるアメリカの新古典派とマルクス主義の影響下にある経済学者
迷妄の背後には、アメリカの新古典派とマルクス主義の影響が大きく存在しています。この二つが融合しだすのが1970年代のことです。新古典派の特徴を一言でいえば“ベトナム後遺症”つまりベトナム戦争後に蔓延したニヒリズムの影響を色濃く受け継いでいます。また日本では60年代後半から70年まで続いた「いざなぎ景気」の反動に加えて、水俣病などの公害問題に揺れた直後に「くたばれGNP」といった流行語に代表される反ケインズ主義キャンペーンが巻き起こりましたが、これはローマ・クラブを象徴的な存在として頂くエコロジストと共同歩調をとってきました。このような動きは、当然ながらマルクス主義陣営からの支配的な影響を受けてきました。
この二つのイデオロギー勢力が融合して、日本に及ぼした政策思想的な支配力は大きく、その影響は政界と官界、それに学界まで及び、三者が結託しているような構図を創りだしています。このような勢力による思想支配によってケインズ的政策が封印されてきたために、第一図が示すようなデフレ・ギャップの拡大による“大惨害”が生じたのです。
「財政支出」が少なすぎたと、なぜいわないのか?
なお、「わが国では政府の財政支出は増やされすぎ、その対GDP比率がきわめて肥大化してきたにもかかわらず、経済を回復させる効果はなかった」とする風説が流されていますが、これはぎわめて悪質なデマです。1980年度から2000年度までの期間、実質GDPは1.66倍の伸びですが、一般政府支出は1.51倍、公的投資は1.41倍の伸びしかありませんでした。やはり、国と地方の財政支出が不十分であったことが、日本経済の不振・停滞の大きな原因です。
日銀の金融緩和政策は効き目がないとなぜ言わないのか?
近年、日銀の金融緩和政策に期待を寄せる向きも多いのですが、いまの激しい不況では企業はゼロ金利でもあまり投資しようとはしません。いわゆる「流動性のわな」という現象が生じています。この現象は深刻な事態を招いていて、いくら日銀が通貨供給を増やしても金融緩和に実効性はありません。単に通貨の流通速度が下がるだけです。
こうして考えてみると、やはり日本の経済・財政の再建には、私が強く提言してきたように、有効需要(モノやサービスを実際に買う需要)の総合計としての「総需要」を増やすことによってGDPを引き上げるという、オーソドックスな政策を大々的に実行するしかないのです。
坂本龍馬も理解した明治維新の政府紙幣発行は、大成功!
日本の近代以降、政府紙幣の礎は明治の「太政官札」に始まります。大政奉還後の慶応三年、維新の志士・坂本龍馬と財政家であった由利公正(三岡八郎)が協議した結果生まれたこの太政官札が、明治維新後の新政府の財源になりました。王政復古の宣言が出される直前、由利公正は福井藩で謹慎処分の身にあったため京都に出てこられず、坂本龍馬がわざわざ福井にまで会いにいったといいます。
後の維新政府がもっとも恐れていたのは、経済の更なる悪化でした。三百年の栄華を誇った徳川幕府が倒れたため、経済は先行き不透明で萎縮し、江戸の町も灯の消えたように寂れていたといいます。現在の日本とも類似点が多く、経済学的にいえばまさにデフレ・ギャップが生じていた時代です。
その回復策として「政府紙幣(不換紙幣)」としての太政官札(後に「民部省札」「新紙幣」)を発行して、その造幣益で維新政府の財源を確保し、戊辰戦役の戦費や文明開化の近代化の