国際勝共連合は、2004年4月1日に創立36周年を迎えた。創立当時の1968年は国際共産主義の脅威が吹き荒れ、わが国では「革命前夜」と称された不穏な情勢の真っ只中にあった。そうした中で久保木修己会長を中心に「共産主義は間違っている」をスローガンに国内外で勝共運動を果敢に展開した。30年にわたって救国救世を訴えた結果、ついにソ連・東欧圏を崩壊へと導いたが、これで「勝共の使命」が終わったわけではない。今日、日本を取り巻く東アジア情勢は36年前に匹敵する危険水域に入っている。また国内では依然として共産勢力が浸透し、その基盤を拡大すらしている。こうした状況を踏まえ、本連合はさらなる勝共国民運動を推進していく。ここに36年史の概略をまとめた。 ■第1段階■アジア連帯と理論戦 本連合創立当時のアジア情勢は、未曾有の危機下にあった。 1968年、イギリスがスエズ運河以東からの撤退を発表し、19世紀中葉から深く関わってきたアジアでのプレゼンスを放棄した。これに代わるべき米国は同年、ベトコンのテト攻勢にあって泥沼のベトナム戦争に疲弊しきっており、国内の反戦運動がピークに達してジョンソン大統領はついに大統領選不出馬声明を発表、朝野ともに著しく自信を喪失していた。 こうした隙を突き北朝鮮は同年1月、武装ゲリラをソウルに侵入させ、大統領官邸襲撃事件を引き起こし、さらに米情報艦「プエブロ」を拿捕、韓半島情勢は一挙に緊迫の度を強めた。また、東欧においては同年8月、自由を求めるチェコスロバキアにソ連軍が侵入、いわゆる「ブレジネフ・ドクトリン」によって武力による共産圏の維持・拡大が確認されたのである。このように国際共産主義が一大攻勢期に入っていたのが、68年の国際情勢の特徴である。 一方、日本は高度成長期の真っ只中にあり、その年、GNPでは世界第3位に飛翔したものの、公害問題などの歪みが噴出し、国際共産主義に呼応する学生運動が過激化し、大学紛争が吹き荒れ、「革命前夜」の様相を呈していた。また、東京都をはじめとして各地で革新自治体ブームが起こり、共産党はこれを「革命の砦」と位置付けて、政府・自民党攻撃を一段と強めていた。 このような危機的状況に対して、国際的連帯のもとで共産主義に対抗していかなければならないとして67年6月、山梨県本栖湖において日韓両国の反共首脳が集まり「第1回アジア反共連盟結成準備会議」を開催、この趣旨に則り、68年4月1日、笹川良一氏を名誉会長、久保木修己氏を会長に国際勝共連合が創設されたのである。 本連合はまず、学生・青年会員を中心に、「共産主義は間違っている」と、大学内、街頭において果敢に思想戦に入った。共産主義が大学界、マスコミ界、労働界など各界に浸透し、「70年安保決戦」を呼号していたが、これに対して、誰も共産主義の間違いを訴える者がいなかったためである。 その後、70年安保決戦に挫折した極左過激派は72年に連合赤軍事件を起こし、共産党は「70年代の遅くない時期に民主連合政権を樹立する」(宮本書記長・当時)と豪語していた。そこで本連合は、日本共産党に公開理論戦を求め、全国各地で共産主義の間違いを論証。久保木修己会長は全国124カ所で「救国の予言」の講演キャンペーンを展開。こうした運動が実って、大学では共産党の学生組織・民青が衰退の一途を辿り、各地で有識者が勝共運動に立ち上がった。 さらに北朝鮮の革命拠点である在日朝鮮総連を追及し、朝鮮大学校の正門前で勝共講義を行う一方、新潟港では「万景峰号」で北朝鮮に帰還する人々に「北朝鮮は地獄。今すぐ逃げよ」の一大キャンペーンを展開。 本連合は「革命の砦」を一掃すべく革新自治体批判を展開、78年には京都共産府政を打倒し、これを契機に革新自治体ブームに終止符が打たれることになったのである。 ■第2段階■間接侵略とスパイ防止法 国際共産勢力は75年春にインドシナ3国を共産化し、さらに78年にかけエチオピアやモザンビークなどアフリカや中米ニカラグアで共産国を次々に樹立、自由陣営への攻勢を一段と強めてきた。そして79年にはソ連がアフガニスタンを軍事侵略するに至った。これはニクソン米大統領が失脚し、ベトナム戦争で疲弊する米国の隙をついたもので、この危機が遠からず東アジアに波及するのは必至だった。ソ連は太平洋艦隊をはじめとする極東ソ連軍を大増強し、日本周辺において覇権を確立しようと積極的な動きを見せた。 現代の戦争は総合戦であり、直接的な軍事的侵略を行う前に、スパイ工作や思想工作など複合的な戦略が行使されるのが常識。したがってソ連の直接侵略に対抗する以前に間接侵略への備えが不可欠となる。そこで本連合はこうした危機に対処するために、78年にスパイ防止法制定3000万人署名国民運動を展開。79年にスパイ防止法制定促進国民会議の設立に加わり、都道府県会議を全国で設置し、地方議会における同法案制定請願運動の先頭を切って奮闘した。 このようなソ連の間接侵略を防止する運動に真っ向から反対したのは、言うまでもなく共産党や社会党の共産主義勢力であり、したがってスパイ防止法を制定するには全国各地で勝共運動を拡大していくことが焦眉の急となった。そこで81年、東京を皮切りに「日本の平和と安全を守る大会」を全国で開催、82年には地方の有力者たちが共産勢力と戦う組織づくりを行おうと勝共支部を結成、また会員拡大を行った結果、84年には700万人会員を達成した。 一方、韓半島では83年、ソ連による大韓航空機撃墜事件や北朝鮮によるラングーン韓国閣僚爆殺事件などが相次ぎ緊迫の度を強めてきたため、韓国勝共連合は8大都市大会を開催、文鮮明師が日韓米の一体化によって国際共産勢力の浸透を防ぐことを訴えた。 これを受けて84年に日韓安保セミナーを開催し、両国の勝共支部が姉妹結縁を行って日韓一体化による勝共基盤を強化。ソ連や北朝鮮の侵略を防備した。 さらに各界に浸透している共産勢力を一掃するために、財界人を中心にした「勝共運動を応援する会」や学者文化人による「全国 教授勝共講師団」、自衛隊OBや防衛関係者による「勝共国民運動の防衛問題に協力する会」、国会議員による「勝共推進国会議員(の会)」などを結成し、幅広い国民運動を展開した。 このように、日本国内における勝共国民運動と韓国と連帯した国際連帯運動によって、東アジアの危機を防ぐため成果を挙げた。しかし、ソ連を中心とする国際共産勢力を駆逐し、勝共運動の目的を達成するためには、自由陣営の盟主である米国がベトナム戦争の自信喪失から脱却し、世界平和のために立ち上がることが不可欠であった。 このため米国における勝共運動は、米国内の民主党に巣くっている容共勢力と全面的に戦い、80年の大統領選挙ではレーガン当選に全力を挙げた。レーガン大統領の下で82年に「ワシントンタイムズ」を創刊し、中南米の勝共運動であるCAUSA(アメリカ社会統一協会連合)を通じて、共産主義国家ニカラグアの自由戦士を支援。また、レーガン政権の軍事力増強、とりわけ戦略防衛構想(SDI)の実現を強く支持した。 中南米ではCAUSA運動によって、26カ国からなる国家連合機構「ラテンアメリカ統一連合」(AULA)が結成され、米国では保守陣営が結束して「アメリカ自由連合」(AFC)がつくられレーガン政権の支持基盤となった。 ここに強い米国が復活、ゴルバチョフ・ソ連書記長は新思考外交やペレストロイカに転じざるを得ず、「ブレジネフ・ドクトリン」を放棄した。その結果、89年11月に「ベルリンの壁」が崩壊し、東欧は共産主義の呪縛から脱することができ、90年には東西ドイツが統一、91年にはソ連邦が解体し、国際共産主義の脅威が消滅することになったのである。 ■第3段階■共産主義一掃と世界平和運動 さて、国際共産主義勢力が崩壊した後、2つの重大課題を抱えている。それが現在にいたる勝共運動の課題でもある。 第1には、東アジアにおいて冷戦構造が温存されていることである。 日本周辺においては韓半島はいまだ南北に分断されたままであり、北朝鮮は共産独裁体制を維持し赤化統一を企図している。2002年9月に日朝首脳会談が開催されたものの、拉致事件で北朝鮮の非道な対日工作が浮き彫りになったばかりか、北朝鮮は核拡散防止(NPT)条約からの一方的離脱、そして核開発を再開し、6カ国協議が開催されたものの進展せず、北東アジア情勢は一触即発の危機下に陥っている。こうした危機を克服し、東アジアの平和秩序を確立するため、日韓米はさらなる一体化を強め、安全保障体制を構築していかねばならない。 冷戦後の対共産戦略は守りだけであってはならず、さらに積極的に共産主義解放戦略を始動させる必要がある。そこで本連合は東アジアの平和秩序創建および真の世界平和の確立をめざして新たな世界平和運動に着手し、95年に世界平和連合(FWP)を創設した。 第2には、21世紀に対応すべき確固たる国づくりができていないことである。 東アジア情勢に対応するにはスパイ防止法、有事法などの法整備をはじめとする安全保障政策を確立しなければならない。さらに日本国内には、マスコミ界や学界、教育界、地方政界など、いまだ各界に共産勢力が温存されているばかりか、過激な性教育推進論や、ジェンダーフリーを唱えるはき違えた男女共同参画論など共産主義思想が巧妙に姿を変えて浸透し、日本の伝統基盤を根底から崩壊させようとしており、こうした動きを看過するわけにはいかない。本連合は地方基盤の拡充に力を注ぎ、きめ細かな勝共運動によって共産主義一掃に全力を挙げるべきであると考える。 さらに最近の少年犯罪の凶悪化や性倫理崩壊に象徴されるように、わが国の伝統的な道徳倫理基盤が崩されつつある。そこで93年に教育再建運動にも着手する一方、欠陥憲法である現行憲法を改正し、21世紀に対応できる真の国づくり、国際的道義国家の創建を掲げ勝共運動を展開してきた。 以上、国際勝共連合の36年の歴史は内外の共産主義との熾烈な思想戦であった。共産主義は「国際共産主義段階」(ソ連中心)から「国家共産主義段階」(中ソ対立以後)へと後退、さらに90年代のソ連・東欧圏の崩壊、中国の市場経済化によって国家体制としての共産主義は終焉したといえる。 しかし、世界的、国家的次元から追い出された共産主義は、家庭的次元に狙いを絞って集中攻撃を浴びせてきている。それが過激な性教育やジェンダーフリーで見られる今日の文化共産主義の特徴である。 したがって、今後の勝共運動は世界、国家の安全保障と真の世界平和の構築は言うまでないが、国内次元では「家庭の守護」に主軸を置いて総力を挙げて取り組まねばならないと考える。日本を取り巻く内外情勢は、今後より一層の困難が予想される。勝共の使命も未だ道半ばである。それゆえに、本連合は今後ますます勝共国民運動に挺身していく決意である。 |
1968 | 【勝共基盤造成の年】 国際勝共連合設立 全国勝共幹部50人、 韓国38度線を視察 |
北朝鮮ゲリラ31人、韓国大統領官邸を襲撃 ブエブロ号事件 チェコ事件 南ベトナムでテト攻勢開始 ニクソン、米大統領に当選 |
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1969 | 【勝共理論研修の年】 「国際勝共新聞」創刊 第1次全国一周遊説隊出発 勝共国民運動東京大会 アジア基督教反共大会 アジア学生勝共大会 朝鮮大学校認可取り消し運動 |
中ソ国境紛争 ダマンスキー島事件 リビア革命(リビアアラブ共和国成立) 全米にベトナム反戦デモ |
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1970 | 【WACL大会の年】〔写真〕 WACL(世界反共連盟) 世界大会 |
チリ、アジェンデ左翼政権成立 米軍、北爆を再開 カンボジアでクーデタ、ロン・ノル政権樹立 |
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1971 | 【日華友好・中共承認反対の年】 「中国承認反対」完全断食国民大会 第1回アジア勝共大会 全国40カ所で勝共県民大会 勝共中央大会 |
モスクワで旧ソ共産党会議 ニクソン・ショック 中国の国連加盟 インド・パキスタン戦争 |
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1972 | 【日共との理論戦の年】〔写真〕 「連合赤軍=日本共産党」 一大キャンペーンを展開 世界勝共大会 日共への公開理論戦を要求 |
ニクソン米大統領訪中 SALTI 調印(デタント開始) 日中国交樹立 日華断交 |
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1973 | 【「救国の予言」全国講演の年】〔写真〕 全国124カ所で久保木会長講演会 「国際勝共新聞」を「思想新聞」に改題 国際指導者セミナー(米国) 第3回アジア勝共大会 自由社会を守る1万人大集会に参加 |
ベトナム平和協定調印 チリ、軍事クーデター ギニア・ビザウ共和国共産化 第四次中東戦争 オイルショック |
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1974 | 【議員研修の年】 各地で自主憲法制定 国民大会を開催 |
韓国で反政府デモ ポルトガルでクーデター ニクソン米大統領、ウォーターゲート事件で辞任 三木内閣成立 |
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1975 | 【救国セミナーと時局講演会の年】〔写真〕 朝総連本部に公開質問状、 理論戦展開 松生丸事件糾弾県民大会 第21回APACL(アジア反共連盟) 総会を開催 救国世界大会(韓国) |
南ベトナム共産化 モザンビーク、ナイジェリア、アンゴラ、ラオス人民共和国成立(共産化) 創共協定(池田・宮本会談) |
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1976 | 【勝共救国大会の年】 天皇陛下ご在位50年記念奉祝行事に参加 「共産革命か勝共救国か」勝共救国大会 「ゴッド・ブレス・アメリカ」ワシントン大会 |
宮本リンチ事件国会で追及 北朝鮮軍が板門店で米将校2人を殺害 毛沢東死亡 ソ連空軍ミグ25函館空港に強行着陸(ベレンコ事件) 衆院選で共産党が40議席から19議席へ |
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1977 | 【北方領土奪還運動の年】〔写真〕 北方領土返還対ソ国民大会 「氷雪の門」全国自主上映 北方領土奪還1千万人署名運動 |
カーター、米大統領就任 参院選で共産党大敗、当選5人 サダト・エジプト大統領、ベギン・イスラエル首相と会談 |
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1978 | 【京都共産府政打倒の年】〔写真〕 「未曾有の国難に備えよ」 日本縦断 勝共国民大会開催 袴田除名、日共糾弾大キャンペーン開始 京都共産府政打倒 日中条約反対キャンペーン 創立10周年記念祝賀会 |
アフガニスタン民主共和国成立(アフガン革命) ドミニカ共和国成立(ドミニカ革命) 日中平和友好条約調印 キャンプデービッド会議(米・エジプト・イスラエル) |
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1979 | 【スパイ防止法制定促進国民会議結成の年】〔写真〕 スパイ防止法制定3千万人署名国民運動 対ソ厳戒キャンペーン 「日共リンチ殺人事件言論裁判」が本格化 スパイ防止法制定促進国民会議が発足 |
米中国交正常化 カンボジア人民共和国(ヘン・サムリン政権)成立 イラン革命(バックファイアー・SS20極東配備) 北方領土に軍事基地建設 ニカラグア革命 衆参同時選、自民党圧勝 ソ連軍、アフガン侵略 |
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1980 | 【スパイ防止法制定促進国民会議造成の年】 インドシナ難民救援活動 共産党撲滅運動を全国展開 スパイ防止法制定促進都道府県民会議が全国に設立 署名カンパ活動・ソ連軍のアフガン侵略を糾弾 |
宮永・コズロフ事件 レポ船事件(北海道) レバノン紛争 イラン・イラク戦争 ソ連・シリア友好条約 |
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1981 | 【安保大会・セミナーの年】 スパイ防止法制定促進の議会決議1000を超える 東京を皮切りに「日本の平和と安全を守る大会」始まる スパイ防止法制定促進全国大会 |
レーガン米大統領就任 ミッテラン仏大統領・社会党政権登場 中国・文革否定の「歴史認識」を採択 サダト・エジプト大統領暗殺 |
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1982 | 【勝共支部結成の年】 ポーランド自由化を支援する遊説 スパイ防止法制定促進国民大会 勝共支部全国300カ所に 勝共安保京都大会 東京で第15回WACLと第28回APACL総会 |
ポーランド軍政 フォークランド紛争 レバノン紛争 教科書問題 中曽根内閣成立 ソ連アンドロポフ体制 レフチェンコ(元KGB少佐)米議会で証言 |
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1983 | 【班結成・会員拡大の年】 3・8 日本の平和と安全を守る東京の集い |
自民党、参院選勝利 ソ連軍、KAL機撃墜 米軍、グラナダ解放 北朝鮮、ラングーン韓国閣僚爆殺 ベイルート爆弾テロ レーガン大統領来日 自民、衆院選大敗 第2次中曽根内閣成立 |
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1984 | 【7大都市大会・750万会員達成の年】〔写真〕 久保木会長全国講演スタート 勝共会員700万人達成を宣言 第1回 韓国国際勝共連合 支部長訪日団が来日 アジアの平和と安全を守る 全国縦断七大都市大会 第1回日韓安全保障セミナー スパイ防止のための法律制定促進議員・有識者懇談会が発足 |
アンドロポフ・ソ連書記長死亡 チェルネンコ書記長登場 米海兵隊、レバノン撤退 ソ連、ロサンゼルス五輪をボイコット 北朝鮮、「第三六八千代丸」を銃撃 中核派による自民党本部放火事件 サッチャー英首相暗殺未遂事件 ガンジー・インド首相暗殺 |
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1985 | 【教授講師団・応援する会結成の年】 第1回 国際勝共学術講義をソウルで開催 全国教授勝共講師団を結成 日韓姉妹支部1112カ所を達成 「勝共運動」を応援する会発足 |
レーガン米大統領が再選 日ソ共産党首脳会談 スパイ防止法の継続審議決定 中曽根首相、靖国神社公式参拝 韓半島「南北対話」が進展 6年ぶりに米ソ首脳会談 中核派による同時多発ゲリラ事件 |
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1986 | 【勝共推進国会議員結集の年】 天皇陛下ご在位60年奉祝行事「大奉祝まつり」参加 日韓米教授全国巡回講演会 米海軍戦艦ニュージャージー歓迎集会 韓国八大都市で「世界勝共活動報告大会」 スパイ防止法制定促進決議が過半数突破 |
天皇陛下ご在位60年 衆参同時選挙で自民党大勝 東京サミット 過激派による殺傷事件続発 レイキャビクで米ソ首脳会談 ソ連でチェルノブイリ原発事故 米国、リビア空爆 米スペースシャトル・チャレンジャー号が爆発 仏総選挙で保守陣営が圧勝 |
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1987 | 【日韓安保セミナー飛躍の年】〔写真〕 世界平和サミット 韓国で南北統一運動国民連合が発足 「ソ連のスパイ活動の実態」テーマにISC北京会議 韓国で反共愛国団体連合会団代表団が訪中 |
金萬鉄氏、韓国に亡命 統一地方選で自民党が大敗 東芝機械のココム違反事件、米軍横田基地スパイ事件等が発覚 天皇陛下が腸の手術 共産党、宮本独裁強化 大韓航空機爆破テロ事件 INF全廃に米ソが合意 韓国大統領選で盧泰愚氏当選 |
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1988 | 【勝共国民教育の年】〔写真〕 日韓安保セミナー参加者1万人突破 「勝共推進議員新春懇談会」 第1回 韓国勝共青年会が来日 国際ハイウェイ建設事業団代表団が訪中 |
青函トンネルと瀬戸大橋開通 牛肉・オレンジ自由化決まる 海上自衛隊潜水艦なだしおと釣船が衝突 ソウル五輪に160カ国参加 米大統領選でブッシュ氏圧勝 イラン・イラク戦争が停戦合意 37年ぶり中ソ外相会談 |
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1989 | 【国際共産主義解放推進の年】 ソウルで日刊紙「世界日報」創刊 全国勝共役員決起大会/日韓安保上級セミナー 日韓姉妹支部結縁数2千カ所突破 日韓青年勝共セミナー、大阪―釜山間 のフェリー船上と韓国内で開催 |
昭和天皇崩御、元号は平成 朝日新聞サンゴ損傷デッチ上げ事件 幼女誘拐殺人犯逮捕、青少年の悪質事件多発 ソ連軍、アフガン撤退 中ソが国交正常化 中国で天安門事件が勃発 ベルリンの壁崩壊 対立から和合へ転換したマルタ会談 |
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1990 | 【ソ連解放・モスクワ大会の年】〔写真〕 ソ連・モスクワで世界言論人大会 世界平和教授アカデミー「グローバルゴール研究」シンポジウム 東京勝共教授講師団、首相に大嘗祭の国家行事化の要望書提出 天皇陛下ご即位式奉祝パレードに本連合から2000人参加 |
人質外交に屈した金丸訪朝団 国連平和協力法案廃案 礼宮殿下ご成婚式 ソ連が共産党独裁を放棄し、大統領制を導入 東西ドイツが統一 イラクがクウェートを占領 韓国とソ連が国交を樹立 |
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1991 | 【勝共推進地方議員結集の年】 米国で「世界指導者会議」、 ソ連15共和国指導者が参加 韓国・全羅南道光州市支部が来日 日朝交渉中止への「思想新聞」号外100万部を全国配布 韓国・ソウルで世界平和連合創設 |
湾岸戦争で掃海艇を派遣 天皇陛下がアジア歴訪 日朝交渉で「李恩恵」問題を棚上げ ソ連で保守派クーデタ失敗で共産党解体 湾岸戦争が発生 北朝鮮の核開発で緊張高まる カンボジア和平に調印 韓国と北朝鮮、バルト三国などが国連に加盟 |
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1992 | 【勝共地方基盤推進の年】 地球村をめざす新春バンケット 本連合創設者・文鮮明師来日 第130回日韓安保セミナー、参加総数24566人に 中国視察ツアー 教育問題パネルディスカッション |
PKO協力法成立、カンボジア派遣 天皇陛下がご訪中 社会党・共産党のソ連資金疑惑が発覚 日朝交渉が決裂 米大統領選でクリントン圧勝 中韓国国交樹立 国連のカンボジアPKO |
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1993 | 【教育再建運動出発の年】 東京都支部代表者新春の集い 「皇太子殿下の御成婚をお祝いする国民の集い」に役員会員らが参加 思想新聞に「人間と性」研究協議会の山本直英氏への公開質問状を掲載 |
イスラエルとPLO、和平に向け合意 イスラム原理主義者のテロが多発 皇太子ご成婚 細川連立政権が誕生、新党で政界再編 NHK、テレビ朝日などマスコミ不祥続発 東京サミット開催 |
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1994 | 【国際貢献道義国家啓蒙の年】 新春・全国代表者の集い アジア太平洋自由民主連盟総会 国際勝共連合が社会党を名誉毀損で訴えていた「レフチェンコ事件裁判」で、社会党が本連合に解決金200万円を支払うことで決着 |
自・社・さ連立政権発足 ルワンダ難民救援PKO活動に自衛隊派遣 新進党発足 税制改革法案成立、消費税5%に 北朝鮮・金日成主席死去 米中間選挙で民主党が歴史的敗北 パレスチナ自治政府発足 ボスニア・ヘルツェゴビナ内紛泥沼化 |
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1995 | 【勝共推進地方議員教育の年】〔写真〕 「アーバンクリエーション95」に国際ハイウェイ・日韓トンネル研究会が出展 新春・全国代表者の集い 勝共推進地方議員セミナー |
世界貿易機関(WTO)発足 阪神淡路大震災 地下鉄サリン事件 東京都・大阪府にタレント知事誕生 北朝鮮に軽水炉を供与する米朝合意 参院選挙で社会党惨敗 ラビン・イスラエル首相暗殺 |
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1996 | 【世界平和連合創設の年】 世界平和連合(FWP)会長に久保木修己氏就任 新春・全国代表者の集い 青少年問題セミナー 自衛隊演習視察ツアー |
橋本政権発足 自衛隊PKOゴラン高原派遣 TBS、オウムビデオ問題で社長辞任 李登輝・台湾総統再選 クリントン米大統領再選 O-157感染増 総選挙で共産党15議席から26議席 ペルー日本大使公邸人質事件 |
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1997 | 【FWP地方基盤拡大の年】〔写真〕 全国でFWP都道府県連合会を設立 夫婦別姓問題シンポジウム 憲法施行50周年記念・自主憲法制定国民大会に参加 |
ロシア・タンカー重油流失事故 黄長■(火に華)・北朝鮮書記、韓国へ亡命 オウム真理教へ破防法不適用 ■ 小平氏死去 香港返還 アジア通貨危機 日米防衛協力の新指針合意 金正日・北朝鮮総書記就任 日本人妻一次帰国 |
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1998 | 【勝共30年再決起の年】 久保木会長、新春・全国役員代表者会議で記念講演 4月1日 創立30周年 全国で国際勝共連合 創立30周年記念大会 1府5県でFWP連合会を設立 共産党批判ビラ全国配布 沖縄革新県政を打倒 12月13日午前1時59分、久保木修己会長逝去 |
インドネシア、IMF管理下に 金大中韓国大統領就任 ポル・ポト死去 参院選で自民惨敗 米中首脳会談 小渕新政権発足 日中両共産党、32年ぶり首脳会談 北朝鮮「テポドン」ミサイルが日本沖に 金正日国防委員長就任 「自自連立」へ |
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1999 | 【全国救国救世躍進の年】 久保木会長の遺志を継承し、大塚克己会長就任〔写真〕 共産党の「日の丸・君が代反対論」の 欺瞞を暴く号外ビラ全国配布 3月13日 救国救世全国躍進大会を開催 全国27市区で大塚会長が日本の進路訴える |
ベルリンの壁崩壊10年 欧州の統合通貨ユーロ誕生 北朝鮮工作船の領海侵犯事件 共産党、統一地方選で大幅議席増 NATO軍、ユーゴ空爆 ガイドライン関連法成立 国旗・国歌法成立 世界人口が60億人に 東海村で日本初の臨界事故 |
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2000 | 【全国縦断啓蒙の年】 大塚会長、「新春有識者の集い」等、全国22カ所で縦断講演 3県(山口・大分・秋田)連合会設立 日韓交流・安保セミナー開催 共産党批判ビラで大阪を守る(府知事選=不破委員長、が誹謗中傷) 共産党批判ビラ全国配布(総選挙で共産党躍進を阻止=150万票減) |
プーチン露大統領就任 森喜朗内閣発足 南北首脳会談(平壌) 中東和平交渉決裂 国連本部で「世界平和のための3つの提言」(文鮮明総裁) 自衛官スパイ事件 共産党規約改正、「前衛政党」削除 日本赤軍、重信房子逮捕 米大統領選でG・ブッシュ氏当選 |
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2001 | 【新世紀・平和ビジョン躍進の年】 小山田秀生新会長就任〔写真〕、「就任の集い」開催 「救国救世全国躍進大会」を開催 6県(群馬・岐阜・沖縄・静岡・鹿児島・石川)で県連合会を設立 世界平和ビジョンセミナー、郷土大学・時局講演会など開催 日韓交流・安全保障セミナーを開催 共産党批判ビラ全国配布 |
米ブッシュ新政権発足 米国、京都議定書離脱 小泉純一郎内閣発足 日米首脳会談 北朝鮮の金総書記の長男・金正男不法入国 21世紀初の国政選挙(参院選)。自民党圧勝、共産党惨敗 9・11米同時多発テロ アフガン「暫定行政機構」発足 皇太子ご夫妻に敬宮愛子さまご誕生 |
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2002 | 【日韓米新時代への結束の年】 日韓米国際指導者会議(米国、5月)、同報告会開催〔写真〕 3県(高知・茨城・富山)で連合会設立。支部結成続く 世界平和ビジョンセミナー、郷土大学、時局講演会など開催 日韓交流・安全保障セミナーを開催 日朝・拉致問題で共産党批判・朝日新聞批判など号外ビラを全国配布 |
あさま山荘事件30年 沖縄復帰30年 脱北者者続出 W杯日韓共催 共産党80周年 北朝鮮工作船引き揚げ 日朝首脳会談、拉致被害者5人帰国 国連に宗教議会設置を提案(文総裁) 東南アジア連続爆弾テロ 中国、胡錦涛総書記就任 米中間選挙で共和党圧勝 韓国大統領選、盧武鉉氏当選 |
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2003 | 【ジェンダーフリー対決の年】 世界指導者サミット開催 「救国救世全国役員総決起大会」を開催〔写真〕 山形県連合会設立。支部結成続く 世界平和ビジョンセミナー・郷土大学・講演会等開催 各地で映画「暗号名・黒猫を追え!」上映会 超宗教超国家平和協議会創設(米国・10月) 日韓交流・安全保障セミナーを開催 |
中教審の教育基本法の抜本改正を求める最終答申を提出 対イラク軍事行動・イラク復興支援 有事三法成立 共産党・七中総「革命政党は不変」 長崎12歳少年殺人凶悪事件 小6女児監禁事件(東京) 韓国動乱休戦50年 民主・自由合併で新民主党創設 北朝鮮の核問題等の6カ国協議開催 第43回総選挙 共産・社民の凋落 |