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アイヒマン調書―イスラエル警察尋問録音記録 [編]ヨッヘン・フォン・ラング

[掲載]2009年5月10日

  • [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

■虐殺生み出した官僚主義の無表情

 もう五十年近くも前になろうか、アイヒマンの裁判を伝えるニュース映画を見た。大学生になってまもないころだ。無表情、いわば鉄面皮の被告席の顔が執拗(しつよう)に映されていた。

 ユダヤ人虐殺の責任者であるこのナチス幹部の無表情は何を意味するのか、私にとっても大きなテーマとなった。

 戦後アルゼンチンに潜伏していたアイヒマンを、イスラエルの情報機関が密(ひそ)かにエルサレムに連行したのは、一九六〇年五月である。その後、総計九十回、二百七十五時間にわたって予備尋問を行ったが、本書はその尋問記録である。イスラエル警察の一大尉の質問に、アイヒマンは「積極的に話す」と、その出自からナチス親衛隊に入るまで、さらにその後の自らの役割や行動を具体的に語っている。

 読み進むうちに、アイヒマンの答弁、証言にはひとつの骨格があることに気づく。「特別処置」という名で行われた虐殺について、自分はまったく関(かか)わりがないと言い、ではアウシュビッツなどへの移送だけを実行していたのかと問われると、次のように答えるのだ。

 「移送そのものではありません、大尉殿、移送の運行計画です、そうです! 移送は各地の疎開当局が実行しました」

 そして自分は反ユダヤ主義者ではなかったと弁明し、ある収容所を視察したときの悲惨な光景は正視できなかったと証言する。詭弁(きべん)と言い逃れのくり返し。尋問する側の示す記録文書を虚偽の報告だ、誇大だとはねつけて認めようとしない。

 尋問にあたった大尉は、あとがきのなかで、アイヒマンの目は決して笑わず、「いつも嘲笑(ちょうしょう)的で同時に攻撃的だった」と書き残している。自らの責任を自覚するとの感覚は、その生涯において決定的に欠けているのである。

 最終頁(ページ)を閉じたあと私は、〈そうか、あの鉄面皮な顔は、二十世紀の負の遺産、悪(あ)しき官僚主義の顔だったのだ〉とつぶやいた。「アイヒマン」の論理は、私の会った日本を始め幾つかの国の党官僚、軍官僚と重なっている。

    ◇

 小俣和一郎訳/Jochen von Lang 25年生まれ。「シュテルン」現代史編集局勤務。

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