義務化するコミュニケーション
言うまでもないことだが、ネットコミュニティサービスに参加する一番の目的は、他のユーザーとのコミュニケーションである。
徐々に友達の輪が広がり、お互いの個人ホームページなどを訪問しあい、連日、挨拶やたわいもない言葉のやり取りを行う。そこに日記が書いてあればざっと読み、当たり障りのないコメントを残す。お互いにこの行為を繰り返すことを、俗に「コメント返し」と呼ぶ。
何かに悩んでいるようなら、共に悩み、相談にのる。もちろん全てのやり取りが、真剣に、親身な気持ちでなされるわけではないだろうが、多くの場合、たとえそれが偽善的、表面的なやり取りであったとしても、ユーザーはある一定の満足を得られる。悩みを吐露し、それに反応があるだけで充分に満足なのだ。
コミュニティサービスにおける多くのコミュニケーションは、実は、非常に希薄な関係で成り立っていることが多い。もちろん、中には現実社会以上に密度の濃いコミュニケーションも生まれることはあるだろう。しかしながら、基本的には見ず知らずのユーザーたちと文字によるやり取りのみで築かれる関係であり、また現実社会以上に多くの人との出会が、いとも簡単に行われるのだ。mixiなどの招待制、現実社会の友人たちとネットで繋がるタイプのコミュニティには当てはまらない側面もあるかもしれないが、現実と同様の深い関係を多くの「友達」たちと築くのは難しい。
そもそも現実社会においても、全ての人間関係が深い繋がりを持っているわけではない。仕事上のつきあいや、転居などで疎遠になってしまった友人など、普段は頻繁に連絡をとることのない関係というのは多いはずだ。だが現実社会であれば、何かしらの用件があったり、同窓会や帰郷時に集まるなど、たまに行われるコミュニケーションでも関係性が維持される。これがネット上の付き合いと違う点だ。
冒頭で触れたが、コミュニティサービスにおけるコミュニケーションは、挨拶やたわいもない言葉のやり取り、会話ともいえないような会話をベースとして進行する。そして、その積み重ねにより、自分のコミュニティ、自分の居場所が形成されていくのだ。
自分がいるべきコミュニティが形成されてくると、ユーザーは、よりそのサービスに依存し始める。そのコミュニケーションの多くは、相手に悪く思われない程度の表面的なやり取りであったとしても、そういった行為自体に麻薬のようにはまっていく。これは、コミュニティサービスにおける特筆すべき側面でもあるだろう。特にコミュニティ参加初期というのは、とにかく「友達」が増えること、自分の居場所ができること自体が楽しく感じられるものだ。自分が認識されることによって、そのコミュニティにおける自分の存在意義を見出せる。
そして、「友達」を増やすためには、「浅く、広く、当たり障りなく」といったコミュニケーションが基本となる。全てのユーザーと深い関係を築くには大変な時間と労力が必要であるから当然だろう。しかし、浅く、広く、当たり障りない関係というものが、コミュニティ参加中期以降、非常に大きなネックとなってしまうのである。
そのような関係を保つためのコミュニケーションは、連日のように繰り広げられる。お互いが、お互いのホームページを訪れる。訪問を受けた者は、お返しのコメントを残しに訪問する。そして、それを受けた者は、さらに……。
「友達」からのコメントがあれば、全ての人に返事をしたくなるのは自然だし、逆に、相手も返信があることを当然だと考える。数人程度なら楽しめる行為も、広げすぎてしまったばかりに予想外の時間、労力が必要となってしまう。見えない縛り、暗黙のマナーが、ユーザーを苦しめる。
しかし、日々の恒例行事を止め、一方的にその関係を絶つという行為は、「当たり障りのある行為」であり、それまで演じてきた自分の人格、築き上げたコミュニティを崩壊させてしまいかねない。
それゆえ、半ば義務的に、そして事務的にその「作業」を繰り返し続けなければならない。「友達」関係を維持するための作業。文字のやり取りだけとはいえ、友達を捨てるという行為は非常に罪悪感のあることだ。しかし、この関係を維持するためだけの作業にも疲れ果て、そして、人は一つの行動にたどり着く。良心の呵責から逃れ、この作業からも逃れられる手段。その一つが「コミュニティからの卒業」である。
卒業というプラスのイメージを口にしてはいるが、これは義務化されたコミュニケーション地獄から逃げる口実でもある。私がこれまで見てきたサービスでも、このような最後を迎えるケースは多くあった。理由はどうあれ、せっかくすごした時間を捨てるということは、なんとももったいなく感じてしまう。
さて、もちろん全てのユーザーが辞めていくわけではない。では、どういうユーザーがこれを乗り越えられるのか?
一つ例を挙げるとするならば、少人数のわりと小さなコミュニティを形成し、けっして急激に燃え上がることなく自分のペースで参加し続けることのできる、ネットとの距離感を心得た者たちだろう。
より長くコミュニティを楽しみたいと考えるのであれば、「ネットとの距離感」を意識して参加するのが良いのかもしれない。
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