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下のバナーをそれぞれクリックしてください9月20、21日の両日、熊本、鹿児島両県の八代海(不知火海)沿岸の住民らを対象に1500人規模の水俣病調査がおこなわれた。水俣病で千人を超える調査は、全日本民主医療機関連合会(民医連)による調査以来22年ぶり、という(
「共同通信」記事から)。
水俣病の被害者団体などでつくる実行委員会が実施した健康調査で、医師の診察を受ける男性(手前)=20日、熊本県水俣市この調査に先立って「しんぶん赤旗」が「名乗れなかった水俣病」を3日(9月14~16日)にわたって連載した。
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記事は電子版にはないので「しんぶん赤旗記事情報/G-Search」から転載する。 ⇒
<名乗れなかった水俣病/不知火海大検診を前に(上)>“体がどうにもならん”2009.09.14 日刊紙 3頁 総合 (全1,205字)
加害企業を救済し被害患者を切り捨てる水俣病特別措置法が先の国会で成立(自民、公明、民主各党が賛成)するなか、被害者のたたかいが続いています。これまで住民の認定申請を抑える側にいた被害者が原告として名乗りを上げるなど新たな状況も生まれています。不知火海沿岸地域では20、21日に医師、看護師ら医療関係者による大検診(主催・不知火海沿岸住民健康調査実行委員会)が行われます。 (藤川良太)
「みんなを抑える立場におったけど、自分がどうにもならんくなった」。熊本県水俣市と不知火海(八代海)を挟んだ対岸側、天草諸島樋島の野口政造さん(79)は地域で住民の認定申請を抑えてきたことの後悔をこう口にします。現在は国・熊本県、チッソに水俣病被害への損害賠償を求めている「ノーモア・ミナマタ訴訟」の原告の一人です。
手の感覚がなく 現役時代は農協に勤め、妻の兄は漁協の組合長でした。貧しい漁村で住民はサツマイモの生産と漁業で生活していました。漁業が立ち行かなくなれば地域は生活の糧を失います。「水俣病が出たら魚が売れなくなる」。こう言って、地域の人たちが水俣病と名乗り出るのを抑えてきました。
あるとき、台風が接近し屋根が飛ばないようにロープを巻きつける作業をしました。作業後、子どもから「どうしたのか」と尋ねられました。着ていた洋服は血だらけで、親指の生づめがすべてはがれていました。そのとき痛みの感覚がなくわかりませんでした。
いまでは、手の感覚がなくガラスのコップなどを落としたり倒したりしてしまいます。そのため食器は木製のものを使うようにしています。からす曲がり(こむら返り)もひどく、それを抑えるため注射を打ちに週1回病院に通っています。
苦しみ否定され 妻には、医療費が給付される医療手帳を取ることを何度か、すすめられましたが、申請してきませんでした。しかし、3年前、体がいよいよ思い通りにならなくなり、新保健手帳を取りました。この手帳は裁判等をしないことを条件に医療費を無料化することを認めたものです。
一方で、地域の人の申請を手伝った際に県の担当課長から「あなたたちは水俣病ではない」と言われました。地域から水俣病と名乗り出る人を抑えたり、自分にも症状があるなかで苦しんできたことをすべて否定された瞬間でした。新保健手帳を返還し裁判をたたかうことを決め、追加提訴に加わりました。
「裁判を決意したのは、国や県、チッソのあまりにも身勝手な態度に怒りを覚えたから。水俣病被害者ときちんと認めさせたい」 (つづく)水俣病 企業(熊本ではチッソ水俣工場)が排出した工場廃液に含まれる有機水銀によって魚介類が汚染され、それを多食した地域の住民に発生した、おもに神経症状を発症する公害病。メチル水銀を体内に入れることで、手足のしびれや感覚障害、言語障害、運動失調、難聴(耳鳴り)、視野狭窄(きょうさく)などが引き起こされます。
しんぶん赤旗