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私は日頃から妻に感謝などしたことがない。照れくさいのではなく、当たり前だと思ってるから。
結婚したのも、洗濯、掃除、料理・・・家事全般をやってくれる人が必要だったから。
彼女は母と違って熱心にやっていた。母は小児科医、父は精神科医。母のほうが稼ぎがよく偉そうに命令している姿を見て私も姉も妹も育った。料理は出来ない、仕事が忙しいからとベビーシッターやお手伝いを雇っていたことも。
私が小学校低学年だったか・・・「うちの家には主婦がおらん」その一言で母はわめいて泣いた。元々、ヒステリーな人だったから。
結婚するなら家庭に入ってくれる人を望んだ。
彼女が家事を熱心にこなす度に私は「母ちゃんは何もせん人やった」それが彼女にとっては苦痛な台詞だったと今になって思う。
私は彼女の目の前で元・彼女に電話した。私は悪い事したとは思ってない。婚約指輪は彼女と同じ指のサイズの女性を店に連れて行ったら店員に「おめでとうございます」と言われた。その事を自慢げに語った。
やがて、彼女は不眠を訴え始め、睡眠薬の量がどんどん増えていった。それにも関わらず、フラフラになりながらご飯を作り、掃除、洗濯もこなす。
私にしてみれば・・・それが当たり前の行為だと思う。
私の稼いだ金で食わせてやってるんだから・・・
私はトーシツです。その事を彼女に隠して結婚したが・・・あっさり、再燃しばれてしまった。彼女をどうしても手に入れたくて奴隷の様にしてみたかった。そう、私のしてる事は母と一緒。
彼女はそれ以来、私を嫌い、恐がる。抗不安薬が手放せなくなったそう。
入院中も私は彼女の悪口を言い歩き、追い込んだ。
暴言も吐いた。「お前のせいで具合が悪くなった、死ね」と。
彼女の微熱がず~と続いてるのも私のせい。膠原病の因子を持ってるらしい。
「お前は60歳でクタバルどうせ。それまで病の事を隠せるつもりだったのに・・・くやしい」彼女は大声をあげて泣いた「私の人生を返して」と。
パソコンでのメール交換はするが・・・電話は着信拒否。理由は「暴言を吐くから恐い」
彼女のメール内容『疲れた、吐き気がする、しんどい、頭が痛い、もうきえてしまいたい、死にたい』多くなった気がする。
手首を切った写真も送ってきた。悲しかった。
『切る時は皮膚に直接当てるのではなく・・・カミソリを上から振りおろしたら深く切れる。でも私は血小板が若干多いから直ぐに止まる』とまで・・・
私とは反対、彼女は痩せた。それにもこだわり「鎖骨はハッキリ見えてるのがいい、まだ3kgは痩せたい」・・・
彼女をここまで追い込んだのは全て私のせい。
彼女は例えば、10しんどかったとしても3までしか表に出さない。だから、余計に歯止めがきかない。
私と別れたほうが彼女の調子は良くなる。でも、私が嫌、絶対に手放したくない!
それに、職場で恥かきたくないし・・・(涙)
彼女はカンカンに怒ってる。『私が生きているのはバカにした奴等をどうやって懲らしめていくか。それとこっちが苦しんでるのにそっちは何事もなっかたかのように生活していることが許せない』
彼女は非常に勘が鋭い。
これから、どんな行動に出るんだろう。
ちなみに母は彼女に「病のこと隠してて申し訳ございませんでした」とは謝ってないな。
「なんで、優秀な小児科医がただの貧乏人、一般庶民に頭下げないかんの」状態。
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