(2)儒教の秩序観
自然が不変の秩序をもって運行しているように、人間社会も同様に不変の秩序が確立していることを前提とします。その基本は「五倫」すなわち君臣・父子・夫婦・長幼(兄弟)・朋友の秩序です。
天地が万物の母であるように、君主は人民の父母に当たります。これが政教一致の根拠となるのです。「王道」による「徳治」によって秩序が保たれるからです。その順序は「誠意正心修身済家治国平天下」という言葉に凝縮されています。
もともと儒教の祖といわれる孔孟の教えは現世主義であり、「君父の外に道なし」と説かれていました。すなわち君臣関係(忠義)と父子関係(孝行)が倫理 の基本でありました。自然に順応するのが道であるように、自分が自由に選択できない家長への恭順が第一に尊守するべき規範と決定したのです。
儒教では、前述した通り、もともと体制秩序は自然と同じように不変とされる故に、秩序が乱れる原因は組織体制にあるのではなく、すべての原因は個人の責任に還元されます。
ところが、天道・天下・仁(普遍愛)と、五倫的人間関係という血統・特殊・義理(差別愛)とは両極端を志向する矛盾を含んでいます。しかも現実の体制を 絶対化するために、儒教は政治権力に利用され保守主義に転化します。徳川幕藩体制は、まさにそのような秩序で固められていた社会でありました。
(3)徳川幕藩体制における社会秩序
・上下貴賤の差別による社会秩序
「天は尊く地は卑し」という空間的価値観を社会の上下関係に正当化し、それを普遍的な「天地の礼」と定めました。次のような規範に明らかな特徴が見られます。
*階層性=百姓の身分だけでも、五つの階層に分かれていた。すなわち名主(庄屋)・長百姓・中百姓・平百姓(本百姓)・水呑百姓の5階層があった。他に士農工商・えたひにんの身分差別があり、差別は世襲されました。
*知足安分(身の程を知れ)
*徒党の禁止(集団排除)
*祖法墨守・新儀停止(保守主義)
*固定化(凍結化)による安定維持
・職分(分限)思想
秩序全体から自分に与えられた「持ち場」=「職分」を守る倫理。この服従倫理が階層性の原則であります。職分は生まれながらの所与であるから個人に選択の自由はないのです。
*家康の五字七字の教え=「うえをみな、みのほどをしれ」
(4)丸山真男(東京大学教授)による儒教批判
「(儒教的)秩序の基本的構想自体が、人間の上下関係と親疎関係を基軸とした秩序であって、そうした特殊な人間の秩序づけが秩序一般と等値され、それから の背反は直ちに無秩序──つまりジャングルの法則だけが支配する禽獣世界への転落を意味すると考えられたのである。ここには、普遍的な平等と友愛理念を基 軸として、他者との間に関係をとりむすぶこともまた秩序形成であるという考え方、あるいはまた、自他の利害の対立、少なくとも不一致を社会の出発点とし、 そうした特殊利害の間の抗争・妥協・調整のプロセスを通じて、自発的に、いわば下から共同利害が形成されてゆくのも秩序形成の一つのあり方であるという考 え方も、はじめから視野の外にあったのである。
儒教的「民本主義」は結局、政治的権威の慈恵的統治(親子関係をモデルとして社会関係を判断する考え方)を出ず、その人間尊重からは人権理念を内在的に導き出すことができない。
だから儒教的政治思想の問題性は、秩序に重きをおきすぎたことにあるのではなく、秩序そのものの考え方にあるわけである。これが儒教思想が保守主義とし てもそのままでは普遍性を持ちえない所以である。倫理思想としても、家族・宗族ないしは村落共同体を超えた広汎な社会関係が形成され、それを規律する公共 倫理が必要とされる度合いにしたがって、儒教は普遍的倫理としての難点をあらわにしてゆかざるをえない」
(『丸山真男講義録[第七冊]日本政治思想史』1967より)
(5)結論
「儒教では、前述した通り、もともと体制秩序は自然と同じように不変とされる故に、秩序が乱れる原因は組織体制にあるのではなく、すべての原因は個人の責任に還元されます」
この前提に重大な錯誤が含まれています。何故なら、自然の山川草木や動植物には人間の頭脳から生まれる欲望はないからです。人間だけが所有欲・支配欲・名誉欲・権力欲など、際限なく欲望を拡大するのです。
したがって、社会を構成する様々な組織体制のトップ(これを首脳とか頭取と呼ぶ)に私利私欲があれば、その社会は決して自然に等しい不変の秩序は保たれ ません。その場合、秩序が乱れる原因は、まさに頭脳の役割をもつトップにあります。人間の集団組織は自然のように不変ではなく、トップによってどのように も変化するのです。
トップにある社長の私欲のために企業組織が崩壊するケースはいくらでも見られます。最近ではウソで固めたミンチ肉の会社の実態が暴露され秩序が乱された事例がありました。
日本の政治的首脳は総理大臣(首相)であるとすれば、美しい自然のような「美しい国」になるためには、首相が「美しい心」を体現しなければ不可能でありましょう。
(2007.7.02/文責:管理人)href="http://www.geocities.jp/shougen60/jukyo.html">www.geocities.jp/shougen60/jukyo.html
我が国が戦争で負け、官僚制度で国が弱体化したかの理由は儒教にある。システムよりも人を重視するのが儒教なので優秀な政治家と官僚がいないと国が回らない。ちなみに英米法ではプロセスやシステムを重視するのに対し、大陸法が人を重視することとも関係してくる。儒教が指導者に徳を求めるのも、人を重視している証拠だ。
このため、一国の首相が最悪だったり、官僚が腐っていると国力が落ちる。永遠にすばらしい首相や官僚が輩出されないし、社会が複雑になれば一個人の管理範囲を超えるのだから、我が国も儒教と大陸法で作られた人重視の政治社会体制から、プロセス重視の英米系社会へ移行しなければならない。
少なくとも、民主党には人からプロセスへの流れをより鮮明にしていただきたい。
by libertarian0606
在日が奥さんの八木は黙れ!