NO.16 2002/7/23

●Profile  

  関谷雅子 Sekiya Masako

「皆さん、こんにちは。作編曲家&キーボードプレイヤーの関谷雅子(本名)です。 私が、学生時代(慶応義塾大学)に日本で初めての女性ロックグループ「ブローイン・ フリー」で業界デビューしてから、かれこれ20年以上、経ちました。(年齢がバレ ル。 ご想像にお任せします。) 思えばあの頃は、シンセサイザーが単音しか出ない、シーケンサーも、4音ぐらいし か打ち込めないものが標準だったように思います。その後、和音の出るシンセ、サン プラーの登場と共に、音楽シーンが画期的に変化しました。打ち込み録音が増え、ス タジオの録音仕事も、シンセサイザー無しには、考えられない状態になりました。私 は、ちょうど、時代の波に乗り、シンセサイザーのスタジオミュージシャンとして、 スタジオに楽器を担いで行って、打ち込んだり、演奏したり、女性では、初めてだっ たようです。(自分としては、ピアニストとして食べて行きたかったにもかかわらず、 運命とは、皮肉なものです。思いもよらない方に人生は変わっていきます。) 作曲家になろうと思って、デモテープに仮歌を録音したら、歌が採用になり、ついに、 テレビの開けポンキッキの番組挿入歌を歌ったり、その後、童謡のレコードや、サン リオのけろっぴの歌声を吹き込んだりしたこともありました。
編曲も、MTRを買い込んで、必要に迫られて始めたという感じです。でも、何でもチャ レンジするのは、楽しいし、良いことだと思います。自分が何屋さんか暫く、わから ない感じでしたが。
バブルがはじけてから、また、日本の音楽業界が変わったようです。生の録音は、ま すます減り、シンセサイザーの打ち込みものが、レコード会社のほとんどの売り上げ を占めるようになったようです。ここ10年間の日本のテクノロジーの進歩は、すさ まじく、音楽にも影響を及ぼしてきました。新人類の若者たちは、打ち込み音楽を聞 いて育っているので、リズム感が異常に良い。日本語がヒップホップのビートに乗る など、20年前の常識では、考えられなかったことです。あの頃、サザンの桑田さん が、「勝手にシンドバット」で、わけのわからない日本語を歌詞に乗せたと有名でし たが、日本語は、絶対に、ラップに乗らないという通説でした。(もちろん、女の作 曲家なんて!女のアレンジャーなんて!女のスタジオミュージシャンなんて!という のが常で、いつも、20代の頃、スタジオで私は、変な目で見られていたような、、、 いや、気のせいかもしれないが、、)そんな時代でした。しかし、私自身、女のミキ サー、エンジニアーが出没し始めたとき、かなり、変な目で、彼女を見ていたかもし れません。今では、どこのスタジオでも、気の強そうな女性エンジニアーが、アシス タントの若い男の子を尻に敷いているような光景は、普通です。
今後ますます、時代は、変化していくことと思いますが、私も、中年になっても、老 年になっても、若い頃の感性を失わずに、音楽を楽しんでいこうと思います。 今の若者たちに、メッセージとしては、機械が発達しても、自分たちのオリジナリテ ィーを出すアレンジをぜひ心がけて下さい。日本のアレンジは、今一番進んでいると 思います。

****** Profile ******


20世紀終わり頃、東京生まれ。(今年1月に撮った写真〔上〕から、年齢を当てて下さい。 絶対、当たりません。)
慶応義塾大学文学部卒業。4歳よりピアノを習い、14歳で子供音楽コンクールで東 日本一を獲る。大学時代に、日本で初めての女性ロックグループ、「ブローイン・フ リー」でビクターからデビュー。翌年、コロンビアに移籍し、グループ「レベル」で デビュー。東京音楽祭や、サンレモ音楽祭国内大会など出演。(モチ、事務所の力ヨ 。)当時、バンドが売れない時代で、すぐ解散。フリーになってからは、宇崎龍童さ んや、数々の有名人のバックバンドを経て、スタジオプレイヤー、作編曲家として、 TV番組音楽、CM、アーティストへの曲など数々手がける。最近は、打ち込みで自分で 全部、音源まで作ってしまう仕事が多い。今、やっている仕事は何かって??(それ は、ナイショヨ)では、みなさん、さようなら!


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