私とこのブログについて、「自民党マンセー」であるかのような論評が絶えません。別に放っておいてもいいのですが、ちょっと鬱陶しいのでこの際、簡単に私が自民党をどう思っているのかをおさらい的に記しておきます。
人の考えや感情は、シロかクロかに簡単に分けられるものではありませんが、あえて「好き」か「嫌い」か言えば、そのどちらでもなく、「今さらあまり関心がない」というのが正直なところです。
もちろん、私は政治部記者であり、職業的な関心は維持していなければなりませんし、自民党には議員や秘書、職員に知人がそれなりにいるので、そうした人たち個人に関しては関心がないわけではありませんし、応援したくもあります。ですが、「党」そのものに対しては「どうでもいいや、あんな党」というのが本当のところです。
もともと、思想・信条・政策ではなく、選挙区事情や人間関係でつながっている「政党」に、そんなに思い入れの持ちようがないということもあります。ですが、それ以上に、私は、安倍元首相やその周囲の人たちの考え方や方向性に共感していただけであり、その人たちが背景に沈んでしまった今、どうして自民党を「マンセー」しなければならない道理があるのか。
むしろ、仕事でなければ見たくもない、というのが本心です。もっと言えば、2年前の参院選とその後の自民党の動きには、強い嫌悪感すら覚えました。そのころに書いた記事を再掲します。
【土・日曜日に書く】失って知る安倍政権の輝き [ 2007年09月23日
◆理念型政権の終焉
失って初めてその貴重さ、重要性が実感できることがある。日本の歴史、伝統、文化を大切にし、自主独立の国家を目指す保守派は今後、ことあるごとにこの思いをかみしめることになるのではあるまいか。これまで安倍晋三首相とその政権を支持してきたか否かを問わずに、である。
きょう23日、自民党の新総裁が選出される。25日には安倍内閣は総辞職、第91代首相が誕生し、新内閣が発足する。総裁選は、麻生太郎幹事長と福田康夫元官房長官の一騎打ちとなっているが、福田氏の優位は動かない情勢だ。
岸信介元首相以来の本格保守政権を築くことを期待された安倍首相は失意のうちに退場し、リベラル色が濃く、歴史問題などで日本に執拗(しつよう)な干渉を続けてきた中国や韓国のことを安易に「友達」と呼ぶ福田氏が新たに政権を担う。
自民党は加藤紘一元幹事長や河野洋平衆院議長らが主流を握り、社民党の村山富市元首相や辻元清美衆院議員らからも「リベラルになった」と評価された10年以上前の姿に戻っていくのだろう。
もともと自民党は、右から左まで幅があり、構成議員の大半はそのどちらにでも転ぶ「ノンポリ政党」だといえる。その中にあって安倍政権は、少数派・非主流派である理念的な保守派が中枢を押さえた希有(けう)な政権だった。また、安倍首相は党内外の保守派の期待を背負った切り札だったのだ。
その安倍政権が参院選での大敗という「民意」と、安倍首相自身の病とで倒れた今、国民の支持を受け、党内多数の衆望を集める保守の旗手はもういない。混迷する政局の中で、保守派に明確な展望はまだ描けていない。
◆保守派にも理解されず
安倍首相は、教育基本法改正、防衛庁の省昇格、国民投票法成立…と歴代の自民党政権が、その必要性は認めながらもメディアや野党の強い反発を恐れて手をつけなかった法改正に、何の躊躇(ちゅうちょ)も見せずに取り組み実現させた。
一方、永住外国人への地方参政権付与、夫婦別姓法案、人権擁護法案、女系天皇を認める皇室典範改正案に国立・無宗教の靖国神社代替施設建設…などには陰に陽にストップをかけ続けてきた。
これらの多くは、保守派から見れば日本の伝統・文化の破壊であり、左派・リベラル派にとってはぜひ形にしたい法案・政策だった。そして安倍首相という防波堤を失った今、徐々に実行に移されていくことだろう。
ただ、安倍首相は、本来は味方であるはずの保守派の十分な理解・支持は得られなかった。その理由で大きいのは、靖国神社に行くとも行かないとも明らかにしない「あいまい戦術」と、慰安婦募集の強制性を認めた「河野談話」の継承だったはずだ。
安倍首相としては、靖国にはいつでも行けるというフリーハンドを持ちつつ、拉致問題への中国の協力を取り付ける作戦だった。また、自民党の大半の議員が河野談話に何の疑問も持たず、公明党に至っては河野談話を高く評価している国会の現状で、いきなり全否定するのは難しいと判断したのだろう。時機を見て談話を修正・追加する予定だったが、こうした慎重さは不幸にも安倍首相の「変節」と受け取られてしまった。
◆美しくない自民、公明
安倍首相の失敗は、国民に理解されるように、何をどう進めていこうとしているのかの「本心」を、十分に発信できなかったことにある。安倍首相が「いつか分かってもらえる」と考えていたことが実際には伝わらず、誤解され続けたように思えてならない。ただ、それも現在の与党の動きを見ていると無理もないと感じる。
昨年の総裁選では、雪崩を打って安倍首相の下に集まり、ほぼ総主流派体制を形づくった自民党が、今回は外交政策や政治信条で最も安倍首相と距離のある福田氏という「バス」に乗り遅れまいと必死になっている。そこには、理念や思想は全く見えない。
一方、公明党は小泉純一郎前首相時代から6年以上続く改革路線を否定し、民主党に対抗して「バラマキ路線」へと突き進もうとしている。これまで政権与党としてやってきたことを自ら否定し、恬(てん)として恥じない様子だ。
参院選大敗のショックがいかに大きかったかを示すエピソードとはいえ、自民党も公明党もあまりに形振(なりふ)りかまわぬ姿はいかがか。何とか国民に取り入ろうとしているのだろうが、かえってこれまで何の信念も原則も持たずに政治を進めてきたことを暴露した形だ。
安倍首相は、こういった政治家たちと折り合いをつけ、だましだまし政策を遂行していくためには、本心は秘めていないと、足をすくわれるだけだと考えたのかもしれない。(了)
…これは紙面に掲載された記事ですから、表現ぶりはオブラートに包んでいますが、本当はもっと自民党という集団に対する強い失望、はっきり言えば憎悪、諦観を持って書いたものです。
その後、福田元首相時代はまだ、福田氏を個人的にも知っていたし、「ろくなものではない」と確信していたので、その危なさとおかしさを発信していかなければと考えましたが、ほとんど知らない麻生前首相の代に至り、いよいよ「もう私に書くことはあまりないな」という心境になっていきました。
また、私は2年前の参院選の結果とその後の展開をみて、時期までは予想できませんでしたが、自民党が現在のような状況に陥るのはある程度予想していたので、「やっぱりなあ、なんだかなあ」と感じるばかりでした。
じゃあ、民主党には関心があるのかと聞かれれば、何をしでかすか分からない政権与党なのですから、それは関心はあります。別に好悪の念ではなく。そして、民主党の一部政策、実力者や閣僚の幾人かは、明らかに問題があり、ウオッチすべきだと考えているので今後もそうするつもりです。ただそれだけです。
政権をうかがう力のない野党には、あまり興味・関心を示さないという政治部記者の悪弊に、私自身が囚われている部分もあるかもしれません。しかし、現在の自民党の所属議員たち全体(一部に優れた人がいるとしても)を見回して、そんなに期待を感じろという方が無理でしょう。
ちなみに、10月初め発売の月刊「正論」には、産経政治部記者4人の座談会(匿名ですが、読めば分かる人にはだれか分かりそう)が掲載される予定です。ここでも、自民党に対しては「再生はないだろう」という意見が多かったと記憶しています。
私とて、予測不能な将来、未来には希望と夢を持っていたいし、そのために何をすべきかを考えないではありません。しかしまあ、「それはこうだ」と言える材料や考えをまだ持てずにいるのです。そんなところです。
by RAM
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