今年の春、黒船ことマダム(嫁)のオカンが来襲した際に、
「実はね、解らない事があるのよ」
って感じで前振りも無く聞かれた質問の一つに上記が挙げられ、そもそも何故にワタシに聞いたのかは今となっては全くの謎なんですが、取り合えず調べておけば米10kg位贈ってくれるだろうと期待しつつエントリ。
伊達郡は伊達郡成立前に因達(いだち)という地名がすでに認められ、中世~江戸時代初期には、「いだち」、「いだて」、「だて」の読み方が混用され、しだいに「だて」になっていきます。
なお、仙台伊達藩では、初代の伊達藤次郎政宗の文書には「いだち」と読みが表記されており、伊達家は公式には明治維新まで「伊達」姓を「いだて」と読んでいたそうです。
初めは「因達」→「伊達」に書き方が変っただけで、読み方その物は変らなかったみたいですね。
現在に至るまでに頭の「い」が消えた理由についてはこちらのページを参照すると、
「いづこ」→「どこ」
「いねる」→「寝る」
「いで(づ)る」→「出る」
と同じ感覚で「いだて」→「だて」に読み方が変った模様。
それを考えると、昔島田紳助が出てたCMで「伊達正宗」の事を「いたちまさむね」とか読んで笑いを取ってたCMがありましたが、あながち間違っていたって訳では無いんですねー。
【関連リンク】
→伊達氏系図(できる限りの復元挑戦)
→船玉神について shipkon 「伊達神社」の項に「因達」の語源とか
→兵庫県の五十猛命 hyogo 「伊達」って言葉は元は兵庫県辺りがルーツだった模様。
Posted by udoso at June 12, 2005 06:00 PM
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