写真家・相原正明氏もお勧めの某神社。
都会の真ん中にあって、でもホントにここ東京?
ってくらい静かな、そして地元に愛されてるんだろうか、次から次へと手を合わせに来る人が。
連日降りつづく雨の隙間を縫って撮れた写真。
グリーンの発色が良すぎて若干彩度をコントロールしたくらい。
肝心の紫陽花はもう一週間程度後にピークを向かえそう。
とにかく10匹を超える猫がウロウロしててーっ!
実はこれ、夜。
暗闇を走り抜けるコースターをMFでISO3200流し撮り。
2年くらい前からだったかな・・・
ある事情ってか切欠で、ファインダーを覗く利き目が左に変わった。
最初は戸惑いやその不便さに涙が浮かんできた。
撮れてたはずのシャッターチャンスを逃してる自分に怒りを覚えた。
今は慣れたから、そこにハンデは感じない。
まあ左から来るモノには両目使えれば有利だと、たまに思うこともあるけど。
霧のように広がる雲が、手を伸ばせば届きそうな位置に。
その隙間から突然現れた富士山頂。
流れの速い風を読み、シャッターに指をかけながら雲の切れ間をジーッと待つ。
雲の下と上。
ほんの少しの高さの差で、信じられないほど空の色が違う。
飛行機に乗ったことがあれば一度や二度は雲海を目にしてると思うが、ここにガラスは無い。
肉眼で見る雲海、肉眼に感じる風、五感で味わう自然の神秘。
22時を過ぎてる街角のオープンテラス。
カップルが、友達同士が、ビジネス的な人間関係も見える、外人さんも。
その脇を家路を急ぐ人達。
街は動いてる。
時間は止まってくれない。
当たり前のことだが、そう思った。
一緒にいたのは写真に関係ない友達。
「ちょっと待って!」
そして撮ってしまう俺。
馬鹿か?
久しぶりにカメラを持った。
そしてどうしても再現してみたい写真があった。
何年前だったか・・・。
ある写真展で見た一枚の写真。
前にも記した記憶があるが、確かヨーロッパの何処かに住む日本人写真家で
それはフランスだったろうか、ヨーロッパの街並みをモノクロで撮ってる作品展。
その中の一枚で、よく外国にある移動遊園地くらいの規模のメリーゴーランド。
夜の、しかも無人のメリーゴーランドが静かに回りだす・・・
よく長時間露光にありがちな光線の輪など無く
メリーゴーランドの馬や馬車の絶妙な被写体ブレが見せる動感表現。
そんな写真だった。
あれを見てから、いつかどうしても再現してみたく
しかし実際の遊園地はメーリーゴーランドだけがあるはずもなく
当然ながら余計な光源やら何やらがフレームに入り込んでくる。
なので今回は周辺を焼き込み、強引にイメージを構築。
テストを含むと撮影枚数はざっと30枚。
そのどれもが微妙にNGなんだが、頭にこびりついてるイメージに一番近いものをENTRY
どお?
やりたかった事、伝わる?
先日撮影の依頼があった。
「我が家の猫を撮ってほしい」
猫は大嫌いだからと断った。
「でもblogでは・・・」
撮れるのは、というか、嫌いでも撮る気になれるのは野良猫だからだと説明した。
「うちの○○○ちゃん可愛いのに・・・」
ですからーっ
そういう問題じゃないんです。
どうぞ他を当たってください。
何ヶ月か前、自分の湘南写真を整理してて気づいたことがある。
それは長く撮り続けてるわりに、あまりにも波や海そのものの表現が二の次だったかってこと。
例えばトリッキーなサーファーを、飛沫を、その決定的瞬間をと望めば
最低でも1/2000以上のSSを設定できる環境を模索し
逆もありで、瞬間を、時間を殺した長時間露光では全く別な表現になる。
これはこれで良いが、表現目的別な、ほどよいSSの写真が少ないことに気づいた。
もちろんその日の天候や明るさ、波の高さや光源に対してのカメラ位置で様々。
そこに定義なんて無く、ほとんどアドリブになるんだが
SSと深度や露出のコントロールで、例えばドロッと流れる溶岩のようにも波は撮れる。
そういう幾通りかの質感表現で、海や自然界の雄大さや怖さをも写真で表現できるはずだった。
しかしついついその時その瞬間に走りがちで、瞬間や時間を止めた写真が多かった。
いや、もっとそういう表現を撮る意識を増やすべきだと反省したんだ。
写真歴が何年あろうと、3年4年通ったくらいで写真展?
まだまだ甘い。
やはりひとつのテーマでも最低5年くらいはかかる?
てか、かけるべきなのかもしれない。
そんなことを学んだ。
まあ、ズバリ在庫写真。
煙の無い煙突は呼吸をしない工場にも見えた。
いっそ廃墟ならそれはそれだが、このまんまじゃ何もかもが中途半端。
仕上がり想定って意味じゃこうするつもりは無かった。
言ってみたらロケハン資料のつもりでシャッター。
そんな使用度ゼロの写真に久しぶりのHDRで人工呼吸の息吹をチチンプイプイ。
富士山に住む神様が違う笑みを浮かべた?
見事なまでに雲ひとつなく澄んだマジックアワー。
肌をかすめる微風が心地好い。
どの地を狙おうと、風景撮影はその天候にも大きく左右されるが
こんなにまでも神様の声が聞こえてきたのも珍しい。
さあ、撮りなさい!
一昨年は神輿へ特攻、昨年は新聞社カメラマンとコラボetc...
さて今年は・・・。
海から上がってきた彼女は、そのまま真っ直ぐ海を見つめ続けた。
時間にして10分近かったんじゃなかったろうか・・・。
そして彼女は海に小さく頭を下げ去っていった。
誰もいない落陽後の5合目。
斜面の一部にはまだ残雪。
今一番高い所にいるのは、事実上enzz君と俺ってことになった。
目の前を過ぎ行く雲は、強風によって、時に巻き上がりながら暴れている。
時折真冬のような突風が襲い掛かる。
三脚の固定に頭を使う。
雲海。
まるで富士山に住む神様が、俺達を一般社会から遮断してくれてるように分厚く広がる。
常に変わる天候状態の中、そこが一瞬だけ割れ、下界の灯りを覗くことができた。
何故か少しホッとする瞬間。
でもシャッターは忘れない。
カメラを180度パーンさせると富士山の頂。
星を狙ってシャッターを押すと、肉眼では見えないものが写った。
上空の風は富士山の背面から。
風に押し出されてくる雲が、富士山に衝突し放射状に散る。
その内側で風が渦を巻いてる。
簡単に言えば小さな竜巻状態。
雲は、例えるなら割箸に巻きつけられた綿飴のように。
こういう自然現象は二度と撮れない気がする。
少しは元気出てきてますか?
いや・・・。
そんな電話の後、午後も遅い時間から黙って俺を連れ出した男
向かう先も任せろと言われた。
車をぶっ飛ばし、日没間際に着いたのは彼のフィールド。
よくここはパワースポットだと聞くことがある。
日本で一番高い山。
山の撮影、俺には完全なるアウェー。
非日常的で、見るもの全てに目を奪われ、いつの間にか脳内は写真一色になった。
アウェーでアウェーに闘志が湧いた。
体内から何かが出てきた。
体内で何かが暴れてる。
撮る理由。
目の前の光景があまりにも綺麗だったから。
単純すぎるほど単純だが、充分すぎるほど充分な理由。
もうひたすら撮った。
夢中で撮った。
染み付いてるカメラの操作、忘れてなかった。
何も答えない男が、何も聞かない男に言った言葉は 「ありがとう」 だけだった。
すっかり仲間内に流行らせてしまってるND使った長時間露光。
この写真はカラーで一度ENTRYしてるが、今日はあえてモノクロで再現像。
前にも記したが、俺の意識する長時間露光は写真家 米津光さん と MICHAEL KENNA
特に今回はマイコーのモノクロフィルムを意識し、あえてノイズもプラスしてる。
デジタル特有のツルンとした感じはとりあえず取り除きたかったからね。
目指すものに近づけるには、本当は撮影自体露光時間をもっと増やすべきなんだが
まあいろいろと諸事情もあるんだな、これが。
麻呂君、新作じゃなくてゴメンやで〜
何でもない一枚。
いつ撮ったのかも記憶にない一枚。
まあRAWデータで日時は確認できるが、その日どんなって記憶がこの一枚とリンクしない。
言い方を変えれば、ある意味プレーンな一枚。
雲の形状が特別なわけでもない。
サーファーがいるわけでもない。
帰港する漁船や遠くに大型船が見えるわけでもない。
湘南と言われれば湘南、違うと言われれば違うような、どこかに湘南らしさが主張されてるわけでもなく
かと言ってストックフォトに使えるほどの客観的シンプルさも欠けてる気がする。
多分、単純に焼ける空に魅せられ写したんだと思う。
たまにはそんなENTRYでもいいよね?
ギャラリー代わりに使ってるfotologue
ブログには出してない写真も何枚か置いてます。
→ → →
フェンサー、何年か前に流行った造語。
要は金網やフェンス越しに構図することを言ってるらしい。
上の写真はある日の横浜ベイブリッジ。
前にも書いた気がするが、この小さな工業用の港には惹かれるものがある。
部分部分をクローズアップすると、まるで香港・九龍のようでもあるし
昔あった横浜特有のバタ臭さが今でも辛うじて香ってるんだ。
まあ古い街ならどこの街にも新旧同居は存在するだろうが
港町横浜の "新" 、もう "新" とは言いがたいかもだが、ベイブリッジはその象徴にも思える。
唄・赤い靴の 「異人さんに連れられて行っちゃった」 のフレーズ。
子供の頃、理屈じゃない恐怖心を覚えた。
古くくすんだレンガ貼りの建物に赤や青のネオン管の文字。
これだけで異国情緒は充分だった。
今の横浜、特に駅の東口からみなとみらいにかけては
先日まで工事してた道も既に開通し、新しい高層建築もまた増えてる。
それの伴い、人の気配を感じなかった場所が人で込み合ってる。
象の鼻と呼ばれた大桟橋の袂も全く変わってしまった。
すずちゃんは山下公園がまだ今の山下公園じゃなかった頃
そこに並ぶ出店に小遣いを握り締めて通うのが好きだったと言ってた。
下の写真はある日の工場ロケハン時に唯一許可をもらった一枚。
フェンスの向こうはアメリカの某大手石油会社で、大使館や基地同様
その扱いも治外法権に近いらしい。
カメラを構えたら迷彩服に身を包んだ米兵に注意を受けた。
モニターを見せ、ピントがフェンスにあるからとかろうじて許可を貰ったんだ。
まあ腹の底では、この一枚で俺を撃ち殺せるものならやってごらんよ!
と笑ってたのも事実だが!
日没20分前。
長く降り続いた雨がやっとせっかく止んだのに、東からまた通り雨のような強めの雨で空は真っ暗。
そこに晴れてる側の雲の隙間から西陽が差し込み虹を作った。
こんなに半円に近く、大きく、しかも二重に。
こんなの東京じゃ見たことない!
いや、もしかしたらここまでの虹は生まれて初めて見たかも!?
左手に傘、右で片手でカメラなので構図もへったくれもなく撮ったけど。
工場ロケの合間に撮った一枚。
実は心象写真という類が苦手だ。
その意味の曖昧さが全てを片付けるのに都合良過ぎる感じ。
逃げ道のようにも思える。
解釈によっては先日記した 「写真を創る」 論に合わせると全てが心象でもある。
矛盾するね。
だからかな、否定はしない。
でも苦手。
対岸には東京のビル。
その向こうには奥多摩。
一艘の大型船が浦賀水道を帰港する。
ピントはあえて外してある。
理由は心象だからではない。
意図がある。
|| burg ism TOP ||