酒井法子被告の保釈はなぜこの日(17日)になったのか--。関係者はイメージ戦略のため「マスコミの反応を見ていた」と明かした。段取りを調整したのは酒井被告の継母と古くから親交があり、逃亡時にも協力していた都内の建設会社会長。前日に保釈された夫の高相祐一被告をモデルケースに、日にちから移動方法まですべて計算し尽くした保釈劇となった。
この日の会見場を手配したのは元所属事務所のサンミュージック。酒井被告の担当弁護士から要請されたものだったが、すべての段取りを調整したのは継母と40年来の親交がある都内の建設会社会長。会長の兄もかつて酒井被告の個人事務所「Nコーポレーション」の顧問弁護士を務めているという深い関係だ。
今回の保釈劇で、保証金500万円が2回に分割されるという「極めて異例」(法曹関係者)の手段がとられたことについて、関係者は「マスコミの反応を見るためだった」と話した。この日の謝罪会見についても「比較的早い段階で決めていたことでギリギリまで調整した」と事態の推移を見計らってのことだった。つまり、謝罪会見を行う前提で保釈する日を選んでいたというわけだ。
ではなぜ、17日になったのか。弁護士がサンミュージックに要請したのは16日の昼すぎ。東京・一ツ橋の如水会館に予約を入れたのは夕方だ。高相被告の両親が保釈保証金を納付するタイミングと重なっており、高相被告が保釈されるのを待っていたとみられる。マスコミがどう動くのかを高相被告をモデルケースにして確認し細かい調整に入ったとみられている。
酒井被告が乗り込んだ車両も、あえて目立ちやすいワインレッド色。運転手と助手席にいたスタッフは会長サイドが用意し、外部と綿密に連絡を取りながら移動した。
カーチェイスをして逃げた高相被告がどのように報道されたかを踏まえ、ヘリコプターで必ず生中継されることを前提に、マスコミが追いかけやすい色の車で、逃げも隠れもせず移動する姿をお茶の間に見せた。(スポニチ)
2009年9月18日