宝の山

一言メッセージ :訪問有難うございます。暫く更新と辺コメを中断します。一週間程度

  • お気に入りブログに登録

社会保障・教育・医療

[ リスト ]

命と言う意匠

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/d8/bc/yosh0316/folder/1587906/img_1587906_48360550_0?20090912231230

8ヶ月前にあるブログに書き込んだコメントを編集修正さらに大幅に加筆して記事にしました。




私のブログにコメント有難うございました。

それのレスポンスは私のブログにてしています。

苛めとか虐待、差別、ホロコーストとはまさに衛生上の観点、自らの生存の快適さを唯一の拠り所にし

て、愛する命の環境を守るって名目で得体の知れない、生き方の原理の異なった者を排除します。

学校の苛めも苛める側はきっとペットや花の世話を細やかにして、親しい友達に優しく、家庭では良い子

供であると思います。

しかし自分流のファンタジー(と云えば聞こえは良いですが妄想です)の世界を壊したり、ファンタジー

のイメージに合わない存在は平気で排除・殺戮するのです。


「子供は逆らい文句を言うけど…ペットは愛しただけ逆らわないでなついてくれるから可愛い」と言う俄

かペット愛好者が多いこと!…

自分勝手で、底の浅い人々です。ナチスだけがファシズムではなくて、自分勝手な妄想をグローバルだと

思い上がる思潮はファシズムです。

書き足りなかったので補足します。

*優生学*という思想がダーウィンの従兄弟ゴルトンが提唱して、非カトリック文化圏の欧米の文化・社会

をリードする文明の狂気と裏腹な関係の進歩主義と表裏一体だという一面をあなたは言っているようです

ね。

社会福祉政策と同調して、スエーデン、デンマークなどの北欧・ドイツ・スイス・フランスなどで社民思

想と軌を一にしています。

かって断種・優生政策の旗手は福祉重視の社民思想でした。

文化的・快適な社会に於ける豊かな生存という幻想が齎した狂気はナチスを断罪することで免罪されるの

ではなく、現在の、健康・ダイエット・環境エコロジー・医療福祉の豊かな福祉社会実現を求める思潮の

背後にしのび寄るグローバルなファシズムの一面があります。

反捕鯨とか動物愛護とかは、異質で多様でそれ故民族固有の豊かな知恵に溢れた文化の在り様を抹殺・排

除する以上はかってナチスがそうであった様にエコロジーという進歩主義の仮面を被ったファシズムだと

思います。

ファシズムは現代の我々の中にも存在していて、「悪魔の優しさ」で、私たちに挑戦し続けています。

一見するとヒューマニズム、しかしよくよく思索すると、ユートピアの向こう側はグロテスクな思い上が

り、傲慢な優生思想。

重度障害者、植物人間、知的障害者、精神障害者は知的な判断力、感情表現、意志、意欲、常識が欠落し

ているから、イルカ、鯨、その他の知的な??動物以下とは妄想ですよね。

論が逆立ちしていますね。命を大切にするとは命を受け継ぐことです。

「いただきます」という日本人が誰でも食事前に口にする言葉は命を頂くと言う意味です。

穀物も野菜も果物も命、豚も牛も命、鯨も、犬も命。食べることは命を頂く行為を避けられません。

鯨を食べるのは殺戮、虐殺。

イナゴ、毛虫を食べるのは野蛮、下等な民族。

牛、豚、鶏を食べるのは当然と考える思考は独善的で傲慢な思い上がりです。

食べると言う行為は命の前提であり、他の命を我が命に引き受けることです。

動物は節度のある捕食をします。口にする動物、植物に決まりがあります。

人間も民族により食するものは違います。

それぞれの動物に対する関わり方、接し方、宗教的な禁忌で食するかどうかが異なります。

「鯨を食することを前提に殺戮・虐殺することは野蛮な非文明人でありヒュウマニズムに反している、

自分たちは牛・豚は食べてもそれは生きるための当然の行為で殺戮では無い、その根拠は鯨・イルカは知的

動物で牛・豚は知的な動物ではないからだ」という論理展開は思い上がりです。

ブッシュ政権下のアメリカのように自らの親しむ文化・習慣・禁忌をグローバル化して他の在り方を否定

する事が全ての過ちの根源です。

いただく食の対象を「知的」を基準にする所が一番の愚かしさです。

まだ素直に「同種の人間は食さない。殺戮しない」で済ませばまだ可愛げがあります。

しかし、基準が「知的」ですから、知的ではない存在は殺戮の対象なのです。


彼らは優生思想の囚われ人です。

私は家族遺伝性の自閉症・発達障害の家系の人間です。

生きることは自らの命をリレーして世代世代に引き継ぐことのみならず、他の命を(食べることで)生き

ることで引き継ぐことだと思います。

知的に優れているかが人間・生命の価値ではなく生きていることそのものの不可思議な営みに叡智を感じ

ています。

重度障害は生命の在り方として、生存に適した選択では?と言う視点までダーウィンの残した進化論は

至っていると思います。

強者・適者と言う優れた命の為に地球は存在してはいないのです。

ファシズムはナチス・ドイツの専売特許ではなくて立ち場を換えればホロコーストされた側にも蔓延る現

代文明の病なのです。



健常・普通で有ると言う事は、適度に鈍い能力を維持することなのです。

視力・聴力が100倍優れていてウィルス、細菌まで見えたり、周囲の音の微細なものまで全てを聞き取

れる能力は精神的に異状をきたすのです。

例えば、ある状況(サバンナの狩猟生活)での耐性を比較すれば現代人は耐性が無いのです。

この環境では行動が出来ない無能力者の烙印が捺されます。

視力6.0以上の人間が耐性があるわけです。

逆に私達の社会では視力10.0以上の驚異的な視力の持ち主はは生活上障害者になるのです。

恐らく生活上破綻をきたしたり、精神に異状をきたすでしょう。

障害とはある種の能力の極端な発現の場合も有るのです。

例えば、絶対音感は乳児期には誰にでもありますが、生活の快適さを優先するから多数は排除します。

排除するとは大抵はその様な能力を喪うということです。

2,3歳児の訓練で絶対音感を獲得するのではなくて維持して繋ぎ止め身体感覚に定着させるのです。

音楽家の家系に絶対音感者が多いのはDNAがそうさせるのではなく環境がそうさせているのです。

偶々、音楽的才能が尊重される社会の場合には価値ですが‥幼児期、少年期に絶対音感を無能力化するプ

ログラムが健常者にある以上絶対音感は障害なのです。

天才・重度障害は同じものなのだと私は考えています。

才能は場合に拠っては障害と扱われ、その逆も有り得る訳です。

全ては健常とされる側の行動規範の都合・多数者の行動様式の習慣の問題で決定されるのです。

絶対音感は文化的な多数者の価値観で、ある場合には才能、ある場合では行動に影響してマイナスに評価

されれば障害にだって扱われます。

才能はその人の置かれた状況で心楽しい輝きにも、辛く悲しい苦悩の素になることもあるのです。

心の裕さ、人間性の明るさがその2つの扉のどちらかを開ける鍵なのは言うまでも有りません。



*優生学と発達障害、アスペルガー症候群についての皮肉な事実*について書き加えます。

認知神経科学者の正高信男さん(京都大学霊長類研究所教授)は著作『天才はなぜ生まれるか』(中公新書)の第5章

『付き合いべたなベル』の中で『孤独の克服―グラハム・ベルの生涯』(ロバート・V・ブルース著)を引用しながら、

ライバルとの競争や後援者からの重圧に耐えかねているベルの様子から人間づきあいが下手であると結論付けています。

そしてベルは自閉症それも高機能自閉症(アスペルガー症候群)ではないかと主張しているのです。

この正高信男さんの著作の紹介はこのブログの記事

   http://blogs.yahoo.co.jp/yosh0316/47069716.html

に有りますですので、ご覧下さい。

電話の発明で有名なアレクサンダー・グラハム・ベルは生涯を通じて科学振興および聾者教育に尽力し

ました。

電話の発明そのものも、音声の研究の過程で、電気と音声の関連利用について興味を持ったことがきっか

けとなっていたのです。

熱心な聾教育家であり科学技術振興の推進者であった彼は、19世紀後半〜20世紀前半の『進歩する社

会』に寄与する科学知識と言う優生学的諸法則を応用することから得られる様々な科学的進歩幻想の中

で、マサチューセッツ州マーサズ・ヴィニヤード島における聾者の人口比率を調査した結果に基ずく

論文「人類の聾唖種の形成に関する記録」において、聴覚障害は自然に遺伝すると結論付けた上で、聴覚

障害を遺伝しない結婚を奨励しました。

その他多くの初期の優生学者と同様に、彼は優生学的意図から移民の制限を提起し、「ろうあ者の寄宿学

校がろうあ者の産出の場となっていると考えられる」と警告したのです。

彼が死去したのが1922年、世界大恐慌(1929年)、ファシズムが世界を震撼とさせる1930〜40

年代の手前の時代だったことはを割り引いたとしても、家族遺伝性の自閉症・発達障害・アスペルガー症

候群の疑いのある彼が、障害児・者教育の推進者であり、更にあの有名なアン・サリヴァンを旧知のヘレ

ン・ケラーの家庭教師として紹介するするなど、障害児・者教育に多大な貢献をしている一方、優生学的

な思想から一歩も出ることが出来なかった事実から、私たちは何を学び取って行くべきなのかを真剣に考

えて行きたいと思います。

[[attached(1,center)]]



日本人にとって「個性的な=独創性を備えた人間」を育てるという目標は、半ばトラウマのようについてまわる事柄である。
では、その個性を彩っている独創性は、どのように形作られるのだろうか。
ここで厄介なのは、それが、ある能力の欠如による結果として生み出される場合が多いということである。
歴史に大きな足跡を残した六人の個性的な生涯をたどりながら、様々な障害が逆に独創性を形成していく意外なプロセスを解き明かす。

第1章 うわの空のエジソン
第2章 癇癪持ちのアインシュタイン
第3章 外国語のできないレオナルド
第4章 古典嫌いのアンデルセン
第5章 付き合いべたなベル
第6章 落ち着きのないディズニー
第7章 知的障害はなぜ進化したか
著者紹介

正高信男[マサタカノブオ]
1954年生まれ。1983年、大阪大学大学院人間科学研究科博士課程修了。学術博士。専攻は認知神経科学。アメリカ国立衛生研究所、マックスプランク精神医学研究所、東京大学理学部助手などを経て、現在は京都大学霊長類研究所教授

転載元 転載元: 実りの森へご招待Champion the challengers

閉じる コメント(17)

Yahoo!アバター

たんぽぽさん漸く転載出来ましたね!
この記事に補足する形でピーター・シンガー、ポール・ワトソンなどの動物愛護、動物権、環境ファシズム、等などの思想の危うさをどんどん展開して下さい。 私もコメントします。

2009/9/13(日) 午前 9:16 yos*0*16

顔アイコン

転載ばかりで自論が無いんですね。
りっぱな記事を転載してもあなたの力量ではありませんから・・・。

2009/9/13(日) 午前 11:41 knd*pev**

Yahoo!アバター

77さん、初めまして、今晩は。もともとはたんぽぽさんの記事のコメントを私がつい、長く入れてしまい、拙いかなと思ったら、たんぽぽさんは長文コメントが好きなようで(このブログのコメントは長くても構わないので)、たんぽぽさんと掛け合いコメントの応酬になってこの記事の基本骨格が出来たのです。後は真打のたんぽぽさんのピーター・シンガー、ポール・ワトソンなどへのコメントが入れば私との2年越しの共著の記事が完成する予定です。乞うご期待

2009/9/13(日) 午後 8:37 yos*0*16

顔アイコン

77さんは自分で以下のようなコメントを書いているのに、どうして上記のような事を他人のブログに書くのでしょう?

http://blogs.yahoo.co.jp/huwawatanpopo/GUEST/55343742.html
「やはり、双方の立場を尊重したブログへのコメントがブログをされて居る方は有難いと思うのです。他人のブログで自分の主張・主義をとうとうと述べる事自体、人間を軽んじていると思います。」

2009/9/14(月) 午前 0:10 [ サンバ(springsanba) ]

顔アイコン

KTC様、私はお仲間の長文(批判は駄目)は良いと思います。
しかし、たんぽぽさんは敵対する場所での長文。
相手側の立場になればNO−サンキュウの世界です。
この辺の所理解して頂きたい。

2009/9/14(月) 午後 9:35 knd*pev**

顔アイコン

林則除のように裁判での事を20以上のコメント覧をびっちり使われた日には・・・・。
何なの?って感じです。

2009/9/14(月) 午後 9:37 knd*pev**

顔アイコン

KTC様、始めましてを忘れました。
ご挨拶がありましたのに失礼しました。
KTC様に呼びかけましたが、ヤフーのブログマナーの中に訪問者同士の話は慎むようにとありましたので今後は控えさせて頂きますね。

2009/9/14(月) 午後 9:49 knd*pev**

顔アイコン

社会衛生学でっか・・・。
「ファシズムは忍び寄る」って本当でんなぁ。

2009/9/14(月) 午後 11:56 [ 亜州 ]

Yahoo!アバター

77さん、私yoshはCTCです。挨拶したのはこの転載記事の著者が私だからです。それに、教え子のアミーゴが関わっていますので、今後の展開を考えて、ご挨拶した次第です。私の子供2人は発達障害=自閉症で支援学校が学びの場でしたし今も下の子は学んでいます。貴女のブログで貴女が受けている糾弾については、感情的にならないのが
得策と存じます。差別される側を受け入れるためには知見・見識を拡げるしかないと思います。私は知的障害児・者の受けている差別を声高に糾弾攻撃しては不毛だと存じます。私の持論です「人は持って生まれた価値観・差別感を素直に検証し来し方(過去の生き方・考え方)を虚心・謙虚に省みる契機を自らの手で作らない限り、墓場まで
差別意識を運ぶ生き物だ」

2009/9/15(火) 午前 2:16 yos*0*16

Yahoo!アバター

77さん。ここでは長くて良いので私見をもう少し述べます。反省猿で有名な村崎太郎さんは山口県の部落生まれです。日本の歴史的な構造の中では、動物(昔は畜生、差別語です)に関わる職業は部落民でした、食肉・毛皮・猟師・などの職業は彼らが担ってきました。もちろん差別も受けながら村崎さんのように職業に誇りを持っている方が多いのです。もちろん、そうしないと生きていけない人も多いのです
。人には心があります、いや魂があります。軽率に行動・言動したことが齎した対立なら、虚心に来し方を振り返ると良いと思います。部落に関しても、障害に関しても事実・差別が有ることを知識で知っていても彼らの魂を傷付けてしまったときに、人間は本当の命の尊厳に
出会う契機を得るのだと思います。

2009/9/15(火) 午前 2:32 yos*0*16

Yahoo!アバター

77さん
仲間は長文が許され(批判はだめ)は没論理的です。ブログ仲間の間ではサンボのように(たんぽぽをおもちゃにして愉しみ、たんぽぽは精神異常者)等の不穏当な言辞を嗜める、叱る事が禁じられます。仲間内の行動・言辞を全てを礼賛で埋め尽くす場所は北朝鮮の雰囲気です。敵は全て罵倒、罵詈雑言。声高な非難。もしも仲間内の切磋琢磨向上しようとする気運が溢れる場にならずに仲間の非行を嗜める契機を見逃すどころか庇う、居直るのであれば…何をか言わんやです。

2009/9/15(火) 午前 3:29 yos*0*16

Yahoo!アバター

更に書き加えます。 ブログの誉めコメントは(素敵です、良かったですね)と短文で済みます。返事も(有り難うございます(^_^)v)で済みます。でも異議・批判・嗜めのコメントは論理的に論拠を揚げ連ねますから長文になります。仲間のブログで仲間を庇うコメントは長文が許され、批判の長文は 駄目と言うのは77さんには都合が良い主張です。狼の山さんのブログの言動の仕方と今の貴女のブログでの言動の仕方に貫かれている論理は一貫して異論排除です。
批判は気分を害するからNOthanksは文章・言論で生きる場面では有り得ません。言葉に責任を持てばいえない言葉です。
ヤフーのマナーの奨めはたんぽぽさんは全ての人の長文を認めているから此処では無効です。たんぽぽさんには「相手が嫌がることは控えたら」と嗜めています。ことわって置きますが、私は77さんのブログではコメントする 気持ちは一切有りません。そして、私は、たんぽぽさんの仲間では有りません。

2009/9/15(火) 午前 4:20 yos*0*16

Yahoo!アバター

更に申し述べておきます。
comment(コメント)は褒め言葉でも罵詈雑言でも有りません。解説・注釈・批評・意見・論評・所見なのでコメントとしたヤフーが異論。批判も認めていることになりませんか?でも、「馬鹿、精神異常者、頭が悪い、特殊学級並みの知能」はコメントではなくて、NOTHANKSの不快・迷惑・差別言辞でクレーム要因です。アミーゴ君の調査ではたんぽぽさんは確かに長文のコメントをたくさんしていますがコメントをと認められますが、サンボは相手を敵と判断したらクレームの付く迷惑言辞のオンパレードを繰り広げているとの報告を受けています。

2009/9/15(火) 午前 4:46 yos*0*16

顔アイコン

亜州さん

そう。そういうことです(笑)

2009/9/15(火) 午後 7:32 [ たんぽぽ ]

顔アイコン

死ね 削除

2009/9/16(水) 午後 5:57 [ 名無し ]

顔アイコン

呼ばれたから来たよ!
何が生きる価値がないだ!そういうおまえの方が生きる価値がない!
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/17795/1251346766/ 削除

2009/9/16(水) 午後 6:15 [ ピクミン ]

顔アイコン

オイ、オイっ、たんぽぽさんはアラシではなくてアラシクスティだよ〜^〜^
ゲームの掲示板に書き込みをする発想は逆立ちしても出て来ないよ〜(ぷっ、p〜p)
どう考えても20〜30代の人間の何気ない行動パターン。頭を使って(あっ頭は使えないんだよね〜君の頭は抱える物だし、来たり、叩く,ど衝くものだからねぇっ)もう少し犯罪の手口を磨きな〜5流のアラシ君=サンボ=リョウシン君^〜^

2009/9/16(水) 午後 9:01 [ サンバDEアミーゴ ]

コメント投稿
名前パスワードブログ
投稿

閉じる トラックバック(1)

トラックバックされた記事

金魚に尊厳死、ブタにシャワー ―― スイスで厳格な動物保護法が発効

妙な法律ばかり出てきますね。 これはマルッきしファシズムですよ。 ナチスの動物愛護法とそっくりですね。 政権を取ったばかりのナチスが1933年11月、ヒトラーの肝いりで制定したのが「動物愛護法」でした。1938年に「生魚その他の冷血動物を殺すこと、及び保管に関する命令」を制定しました。 6条まであるのですが、さわりだけ紹介しましょう。 第一条 〓 その肉が人間の嗜好に供される魚は殺す前に気絶させなければならない。気絶は目の上方の頭部を十分に重く固い物で、力を込めて打つこと

2009/9/15(火) 午後 7:39 [ 宝の山 ]

トラックバック先の記事


.
  今日 全体
訪問者 13 33067
ファン 0 73
コメント 0 2779
トラックバック 0 113
検索 検索

ブログバナー

標準グループ

投資情報

素材

お仕事

趣味

健康・環境・メンタル

たんぽぽ
人気度

ヘルプ

  • My Yahoo!に追加
  • RSS
  • RSSとは?

ケータイで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

URLをケータイに送信
(Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です)

開設日: 2007/5/8(火)


プライバシーの考え方 -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2009 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.