現在の日本の食料自給率はカロリーベースで40%。
食料を安心しておいしく食べられる社会を守らなければなりません。
長い間、美しい自然と大勢の人の手によって育まれてきた”おいしいニッポンを”残す、創るために、食料自給率の向上は、達成させなくてはならない課題のひとつです。
戦後の貧しさから脱し、伝統的に主食であるご飯を中心に、魚、野菜、豆腐や納豆などが食卓に戻ってくるようになった。
また、炊飯器・冷蔵庫などの電化製品も登場し、日常生活が変わると共に食生活にも変化が見え始めた。
- 電気洗濯機(約4万円)、電気冷蔵庫(約9万円)、テレビ(約13万円)が憧れの的となる。当時の平均月収は約3万円。
テレビを持つ家に多くの人が集まった。 - 昭和33年、日清食品から「チキンラーメン」が発売。1袋85g入り・35円。珍しさがウケて爆発的人気となる。
- 米の生産が大豊作となり、史上最高の1239万トンに達した。米不足時代が終わりを告げる。
ファストフードやファミリーレストランなど、外食産業が次々に登場し、人気を集める。
また、レトルト食品や冷凍食品などが店頭に並ぶなど、時代に変化が見られ、食材の輸入化、食生活の洋食化が進んだ。
- 「人類の進歩と調和」をテーマに、日本を含む77カ国と4つの国際機関が参加。
総入場者数は、約6400万人と万博史上最多記録を更新。万博史上初めて黒字となった。 - 昭和46年7月20日、東京・銀座三越の1階に「マクドナルド1号店」がオープン。1万人もの客が詰めかけ、1個80円のハンバーガーを立ち食いする人でごった返した。
- パン食の普及などにより、米の消費が減少。米が余るようになっていった。
お金さえあれば、食べ物が自由に手に入る時代へ。
世界中から食料が日本へ入ってくるようになり、食卓の主役は和食から洋食に。また、同時に食生活の乱れが叫ばれ始め、栄養バランス向上のためにサプリメントをとるというあり方が生まれた。
- 王選手がアメリカ大リーグのハンク・アーロンのもつ世界記録を更新。その後、国民栄誉賞第1号として表彰される。
- 独身女性の社会進出や、パートなど主婦も仕事を持つようになったこともあり、「早い、安い、温かい」の持ち帰り弁当が「ほっかほっか亭」を草分けに、ブームになった。
- 「サタデー・ナイト・フィーバー」日本上陸で、日本中でディスコフィーバーが起こる。全国各地にディスコが誕生し、「フィーバー」という流行語も生まれた。
時代はバブルに突入。日本の生活はますます豊かになり、子供の好きな料理は肉やカレーなどの料理が上位を占めるようになる。
牛肉の輸入も自由化されるなど、食に関して海外への依存が高まり、日本の食料自給率は40%台になった。
- 1986年12月から1991年5月までの4年3ヶ月間を指す空前の好景気のこと。地価や株価がどんどん上昇し、多くの投資家が「土壌神話」「株長者」などを満喫した。
日本の食生活が豊かになる一方で、食の外食化や調理されたものを買ってきて食べる「中食」で食事を済ませる人が目立ち始める。
また、不規則な食事が増え、肥満や糖尿病が若い世代にも及ぶようになった。
- 地元のタウン誌などでもつ鍋が紹介されると女性客が急増、専門店がぞくぞくと登場した。ヘルシーさと価格の手ごろさが受け、東京・銀座のもつ鍋専門店では2週間先まで予約で一杯という異常現象となった。
- 1993年産米が大凶作となり、1994年になると2〜3月をピークに米不足問題が勃発。タイ米など、海外から米を緊急輸入したが不評で、国産米を求めて米屋やスーパーの店頭などに長蛇の列ができた。
「食育」という言葉が広く使われるようになり、今私たちが食べているものについてもう一度見つめなおそうという動きが活発に。
- 牛丼チェーン、焼肉チェーンが原材料高騰により苦しむ。
- 世界的な原油高により、穀物価格が高騰。あらゆる食材が値上げされる。「お金を出せば、食べ物を買える時代は終わった」と叫ばれ始める。
FOOD ACTION NIPPONは、日本の食料自給率アップに向けた国民運動です。
食料自給率をアップさせるには、できることからACTIONを始めることが大切です。
米や野菜を中心としたバランスのよい食生活を心がける、食べ残しを減らす、国産の新鮮な旬の素材を食べるなど、シンプルでおいしいACTIONこそ、日本の食料自給率をアップさせる原動力となるのです。