Sayoko Nobuta
信田 さよ子
岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンスなどのカウンセリングを行っている。
信田 さよ子 さん(原宿カウンセリングセンター所長)
「親密さは危ない」と信田さよ子さんが言うのは、理想を掲げた家庭や結婚を望んだ人を見てきての実感からだ。親密さが愛を育むと思いがちだが、自分の望む通り相手を支配する状態が親密だという倒錯に陥る場合もある。誰もが知っているようで知らない家庭の実情。いったい何が起きているのだろう。
もともと摂食障害の相談が多いのですが、最近増えているのはドメスティック・バイオレンス(以下DV:夫や恋人からの暴力)です。
まずカウンセリングの基本は「原因があって結果がある」という考えをとりません。「いま自分がこういう状態なのは、どんな原因でそうなっているのか?」という考えそのものを変えていきます。
そうですね。問いの立て方を変えることがカウンセリングの仕事のひとつです。ほとんどの人は「どうして自分はこういう性格なんだろう」「何が原因だろう」とさかのぼって考え、原因追及します。そうではなく「今の自分は何に困っているのだろう」「何を変えれば困っている状態は変わるだろう」「それをするには何をすればいいだろう」と問いの立て方を変えていきます。
間違っているわけではありません。そういう考え方でも、それなりに答えは出ます。ただ「答えが出る」ことに満足すると、たんに答えを得たいがための内閉的な堂々めぐりの考えをしがちで、だいたい良からぬことを思うようになります。要は自己否定的になります。
さかのぼって原因追及しても、「そうなんだ。よかった!」と思う人はあまりいなくて、大方の人はどんどん自己否定していきます。自己否定というのは螺旋状に降りていきますから、死にたくなったりします。だから、そういうやり方はあまり意味がないと思います。
「なんでうちの子は変なんだ」「なにが原因でこうなった?」から「親である自分がどう関われば変わるか」という問いに変えてもらう必要があります。
親だけでもなく子どももそう思っているんじゃないですか。どこかに理想の親がいて、うちの親はそうではないとか。基本的に「そういう理想の家庭はない」というのが私の考えです。これは個人的な考えですから、カウンセラーとして言ったほうがよい場合と「そうですね。そういう家庭があるといいですね」と言ったほうが効果的な場合があるので、使い分けています。カウンセリングは戦略的にならないといけないのです。
本当にあると思っていますか? 私は理想の家庭なんてコマーシャルの中にしか存在しないと思ってますよ。
そう思わないと結婚なんかしないでしょう。だけどそういうことを言ってはカウンセリングできません。ですから信じてらっしゃる方にはそれなりに信じていただくように、私たちは言葉を選んで話します。
でもここに来る人たちは、ほとんど理想に破れているわけです。親子関係にしても、夫婦関係にしても破れているのに、「どうやったらもう一回あるべき家族の姿をつくれるか」なんてことをやるよりも、このまま家族の成員がそれぞれ別れるほうがいい場合もあって、理想以外にも非常に多様な選択肢がありえるわけです。
そうするよう私がそそのかすわけにはいきませんし、ましてお金を払っていただいているので、本人たちが「別れない方向でなんとかやっていきたい」と思うのなら、その方向で援助します。
本人が「別れたくない」と思えば、私は「別れたほうがいいと思いますが」とは言います。けれど、たとえば子どもがふたりいて、受験を控えている。専業主婦で、別れてどんな生活を送る可能性があるかと考えたら、しばらくは一緒にいる選択を支持するしかないでしょう。社会的リソースの不足は大きいです。
そういう場合は、暴力を修正するようなプログラムなどを紹介して夫にも勧めることもします。
ただ、彼らはアプローチしても伴に来たがりません。でも妻が精神的に参ってしまい入院する。そして、病院からプログラム参加をして欲しいとの手紙を出して促すと妻がいなくなった衝撃からカウンセリングに来ることは多いです。
いくつかの理由があります。DVでは「ここが君のいる世界で、ここ以外に君のいる世界はない」という孤立化した状況をつくって暴力を振るうので逃げられないのです。また、「ここにいるしかない」と女性側が諦めている場合もあります。
あとは、いまの現実の日本で40歳過ぎた女性がどうやって生きていけるかという現実の貧困さがあります。生活保護を受けて暮らすくらいなら、妻の座を滑り落ちるよりもここにいて耐えたほうがいいという選択もあります。それに自分が「DVの被害者だと思わない」という場合もあります。
つまり、夫は病気でそれは「私にしか表現できない」と考える。「私だからこそ」暴力を振るわれる。それは愛情の証だと捉える。「かわいそうな夫だわ。受けてあげなくちゃ」と思って殴られる。
煽りますね。それで死んでしまう場合もあります。「このままでは死ぬ」と思ってようやく逃げる場合もあります。
はっきり言えば、日本のDV政策は遅れているので「生きるか死ぬか」でないと逃げられない。とんでもないことですが、法的措置がないのです(注1)。
アメリカやカナダ、イギリスでは激しい暴言でも逮捕されます。そういうことが日本ではないので、耐えて「死ぬか生きるか」のレベルになって初めて逃げ出す。
そうですね。特に東アジアはその傾向があります。けれど韓国も台湾も犯罪化されましたから、先進国の中では日本だけですね。DVが犯罪として逮捕されないのは。
デートDV(注2)もあるので、親密な関係になった途端に発生すると考えたほうがいいでしょう。
親密さは危ないというのが私の中の前提です。親密というのは、距離が近くなることで、お互いが愛情を持ち出しながら所有関係が発生しますよね。この所有というものが暴力を誘発すると思っています。
所有感覚によって「相手は自分の思い通りになるべきだ」という思い込みを許してしまう。もちろん自分も相手の思い通りになって、お互いにそうなることが「心から愛し合っていることだ」と思う。
そう思っても生きた人間は当然ですが、思う通りになりません。そのときにものすごい怒りが発生します。怒りを口で相手に伝えられる人とそのまま暴力に移行する人がいるのです。
親密さは、カップルがいい関係になれるか、そこから暴力に移行するかの岐路だと思っています。少なくとも「おまえは俺の女だ」などと決して言わない人を選んだほうがいいでしょう。
所有感覚に満ちても暴力的な方法じゃなく関係を持つことは可能です。「どうして僕のものになってくれないの?」と一言いえばいいのに殴ってしまうわけです。そこにコミュニケーションスキルの貧困さがあって、だから「言葉を磨きましょう」ということですね。表現力を磨いて、暴力という方法でなく、親密な人に伝えるようにしましょうと。
ところが日本の文化は、「親しき仲に言葉無し」みたいなところがあって、親しければ親しいほど言葉を介さなくてもわかってくれるでしょ?というのがあります。そこを変えないといけない。
間違ってますね。あとは自分のことを本当に愛してくれるなら、こうしてくれるのは当然でしょ?というのがありますね。お腹空いて帰って来たのに、どうしてご飯がテーブルに乗ってなくて、ビールが冷えてないんだ。こんなに自分は懸命に働いて帰ってきたのに、妻たる君が本当に僕を愛してくれるなら、ちゃんと食卓を飾って、お帰りなさいとビールを注いでくれるのが当然だろう?というわけです。
結婚すると変わるんですよ! だって自分のものになってない時は、嫌われたくないから、けっこう気を使います。いったん結婚して籍が入って妻となったら変わります。よくDVは新婚3か月目から出ると言われます。3か月は「逃げるんじゃないかと」思ったりするんですが、4か月目から「もう大丈夫だ」と思って、どんどん要求を出して、その通りにならなかったら暴言を吐いたり、暴力を振るったりするようになります。でも、主観の中では妻を愛しているんです。
人間扱いしてないんです。彼らの中の女性観にはそうしたところがありますね。女性が自分と同じ人間であるとは、基本的な憲法の問題だから頭ではわかる。でも性的な関係を持って、「自分の女になった」と思った途端「同じ人間だ」と思わなくなる。
国による差はないのが常識ですが、日本の男性の特徴は、妻に嫉妬をしないことです。アメリカのDVはジェラシーに起因するものが多くて、通りすがりの男性をふっと見ただけで、それを責めるところから始まったりします。
日本の場合は、妻に嫉妬することがない。「他の男がこんな自分の妻に魅力を感じるはずがない」と思っているようです。「俺と別れて、よその男とつきあえるはずがない。おれだから結婚していられる」というわけです。
そうなると嫉妬はするでしょう。ただ、その場合に起きるDVは酒を飲んで行います。素面でやったら妻に負けていることを認めることになる。彼らのプライドが許さないから飲んで行う。卑怯ですよね。
そういうのは生育歴と関係なくて、心を許せる人がいないからのようです。「妻なら理不尽なことを言っても受け止めてくれよ。俺の妻じゃないか」という過剰な依存、期待、思い込みがあるのです。それからちょっとでも外れると怒るわけです。
そう言ってしまうとあまりにもつまらないけれど、そう思います。だから妻に嫉妬しない。母親が誰かほかの男にとられることはないでしょう? 母はずっと母ですから。
「結婚=男性への期待の達成」という考えを抱いているなら、まだ従来の結婚観をひきずっているのでないですか。
今の世の中を渡る時に結婚していたほうが楽なのは確かです。だからマンションのローンを組むときに便利だとか、強盗が入った時に役立つとか、自分より背が高いから上の物を取ってもらうとか。それくらいに思っていればいいんじゃないでしょうか。
暴力振るわなさそうだし、遺伝子よさそうだし、何かあった時にボディガードになりそう。それでも結婚がありうるっていうなら、ふたりの関係性は従来と変わるでしょうね。
上の世代とは違っていて欲しいですね。私がいいと思うのは、若い男性の言葉による表現力が女性と遜色なくなっていることです。ブログをやったりとか言語能力が総体的に上がってきていると思います。
言語能力が上がるといいことがあって、それは頭の中のエネルギー値が落ちることです。想念を言葉にして、外在化することである種の独善性はなくなると思います。やっぱり言葉が大事で、人と交流し、本を読むことは大事だと思います。
ただ、本を読む人はたいてい暗いんですね。友達とつきあって本をたくさん読むのは難しいかも。暗くても問題を起こすかどうかで踏んばって適応するくらいがいいかもしれません。
ある意味、不登校でも摂食障害でも、死なない程度であれば、それが財産になって活きることがあるかもしれない。けれど、今起こりつつある時代の変動の残酷さは、それが財産になりにくくなってしまうことです。
つまり、うまく世の中を渡って、家庭にもそこそこ適応できた人は、そのまま人生をうまく生きる。小中学校でつまずいたらずっとつまずいたまま。いわゆる「社会の階層化」です。これは男性よりも女性において格差が激しくなるんじゃないかと思います。日本の今後を左右する問題だと思ってます。
(注1)2004年のDV防止法改正により「配偶者からの暴力」の定義が拡大され、配偶者や事実婚の相手、元配偶者、子どもへの接近禁止命令も加えられたが、被害者の自立支援を行う仕組みはほとんどない。また、加害者矯正プログラムの実施も盛り込まれていない等の問題点がある。
(注2)相手の行動を束縛したり、暴言を吐いたり、暴力を振るう。また性行為を強要するといった様々な暴力を含む。
Sayoko Nobuta
信田 さよ子
岐阜県生まれ。お茶の水女子大学大学院修士課程修了後、駒木野病院勤務などを経て、原宿カウンセリングセンターを設立。アルコール依存症、摂食障害、ドメスティック・バイオレンスなどのカウンセリングを行っている。主な著書に『家族収容所』『結婚帝国 女の岐れ道』『一卵性母娘な関係』など多数。
原宿カウンセリングセンターHP
http://www.hcc-web.co.jp/index.html
【信田 さよ子さんの本】
『家族収容所ーー「妻」という謎』(講談社)
『結婚帝国 女の岐れ道』(講談社)
『一卵性母娘な関係』(主婦の友社)