2009年09月18日

酒井法子さんの早期復帰を祈ります

4月24日に「さんの謹慎は不要であると考えます。」というタイトルの記事を書きました。

http://gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13439489.html

 

<転載開始>多くの幸せをつくってきた草なぎさんでも、一度過ちを犯すと激しくバッシングされます。私同様に、「失脚」することを願われます。


鳩山総務大臣は「絶対に許さない」「最低の人間」と人格を否定するような発言をしました。


これはいけません。「罪を憎んで人を憎むな」です。 やってしまったことは叱ってもいいのですが、人格を否定しない、これがディズニーランドの叱責の基本です。
それこそ、鳩山総務大臣が「最低の人間」と揶揄されても仕方ありません。

<転載終了>

 

酒井法子さんの事件への思いも同じです。「罪を憎んで人を憎むな」です。 


酒井さんは「悔い改めます」と謝罪しました。この一言が重要です。アメリカのクリントン元大統領は、任期中に不倫という罪を犯しました。しかしながら、犯した罪を認め、「悔い改めた」ためにアメリカ国民はクリントン氏を赦し、氏は職務を全うすることができました。離職後も大統領時代より有意義な仕事をしていると聞いています。 


アメリカ国民は、罪を認め、「悔い改めた」人間には再チャレンジを許すのです。まさに「罪を憎んで人を憎むな」なのです。 


翻って、日本社会の反応はどうでしょうか。アメリカ社会の反応と正反対であるとしか言いようがありません。レポーターやコメンテーターは、「演技をしている」「反省しているようには見えない」など、平気で酒井さんを「悪者」扱いしています。 


本人が「悔い改めた」と言っているのですから、それを信じるべきです。そして、再チャレンジを許すべきです。それが成熟した大人の社会というものです。 


しかしながら、マスコミに限らず、多くの市民が酒井さんを「悪者」とジャッジしています。酒井さんのCDなどの商品が撤去されたことを当然ととらえ、まるで喜んでいるかのようです。 


これは、人間として非常に恥ずかしい行為です。なぜでしょうか。それは、司法の場以外で行われる、民衆や集団による私的制裁である「私的法廷」行為と同じだからです。(この行為はかつて私的法廷を主催した人物の名前から「リンチ」と呼ばれています。) 


人に制裁を加える権利がない人々が、恥ずかしくもなく「集団リンチ」に加担することが常識的な日本社会は、まるでケモノ社会のようです。マスコミが「悪者」と決めつければ、「右向け右」のように、自分の頭では考えずにマインドも行動も簡単にコントロールされる多くの日本人。60年以上前の戦前の思考傾向から何も変わっていません。

 

私たちは今、政権交代により社会が変わるスタートに立っています。これからは、愚かなマスコミの「ピーチク・パーチク」に惑わされず、「友愛」思想を物差しに、自分の頭で言行を選択していかなくてはならないのです。

 

「友愛」とは、相手を思いやることから始まります。「友愛」思想に則し、酒井さんを思いやり、そして見守っていただきたい、そう願ってやみません。