日中合作大型映像 長江  中国ロケ報告 吉村 隆 JSC

上海に住むカナダ人の女性バイオリニストがある日、龍舞を見た。中国では長江は龍にたとえられている。龍に秘められた長江を探り6,000キロの旅にでる。

撮影設計
 
長江は中国、青海省チベット高原北西部のタングラ山脈に源を発し、中国の中央部を西から東に流れ、長さは6,300キロにもおよび、上海を河口として東シナ海に注ぐアジア第一の大河である。100個口以上になる機材と私物、2トン以上の空輸は大変困難なものであった。国内便はだいぶ整備されたとはいえ、地方都市へのフライトには限りがある。クレーン等の機材を分解して上海から雲南省、四川省へ運ぶことも考えたが、物理的に不可能であり、また長雨と100年ぶりの大洪水と遭遇、ロケが効率的に展開していく撮影をしなければならなかった。女性バイオリニストが見た長江の流れに沿って流域の歴史、文化、人々の暮らしを紹介していくことを映像展開の骨子とした。特に大型映像はカメラが演出すればするほどリアリティーをなくし説得力が半減していく。 振動は映像効果にもなるが映像の鮮明度を半減させるので、船上にジャイロ・スタビライザーをセットしての撮影になった。この作品は人間の目線から中国・長江を丸ごと自然に捉えることを基本にした。長江の色は赤茶色であり・・・中国の大地の色でもある。私はトーンの統一を崩すことから始めた。源流から雲南省、三峡地区は自然に、楽山、三峡ダムはアンバーを加え中国の大地の色を強調した。無錫の運河は81Dを加え生活の匂いを見せたかった。限られた40分の上映時間で、それぞれの土地(河)とその匂いを映像に強調させ、時間経過と共に長江の色となるのが狙いであった。フイルムはフジの64D,250Dを主体にフイルターワークはシンプルに設定した。ここに紹介するロケ報告はロケの一端にすぎない。

雲南省(春)
 
98年3月上旬、雲南省麗江から本格的にロケがスタートした。麗江は昆明から約1時間のフライトである。5,000m級の山脈を超えて降り立った麗江は高度2,500mで周囲を山に囲まれた町である。この町は明の頃からの伝統的な暮らしを守る少数民族ナシ族が住む町である。太鼓と琵琶と笛のナシ族の古楽が今でも存在し玉龍雪山から湧き出る水は町全体に疎水を造り、町の中心部大研鎮は世界遺産にも指定されている。麗江は四川省成都の峨媚撮影所から照明機材はトラックに頼り、3日ががりの山越えになった。麗江から玉龍雪山を回り、長江の流れが初めて北に向かう、長江第一湾と虎跳峡の撮影があった。麗江から玉龍雪山を挟み車で片道4時間のところに虎跳峡の入口がある。山岳を越えるとチベット民族の血を引いた人々の町がある。虎跳峡は切り立った大きな岩壁の底にある。渓谷の河幅が狭いだけ、激流に横たわる巨大な岩と逆巻く水が迫力を増している。虎跳峡の大気は気温40度、太陽が川底に射している限られた時間の中で、高度2500mの酸欠状態も味わいながら川底に機材を運び込まなければならなかった。虎跳峡の激流を視ていると太古の昔から水が大地を永遠に刻む音が聞こえてくるようだ・・永遠の時間の中に水が大地を削り河となる、やがて人が住み、いかなる水も海に注ぎ・・・天に還る・・・そんな回路を張り巡らして春のロケがスタートした。

三峡(夏)
 
春から長江源流域の洪水が始まり雲南省、四川省、湖北省と洪水は広がっていった。長江流域の長雨は長江の水位を異常にふくれ上がらせ、やがて洪水が発生し、500人乗りの客船が転覆、全員死亡のニュースがTVで流れ始める。長江全域で運行停止状態が発生、我々は重慶で足止め状態となった。大型客船だけが運行出来る様になり、雨の中を積み込み出発。24時間以上濁流の河に揺られ三峡の入り口の奉節にたどり着く。三峡の町の特徴は切り立った山の中腹に町を造り、港から250段あまりの階段を登らなければ町に入れない造りであったが・・・三峡全域の水位が異常に上がり、階段は数段残す状態で民家が水没している有り様である。
 三峡は奉節から宜昌に至る約200キロ、瞿塘峡、巫峡、西陵峡の三大渓谷から成り、大自然の山水画廊と呼ばれている。ロケハンの時もその様な風景であった。奉節に着いたものの風景が激変、運行禁止令が出て奉節から動けない日々となる・・・流れが少し静まる合間を縫って小型の撮影船で激流に揺られ、西陵峡の宜昌に避難する。宜昌から再三にわたり撮影をトライするが撮影できる河の状態とはならず、・・・夏の三峡ロケを断念、・・再度、秋のロケとなった。

空撮・源流
 
青海省の源流と雲南省麗江、三峡の3地区の空撮があったが、中国では空撮が難しく空は全て軍の管理である。軍に空撮の申請を行い許可を得なければならないのに加え、外国人カメラマンが空撮するのは前例がなく、今回が初めてのケースとなった。大型映像の空撮はノーズマウントによる主観撮影と考えていたが源流地区と雲南省は7,000mを越える飛行を試みなければならなくなり中国製小型ジェット機での撮影となった。持続飛行限界は5時間である。源流の空撮はゴルムドから撮影地まで片道2時間の飛行を要し、撮影1時間、帰り2時間、計5時間、窓を外し8月にも拘わらず機内は零下15度、酸素マスクをかけての限界飛行を行った。三峡は主観撮影による空撮がどうしても必要だった。中国では撮影に使えるヘリコプターが少なく成都の飛龍専業航空公司と再三にわたり交渉、打ち合わせを繰り返す。ヘリコプターを一切、修理加工しないという条件付で使用許可になる。パイロットは三峡はおろか空撮は初めてだった。カナダの知人であるロバート・グルニエール氏に条件に合った空撮マウントを新規に作ってもらい成都の飛龍専業航空公司で実際のマウントを装着してテスト飛行を行い、再度カナダでマウントを調整,万全を期して三峡の空撮に臨んだ。大洪水に見舞われ給油車が陸路を一週間かかってたどり着く。三峡は山が険しいのに加え、天候と気流が悪く、ヘリコプター・ベル206が10日がかりで成都から飛行してきた。三峡の空撮は中国と日本とカナダのスタッフの粘り強さによって勝ち取った、70mmによる主観撮影である。源流地区は西亭、ゴルムド、トトガワと飛行機、汽車、車を乗り継ぎ、高度訓練を行いながら現地まで10日を要した。青海省の西蔵高原(5,000m)とそこに暮らす人々を、フイルム撮影したのは今回が初めてである。高山病にかかりダウンする者まで出たロケであつたが、・・・チベット族の遊牧民が暮らす撮影地には高度5,600mを越えなければ入れなかったからだ。


 
中国は広く、大きく、何処に移動するにも時間がかかった。これにIMAXカメラの大量な機材の負荷がかかり、日本の時間のスケールを遥かに越えた時間が必要であった。中国は市場経済で国土全体が激しく変わろうとしている。古いものと新しいもの、古い思考と新しい価値観が混在し、世界で唯一残された魅力的な大きな被写体であると思う。IMAXカメラによってドキュメント撮影するのは決して易しいものではなかったが、全てIMAXカメラによって記録し、出来る限り長江流域の中国と中国人を鮮明に映しだす様に努力した。このプロジェクトは97年10月大湖の打瀬船の白魚漁の撮影から始まった。中国は北京語と広東語だけであろうと思っていたのが大間違いである。中国こそ多民族国家であり、言葉から習慣、顔形までも多民族。漁師の言葉も北京のスタッフには理解が難しく、改めて中国の大地と長江が内包する時間の深さを想像しての撮影であった。本格的にロケがスタートしたのは春の3月下旬から秋の11月までの4期であった。大洪水で撮影が足止めされ、源流地区と三峡の空撮は別班(撮影:栗田尚彦氏、内藤雅行氏)に行ってもらった。延べロケハン40日、ロケ170日となった。日本人スタッフ17名、中国人スタッフ14名、カナダからのスタッフ3名を加えると30名以上。これが1班体制で、2班になると50名以上となった。現場は中国語、日本語、英語、少数民族の言葉が飛び交った。

   制作:中国電影科学技術研究所
      :電通テック
 制作総指揮:池松正克、楊歩亭
プロデュサー:町田圭子、李枢平
    出演:Sheilanne Lindsay,余俊華
    脚本:坂口康
    監督:坂口康
       川又篤
    音楽:鈴木友彦
  撮影監督:吉村隆
源流三峡空撮:栗田尚彦、内藤雅行
    照明:松浪日出夫
    録音:中村裕司、崔志民
   助監督:舟橋哲男
 カメラ助手:柏木功徳、佐藤治、藤本信成
      :吉田昇、槙憲治、高橋光太郎
      :田宮健彦、今村 瓦
   制作補:土谷学、潘國慶
  制作進行:常岡陽平、飯塚大介、王遠超
      :馬思澤、張春暁、潘苧棟
コーディネート:高玉君
空撮マウント:Robert Grenier, Ernest McNabb
  ジャイロ:Pease River Studios
  フイルム:65mmFUJI FILM 64D,250D,500T
   カメラ:IMAX CORPORATION
    現像:IMAGICA

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