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銅と亜鉛の合金は、その輝きから「貧者の金」と呼ばれる。仏具や金管楽器、身近なところでは5円玉の黄金色がそれで、真鍮(しんちゅう)ともいう。見てくれを取り繕う金めっきと違い、渋いが本物の色である▼100年前、夏目漱石が小紙に連載した「それから」に、よく知られた一節がある。「鍍金(めっき)を金に通用させようとする切ない工面より、真鍮を真鍮で通して、真鍮相当の侮蔑(ぶべつ)を我慢する方が楽である」。実家の金でだらだら暮らす主人公が、昔の自分を引き合いに現状を肯定するくだりだ▼私たちは時に、世渡りの都合から己を飾る。金でないのは承知だが、ここぞという場で真鍮をさらすわけにはいかない。重職であればあるほど、めっきの世話になることが多くなる▼さて、その地位もあと数時間。麻生首相を書くのも最後となった。総理大臣ともなれば、普通は発言に細心の注意を払う。テレビカメラの前で、ぶら下がり取材の記者に嫌みを返すことはない。高級店への日参も控えるものだ。そうした「切ない工面」とは無縁の、正直な人だった▼人呼んで「半径2メートルの男」は、サービス精神あふれる座談の名手と聞いた。地金によほど自信があったのだろうが、座談の続きのような失言や誤読が重なると、一転、持ち前の明るさを渋面に塗り込めてしまった▼めっき漬けの政界にあって、地金で通す人は貴重である。しかし、それだけでは務まらない重責もある。ご自身が望んだ地位ながら、心底やってよかったと思っておられようか。いずれ、座談の名人芸でお聞きしたい。