民主党の鳩山由紀夫代表が、特別国会で第93代の首相に選出され、民主・社民・国民新3党の連立による鳩山内閣が正式に発足した。
「脱官僚」の「政治主導」で、この国のかたちや私たちの暮らしはどう変わるのか。日本の再生を政権交代に託した国民の期待は大きい。
同時にまた、未体験の本格的な政権交代に伴う混乱や摩擦を懸念する声が根強いのも事実である。
この相反するような期待と不安を、鳩山首相はまず率直に受け止めてほしい。そのうえで、私たちは次の3点を新首相と新政権に注文したいと思う。
●「脱官僚」を旗印に
第一は、挑戦者の気概で失敗を恐れずに堂々と政治の王道を突き進め、ということだ。振り返れば3人の首相が1年で交代したこの3年間、国民の信任を得ない政権の非力さを、私たちは嫌というほど見せつけられてきた。
任期途中の無責任な政権の投げ出しや衆院解散の先送りは、首相と政権党の権威を失墜させ、国民不在の政権たらい回しと批判された。
今回は、有権者の審判に基づくという意味で、正統な政権の誕生である。この圧倒的な民意を基盤に、国民本位の力強い政治を断行してほしい。
「官僚依存政治からの脱却」。民主党の結党以来の旗印である。マニフェスト(政権公約)の数々も、せんじ詰めれば、ここに行き着く。
官僚組織と二人三脚の自民党ではできない政治の実現を、民主党は訴えてきた。「だから政権交代が必要だ」と唱え、多くの国民も共鳴した。
明治維新以来、脈々と築かれた統治機構を根本から変えるとすれば、生半可な政治力では太刀打ちできない。政権を取り換えた民意をバネにしてこそ、「脱官僚」は実現性を持ち得る。私たちはいま、その出発点に立った。
第二は、政策決定と政権運営の透明化である。徹底的な情報公開もまた、民主党の「党是」といっていい。政府と与党の二元的な政策決定システムに、自民党政治の構造的な欠陥があったと民主党は批判してきた。
その意味で政策決定の内閣一元化は、新政権の生命線といえよう。この「一元化」とは「透明化」と同義であると考えたい。制度上は一元化しても、それが国民の目に届かなければ、元も子もないからだ。
「行政権は、内閣に属する」と憲法は規定している。にもかかわらず、この原則はいつの間にか、不当にゆがめられ、空洞化さえ生じた。その帰結が、政策決定に対する与党の過剰な関与と、行政の継続性を錦の御旗として実質的な政策決定権を掌握した官僚組織の無原則な肥大化である。
政策づくりの官僚丸投げ、国益より省益を優先する官僚となれ合う族議員、野放図な天下りと税金の無駄遣い、規制と補助金による中央の地方支配、官製談合の横行…。「官僚内閣制」の弊害は枚挙にいとまがない。
●歴史的な意義と使命
こうした「病巣」を摘出するため、鳩山内閣は、国家戦略局と行政刷新会議という2本のメスを用意した。担当相を任命し、省庁横断的な強い権限を持たせるのがポイントである。
予算編成の基本方針を決める国家戦略局の担当相に、副総理と兼務で菅直人氏が就いた。無駄遣いの一掃を目指す行政刷新会議の担当相には、仙谷由人氏が起用された。
岡田克也外相、長妻昭厚生労働相、原口一博総務相らとともに、国会論戦で鍛え上げた論客をそろえ、霞が関改革へ挑む布陣を敷いたといえよう。
また、消費者行政・少子化担当相に社民党の福島瑞穂党首、金融・郵政改革担当相に国民新党の亀井静香代表を迎え、「民社国」の3党連立で内閣を支える基盤も整った。
独自性を発揮したがる社民、国民新両党との間で亀裂が走ることはないか。巨大与党を取り仕切る民主党の小沢一郎幹事長に権力が集中して「小沢支配」に陥ることはないか。
船出した新政権の前途に対し、そんな懸念や不安の声も聞こえる。しかし、政策決定を内閣に一元化して透明化する原則をきっちり確立して実践すれば、それは杞憂(きゆう)に終わるはずだ。
第三の注文は、「国民との対話」を重視する姿勢である。説明責任を果たすことだと言い換えてもいい。
当たり前のことだが、これを怠ったために過去、いかに多くの政権が危機にひんし、場合によっては退陣に追い込まれたことか。
野党時代とは違って、実際に政権を担えば、予想外の事態に遭遇するだろう。政権公約の修正を余儀なくされる局面もあるかもしれない。
そうした困難に直面したとき、「何が問題か」「では、どうするか」を、包み隠さず国民に語り掛けることが、何よりも重要である。
それこそ、野党だった民主党が一貫して糾弾してきた「密室政治」「隠ぺい体質」とは対極に位置する新しい政治の作法ともいえるのではないか。
数の力におごることなく、国民との対話を通じて説明を尽くし、「国民が主役の政治」(鳩山氏)を切り開く。歴史的な政権交代で産声を上げた鳩山政権の意義と使命をそこに求めたい。
=2009/09/17付 西日本新聞朝刊=