行政訴訟のあるべき制度、あるべき運用について
 (法律文化、2004年2月号、28〜33頁、LEC東京リーガルマインド)

 神戸大学大学院法学研究科教授 阿部泰隆氏

憲法第32条が保障する裁判を受ける権利を起点として行政訴訟制度を構築するべきと唱える神戸大学大学院法学研究科教授・阿部泰隆氏に、かかる視点から、わが国の行政訴訟の制度上、運用上、立法論上の問題点と解決策に関して総括的な解説をお願いした。

土俵に上がりにくい原告

−− はじめに、日本の行政訴訟制度に関する総括的な問題認識からうかがいたいと思います。
阿部 諸外国に比べて、日本は行政訴訟が圧倒的に少ないという事実を、まず先に指摘しなければなりません。国民一人あたりの年間の行政訴訟の出訴数を比較すると、ドイツは日本の250倍から500倍、韓国や台湾でも30倍から50倍です。日本では、なぜそれほど少ないのか。その原因としてさまざまな障害物がありますが、行政指導や役所の事実上の優越力で押さえ込まれていることや、裁判官の消極的な解釈のため、狭い訴訟要件が障害物となって、本案になかなか入れず、入っても裁量と証拠の壁に遮られて、時間と費用がかかるのに、勝訴率が低いので、「行政訴訟はやるだけムダ」と認識されて、悪循環に陥っていることが大きな要因です。まず、費用について言えば、被告の行政側は親方日の丸で、強大な組織と国費を背景に心おきなく最高裁まで徹底的に争うことができますが、一方、原告は金も組織もなく、まるで、ネズミがライオンに挑むような覚悟をしなければなりません。また、最高裁は原告の勝訴率を約10%としていますが、そこには一部勝訴が含まれており、全面勝訴率となると、わずか数%でしかないと推測されます。1億円の課税処分の取消訴訟で、10万円分取り消されても一部勝訴ですが、それでは弁護士費用や印紙代にすらなりません。その印紙代が極めて高額で、1億円の課税処分を争えば、最高裁まで約188万円もかかります。今回、民事訴訟費用法が改正されましたが、それでも約140万円です。全面勝訴すれば取り返せる建前ですが、現実性はありません。先日、土地収用され、6億円の補償金増額を求めて最高裁に上告された方が私のもとへ相談に来られました。その方は、印紙代だけで400万円弱もかかるのに、上告するかどうかを2週間以内に判断しなくてはならなかった(民訴法265条、313条)のです。最高裁で判決を覆そうとすれば、憲法違反、重要な法律解釈の誤り、先例との不整合など(民訴法312,318条)であることが厳しく求められるので、この短時間にこれだけの高額の負担をする価値があるかどうかを判断するのはとても無理です。しかも、上告理由は50日以内となっている(民訴規則194条)ので、大急ぎで書かなければなりません。ところが、高裁から最高裁に書類が回るのに50日もかかっています。人を急がせておきながらと、怒り心頭です。

−− 印紙代については、民事訴訟一般のルールと揃えるべきである、という意見があります。
阿部 それは民事訴訟と行政訴訟の違いを理解しない民訴法帝国主義的な発想です。私は、行政訴訟については特例として印紙代を無料にすべきだと考えます。少なくとも算定不能として一律に8,200円とすべきでしょう。
例えば、課税処分については、原告が経済的な利益を主張しているものとして構成されていますが、本来は、国家が請求しているのですから、国家が印紙を貼って訴えるべきことです。これに対して、原告は債務不存在確認訴訟を提起しているのと同じであるから、やはり原告が権利を主張しているのだという反論がありますが、債務の履行を請求されても、普通はそのような訴訟を提起する必要はないのに、国家から請求されると常に債務不存在確認訴訟を提起し、印紙を貼らなければならないのですから、両当事者の対等性の原理に反します。物事が逆さまです。区画整理では、換地処分の対象となった土地の価格が基準とされますが、土地を返せというのではなく、別の土地を指定せよというだけなのですから、その主張する経済的利益は算定不能で、印紙代は8,200円にすべきです。むしろ、原告勝訴が一般的な理由によるものであれば、原告は努力して違法な行政を是正したのですから、法治行政の向上に寄与するものであり、報償金を出すべきであるとさえ思っています。これによって初めて、違法行政が是正されるのです。世界にない制度ですが、世界に冠たる仕組みをつくるべきです。

訴訟要件の壁=原告適格、処分性、救済ルールの不明確性、結局は事情判決に

−− 行政訴訟の少なさは、制度に起因するところが大きいということですね。
阿部 経済的な理由のほか、原告がなかなか土俵に上がれない理由として、訴訟要件の壁があります。まず、原告適格の問題、つまり訴える資格が極めて限定されているのです。判例は解釈を少しは広げていますが、隣にパチンコ屋ができるとき、診療所は争える(最判1994・9・27判時1518号10頁)が、住民は争えない(最判1998・12・17判時1663号82頁)。都市計画道路の事業認可は、収用される土地所有者は争えるが、将来、沿道で騒音に悩むことになる住民は争えない(最判1999・11・25判時1698号66頁)。そういう不合理がまかり通っているのです。日本の行政が多用する行政指導は、現実に国民を拘束しますが、建前では単に国民の任意の協力を求めるもので、法的拘束力はない。平たく言えば、嫌なら従わなくてよいとされています。そのため、取消訴訟の対象とはならないとされてしまうのです。日本では実質的な立法者は官僚で、訴訟を起こしにくい仕組みをつくっています。医療法では、地域医療計画により、医療機関が過剰であるとされる地域にこれ以上病院をつくらせまいと、総量規制をかけています。しかし、この地域医療計画は不合理で、救急病院が足りないところがありますので、この地域でも開業して、保険医療機関の指定を求めようとする病院があります。そこで、開業許可を申請すると、医療法では許可されますが、行政側は、保険を使わせないようにと、保険の指定を拒否するのです。そこで、これを争うという順序になりますが、医療機関が保険医療機関の指定の申請をするためには、先に病院を建てて、その使用許可を取ってからという順序になっています。しかし、建物を建ててしまってから保険制度を使えないということになるリスクが大きすぎます。建てる前に保険を申請して、それが拒否されれば、争い、勝ってから建てるという制度をつくる必要があります。
今は、病院の開設を申請すると、医療法では、それは許可になるが、ベットを減らせという勧告がなされ、その際、将来、保険医療機関の指定を拒否すると警告されます。そこで、これを捕まえて争うことが考えられますが、これまでは、これは単なる行政指導であるとして、争えないというのが判例でした。しかし、先般、福岡高裁がようやく減床勧告を処分と見なし、減床勧告の時点で争えるとの判決を出しました(註1)。

−− 行政事件訴訟のルールも極めて不明確とのことですが。
阿部 出訴期間で言えば、第14条第1項と第4項で起算日が異なります。期間の計算は一般に初日不算入です(民法第140条)が、審査請求を経た後(第14条第4項)は初日算入となっています(最判1977・2・17民集31巻1号50頁)。これではうっかり一日遅れで出訴して門前払いになりますので、この規定を、初日不算入という常識的なものに変えるべきです。それに対して、訴えを起こすときに判例を見ればよい、と論ずる方がいらっしゃいますが、こんな常識に反する法律があるとは思えませんので、判例を調べる動機もありません。疑問を持たないことを調べないのは、人間としてごく自然な態度です。もっとも、この点は改正されそうです。
同じような問題で、民事訴訟を提起すれば行政訴訟かもしれないとして却下し(大阪空港騒音差止訴訟、最判1981・12・16民集35巻10号1369頁)、行政訴訟を提起すれば民事訴訟によるべきだ(日本原自衛隊演習差止め訴訟、最判1987・5・28判時1246号80頁)といって、どちらでも助けない悪例があります。キャッチ・ボール禁止規定が必要なのです。区画整理とか土地収用裁判では、違法と証明したところで、事業が進んで、もう是正できないからと請求は棄却される。そういう事情判決(行訴法31条)で済まされてしまいがちです。逆に、土地区画整理事業の計画段階で訴えようとすれば、今度は、成熟性がないと言われる。遅すぎても駄目、早すぎても駄目というわけです。小田急訴訟(註3)でも、一審(東京地判2001・10・3判時1764号3頁)では違法とされたのに、事業は完成へ突き進んでいます。

裁量、不対等性という壁

‐‐ 土俵に上がっても、行政の裁量権、不対等性という壁に阻まれるというご指摘もされているようですが
阿部 ようやくの思いで土俵に上がっても、勝つのは至難の技です。行政裁量が広く認められているため、つかみどころがない上、原告は行政の裁量濫用について、立証責任を押し付けられます。行政は、あたかも自分のなすことに誤謬はない、と言わんばかりですが、「裁量」というのは、要するに立法者があらゆる個別のケースについて細部までうまく規定できないから現場でふさわしい判断をせよ、と命令しているのですから、筋から言えば、役所が法の趣旨にふさわしい判断をしたかどうかを自ら説明し、裁判所の判断を仰ぐべきなのです。よって、裁量を広く認める行政事件訴訟法第30条は廃止すべきです。例えば、ある市が都市計画決定を無視して、計画地からはずれたところを買収して道路をつくり始め、その先にある宅地を収用するため、後から都市計画決定を変更し、その土地を道路の対象地としました。裁判所は、その計画変更を行政の裁量として認めましたが註4)、これでは計画の意味がありません。

−− 当事者の対等性が確保されていないというご指摘ですね。
阿部 行政が行う公権力は、国民を拘束する点では対等ではありませんが、その前提として、公権力自身は適法でなければなりません。したがって、行政の行為が適法であったかどうかを争う場では、原告と被告は対等のはずです。だが、現実は全くそうなっていない。行政は証拠を出さない。裁量が広く認められている。さらに、被告の側は訟務検事(註5)というエースを代理人として投入してきます。原告にしてみれば、やっとの思いで土俵に上ったと思ったら、目隠しされたまま、武器を持った強豪力士を相手に相撲をとらされるようなものです。さらに、やっと試合に勝ったものの勝負には負けた、ということも少なくありません。手続きの瑕疵で勝ったが、結局はやり直して同じ処分という例がそうです。これなど、義務付けを認めるべきです。
このように、行政事件訴訟法は行政事件訴訟特例法時代からの積み残し、立法技術の拙劣から生じる不都合、さらに現代型訴訟や新たな知見に対応するための課題など、解決すべき問題が山積した法律なのです。

検討会の検討は改革の理念にあわず不十分

−− 司法制度改革推進本部における行政訴訟検討会(以下、検討会)の成果をどのように評価されますか。
阿部 まず、肯定的に評価する部分ですが、一つは出訴期間がこれまでの3カ月から6カ月に延長されそうな点です。私は、一般的には出訴期間は不要だと思いますが、これでも前進です。もっとも、年金の裁定のように、処分を「知った」が、その違法に気が付かない場合には、違法に気が付いてから出訴期間を算定する例外的な制度を、14条1項に、例えば「正当な理由がある場合」と明示して導入すべきです。出訴期間の教示制度を導入することも評価します。また、被告を行政庁でなく、国や地方公共団体に統一する改正が行われそうです。これも原告の負担軽減になるといわれていますが、これは被告とする行政庁を誤った場合、重過失で誤っても、被告の変更を認めることと改正すれば(現行行訴法第15条の改正)済むのではないかと思いますが。

−− 詰めの段階で重点的に議論されたのは、原告適格の拡大、処分性の拡大、義務付け訴訟、執行停止・仮の救済とのことですが、それぞれどのようにお考えになりますか。
阿部 原告適格については、検討会では広げるという合意はありますが、そのために条文をどう表現すればよいかについて、まだまともな議論はなさそうです。事務局からは、「取消しを求めるにつき法律上の利益」という第9条の文言は残し、判例の線に沿った解釈規定をおく、といった提案がなされています。しかし、それでは、裁判官の裁量が広すぎるので、これまで通り論争の種になるし、これまでの狭い判例の線を脱却できません。私は、条文を変更して、原告適格を拡大するという立法者の意思を明確に表明すべきであり、より簡潔に「現実の不利益を受けた利害関係者」あるいは、「法律の保護の範囲内にあって、かつ不利益を受ける者又はそのおそれのある者」には原告適格を認めればよいと思います。後者は、アメリカ流の解釈です。環境団体や消費者団体などに原告適格を認める団体訴訟は、ドイツでは立法化されていますし、フランスでも判例は「直接かつ個人的利益侵害」を要求していますが、実際にはゆるやかな運用がなされています。しかし、検討会は検討を先送りしています。

−− 処分性の拡大についてはいかがお考えでしょうか。
阿部 処分性については「直接国民の権利義務を形成し又はその範囲を確定することが法律上認められているもの」という最高裁判決(註6)が示した基準が実務を支配しています。検討会では、処分でないものについては、違法確認訴訟でカバーするという話になっているようですが、立法化に消極的らしいです。しかし、どのような場合に確認訴訟を起こせるのかをはっきりさせておくべきです。そうしなければ、相変わらず、訴え却下の判例が累積しますし、取消訴訟でいくか、確認訴訟でいくかという訴訟形式のキャッチボールが生じ、混乱を招くでしょう。また検討会は、行政処分の概念を変えないとしているようですが、そうすると、救済しにくい状況が残ります。給付行政の場合、予算措置で行なわれるものが少なくありません。阪神・淡路大震災など被災者への災害支援金の支給や自治体が要綱で行う補助金なども、私は憲法原理に基づいて、公平に支給すべきだと思いますが、予算措置に基づいて民事法の手法が用いられるため、贈与とされます。そこで、支給されない人に請求権を認める理論構成が難しいのです。民事で救済できるという説や判例もありますが、安定していません。義務付け訴訟を提起しても、金銭の贈与は行政処分ではないと、門前払いになってしまう。給付の拒否は、法令に基づかなくても、行政処分の扱いとする規定を設ければ、すっきりします。

−− 訴訟類型についてですが、検討会は、取消訴訟中心主義から転換する方針のようです。
阿部 義務付け訴訟、差止訴訟を正面から承認するのは結構なことですが、本案判決(勝訴)要件として、一義性及び救済の必要性(重大な損害要件、他に適当な方法がないことという要件(補充性))という厳格な要件が課されており、これは現行の判例(いわゆる制限的肯定説)を固定化するか、それよりも国民にとって使いにくい制度設計になるおそれがあります。しかも、義務付け訴訟と差止訴訟は性質を異にするのに、理解されていないようです。取消訴訟は既存の不利益処分を除去するのに対し、義務づけ訴訟は、積極的な行為を求める訴訟であり、差止訴訟は、不利益処分がなされる前に、それを防御するもので、前にずらされた取消訴訟なのです。現行の判例がとるいわゆる制限的肯定説は、取消訴訟中心主義のもとで、例外的に無名抗告訴訟を許容する場合の基準です。取消訴訟中心主義とは、もともと、義務づけ訴訟などは、三権分立とか行政の第一次的判断権の原則に違反するから原則として許されないという理論に基づいています。しかし、今回の立法は、義務づけ訴訟でも、行政側が判断する前に突然許可せよといった判断をするわけではなく、行政の判断をふまえている点に取消訴訟と変わりはないので、義務づけ訴訟も三権分立に違反せず、行政の第一次的判断権をも侵害しないという認識に立っているはずです。そうすると、前記の制限的肯定説は、取消訴訟中心主義から脱却し、義務づけ訴訟を正面から許容する今時の立法の基準にはならないのです。また、義務付け訴訟については、自己に対する給付を求める場合には申請権(例えば、営業許可など)が必要でありますが、公害工場への改善命令を求めるなど、第三者に対する義務付け訴訟においては、第三者に対する許可の取消しを求める原告適格があれば十分ですが、これを誤解している向きがあります。公害防止など行政の規制権限の発動の義務付け訴訟においては、処分をすべきことが裁量の余地なく一義的に定める場合には義務付け判決を下せることになりそうですが、義務付けの内容について行政に裁量がある場合も、判決の趣旨を踏まえて、適切な命令を出せという義務づけ判決も必要です。取消訴訟と民事訴訟との間にきちんと線を引き、明確に分けていただきたい。取消訴訟でいけることがはっきりしているものだけ民事訴訟を起こせない、とする。はっきりしないから両方起こすというときは、最後に裁判所が原告の不利にならないように判断するというように整理すればよいでしょう。私は、訴訟類型について是正訴訟という提案をしています。これまでは、原告が初めから訴訟の形式を決めなければなりませんでしたが、さまざまなケースがあり、困難です。そこで原告は、単に違法だから是正を求めるだけでよいことにする。裁判が進行する中、裁判官が原告、被告の主張を踏まえ、原告の合意の下、適切な判決類型を探し出す。そして裁判所が、義務付け判決や取消判決、あるいは行政指導の違法確認をしたり、民事判決その他、多様な措置を適宜講じられるようにする。この提案については日弁連にもご賛同いただきました。

−− 仮の救済制度の整備についてはいかがお考えですか。
阿部 外国人の退去強制、建物の取り壊し、公売など、いったん執行されてしまうと、原状回復が著しく困難で、決定的な不利益をもたらす行政処分があります。これまで執行停止は厳格すぎたので、本格的な審理前にちょっと待てという命令も必要です。検討会事務局は、執行停止の要件について、損害の性質及び程度並びに処分の内容及び性質を総合的に考慮すべきことを新たに規定して、必要な場合に適切な執行停止ができるようにするとの提案をしていますが、「回復困難な損害を避けるため緊急の必要があるとき」という厳しい文言を緩和する必要があるでしょう。

−− 仮命令の要件はいかにあるべきでしょうか。
阿部 現行法では、拒否処分に対する執行停止が認められていません。生活保護の申請が拒否された場合、現行法では、仮に生活保護を与える仕組みがないので、路上生活者になるか強盗をするくらいしか選択肢がないのです。ドイツでは、とりあえず何日か分の食事代を出せと仮命令を発して審理する。しかし、日本の裁判所は、法律の条文に書いていないから、仮命令は出せないと言う。これでは、生存権の侵害となり、憲法違反になるのではないでしょうか。それについては、ドイツに倣って工夫すべきです。ドイツの行政裁判所法第123条第1項は、「重大なる不利益を防止し、若しくは急迫な強暴を避けるため、又はその他の理由により必要と認められるとき」という簡単なものですが、裁判所は、それだけできちんと解釈しています。

−− 仮の救済は利害関係が複雑で多様なケースがあり、判断が難しいと思いますが。
阿部 そんな大げさなものではありません。そこは、判例法による内容の充実を期待します。わが国の民事の仮の地位を定める仮処分の要件も「著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするとき」と、同様に抽象的です(民事保全法23条2項)が、差しあたりその程度の要件を念頭に置き、あとは具体例で検討を加えていくべきでしょう。仮の救済こそが要点なのですから、包括的かつ実効的な救済を確保するという観点から、既成事実の重みで救済を拒否することのないようにすることこそ肝心です。

−− 今回の検討会の議論のあり方そのものはどのように評価されますか。
阿部 判例を資料として用いていますが、改革の議論に旧来の判例を持ち出すのであれば、むしろ反面教師として活用すべきです。かつて行政改革において、行政はまな板の鯉とされ、包丁を持つなと言われた。では今回、包丁を握っているのは誰か。司法制度改革推進本部の事務局や委員のかなりが、法務省や最高裁からの派遣で構成されています。彼らには、これまでの判例の線を変えたくないという意向が見えます。原告適格も、解釈で広がるし、処分性がない行為については公法上の当事者訴訟を活用すればよいのだ、法改正は必要ないという意向が示されています。しかし、判例が当てにならないから、利用者の立場になって、立法で明確に、権利救済制度を充実させるべきだという、司法改革の基本を忘れているのではないでしょうか。また、法律を専門としない委員の方々は、議論に付いていくのに苦労していると推測しますが、せめて、事務局をより積極的に改革にあたるよう叱咤してほしかったです。本来なら、行政救済の充実に熱意のある、専門家である学者と弁護士が中心になり、さらに専門分科会も作って、すべての問題を検討した上、複数の案を分かりやすく提示し、それぞれの案の長所、短所を比較し、議論して、国民に広く意見を聞くべきでした。事務局・委員会のつくり方と委員の選任のところからして、「やる気がなかった」のではないでしょうか。これでは面従腹背といわれてもやむを得ないでしょう。

権利救済の包括的・実効性の視点こそが要点―「放置国家」を脱するために

−− 阿部先生は、改正法にどのような規定を盛り込むべきであるとお考えでしょうか。
阿部 これまで述べたほかに、行政事件訴訟法の冒頭に目的規定、運用規定を置くべきです。例えば「本法及び行政訴訟において適用される法規は、憲法上・法令上の諸権利と憲法第32条で定める裁判を受ける権利の包括的かつ実効的な保障、権利救済方式の明確性の確保、及び両当事者の実質的な対等性の確保を旨として解釈されなければならない」と明記することです。裁判官の発想を切り替えるためにも不可欠なことです。

−− 裁判官の姿勢に疑問を感じられているということですね。
阿部 日本の裁判官は大変優遇されています。最高裁判事は大臣並、下級審判事にしても50代になれば事務次官か局長、大学学長に匹敵する地位です。戦前の最高裁にあたる大審院の判事は局長並に過ぎませんでした。そして、司法は違憲立法審査権を持たず、行政処分を取り消すこともできなかった。しかし、今は下級審にも違憲立法審査権が与えられ、国会が決めたことを覆すことができますし、大臣の処分を取り消せます。それだけ重い職責だからこそ、高い地位を与えられているのです。しかし、行政のチェックに関してそれに見合う責務を果たしていません。裁判所では、権利救済の実効性を確保するという観点からではなく、条文の些細な解釈に終始して、しかもなるべく訴えを認めたくない方向で解釈するような態度が多く見られます。したがって、今回の司法改革では、国民のため救済機能を強化しなければならないということになったのです。行政事件訴訟法が不備であるばかりではなく、法律を運用する裁判官に責任の大部分があります。先に述べたように、生活保護の申請が拒否された場合の救済方法がないことが大量の路上生活者を発生させてきたのです。その点、日本はいわば「放置国家」です。

−− 日独の違いは、ただ法律の相違から生じているのではないと。
阿部 ドイツの基本法(第19条4項)では、「公権力に対して出訴の道が開かれる」という実に簡潔な一文しかなくても、これを、裁判を受ける権利は「包括的かつ実効的でなければならない」と解釈して、義務付け訴訟、仮命令の仕組みをつくり出したのです。ドイツに限らず諸外国では、行政手続の法理は、裁判所が憲法からその法理を創造している。それが裁判官のあるべき姿でしょう。それに対して、日本の裁判所は、些細な条文しか見ない、「制定法準拠主義」の立場をとり、憲法から実体法を柔軟に解釈しようとする発想がほとんど見られないのではないか。従来、日本で優秀な裁判官とされてきた方の中には、こうした方角違いの方が少なからずおられたのではないか。今回の行政訴訟制度の議論でも、裁判官の消極性が感じられます。役人は訴訟を起こされにくいように制度を工夫し、本来それを是正すべき裁判官が、その仕組みに拘っているように見えます。

−− 三権分立や司法権の限界ということから、司法が行政に対して消極的になっていたということでしょうか。
阿部 いや、それは古い理論です。現行法制定時に義務付け訴訟の立法化に際して障害となったのは、行政の第一次判断権の法理でした。その意味も不明ですが、行政処分をする権限は第一次的には行政にあるから、裁判所が行政に義務付けてはならないというのですが、この理論はもはやほとんど支持されていません。これはそもそも誤解の産物です。先にお話ししましたように、裁判である以上は、裁判所がある日突然許可などの申請を受けて、許可せよという判決を下すわけはなく、行政の主張を踏まえて判断するわけですから、少なくともその時点で第一次判断は済んでいることになります。検討会の塩野座長も、第一次的判断権はない、とおっしゃっています。また、義務付け訴訟については、義務の存在は一義的に明白であることが必要ではないかといった議論が、検討会で延々となされていますが、これは本案の問題で、訴訟要件ではないことは一義的に明白なのです。義務のあることが明白でなければ義務づけができないことも明白ですが、それは、取消訴訟で処分が違法でなければ取り消せないと同じレベルの問題ですし、訴訟の入口の話ではなく、請求を認容するかどうかの話です。こんな簡単なことで時間を食っていて、まとめるのに時間切れというのですから、困ったものです。そもそも、三権がどうのという議論は、あくまで権力の側から見た発想でしかありません。国民の権利救済を第一義として行政訴訟の制度を構想するのであれば、憲法第32条の国民が裁判を受ける権利を議論の出発点とすべきです。その権利とはもちろん、単に(門前払いの)裁判を受けられればそれでよいというものではなく、審問請求権、裁判公開の原則、公平性・迅速性が保障された上、実効性、明確性、武器対等の原則が満たされてこそ実現するものです。
−− その視点によって貫徹された改革を望まれるということですね。
阿部 私が公益報償金や出訴期間の廃止を提案すると、阿部の意見は急進的だ、と言われることがあります。今回の限られた時間の中、塩野座長としては、まずは世界の水準に追い付こうという発想なのでしょう。それはそれで大切な視点ですが、今行われようとしている程度の改正では、とても世界の水準には到達しません。私は、英米的な司法国家に範を取りながら大陸流の行政訴訟手続きを有する日本において、せっかく民事訴訟とは別に行政事件訴訟を考えるのであれば、世界に誇れる画期的な法律をつくるべきだし、説明すれば理解してもらえると思っています。今回、検討会で結論を得たとしても、さらに改善するため、外部の意見を踏まえて検討を加えることをぜひお願いしたい。新たな行政事件訴訟法がよりよいかたちになり、併せて運用する裁判官の努力によって、行政が律せられ、国民の泣き寝入りが減り、この国が近隣諸国からも後れを取っている「放置国家」を脱却して、真の、世界に冠たる「法治国家」となることを願ってやみません。

<註釈>
註1 福岡高判平成15年7月17日(平成14年(行コ)第32号勧告無効等確認請求控訴事件)

註2 小田急訴訟:東京都世田谷区の小田急線複々線化・連続立体交差化事業に伴う高架化に反対する住民等約120名が、国土交通省の事業に認可処分取り消しを求めた行政訴訟のこと。東京地裁は住民側の請求を認め、認可を取り消す判決を言い渡した。東京高裁の判決が2003年12月18日に予定されている。

註3 広島地裁昭和五九(行ウ)第一二号・同昭和六一(行ウ)第六号平成六年三月二九日判決(判例自治一二六号五七頁)、広島高裁平成六年(行コ)第四号、第五号都市計画事業認可処分無効確認等、土地収用裁決取消各請求各控訴事件平成八年八月九日判決、最高裁平成八年(行ツ)第二四四号平成一一年四月二二日第一小法廷判決、これについては、阿部泰隆「三行半上告棄却例文判決から見た司法改革」『園部逸夫先生古稀記念 憲法裁判と行政訴訟』(有斐閣)505−541頁。

註4 訟務検事:国が被告となる事件で国側の代理人となる法務省の検察官。

註5 最高裁(第一小法廷昭和39年10月29日判決「ごみ焼場設置条例無効確認等請求上告事件」による。(最高裁判所民事判例集18巻08号1809頁)参照。

<ご経歴>
阿部泰隆(あべ やすたか)
1942年福島県生まれ。1964年東京大学法学部卒業。同年東京大学法学部助手。1967年神戸大学法学部助教授。1977年神戸大学法学部教授。2000年神戸大学大学院法学研究科教授(現職)。著書に、『行政救済の実効性』(弘文堂・1985)、『国家補償法』(有斐閣・1988)、『国家開発と環境保全』(日本評論社・1989)、『行政法の解釈』(信山社・1990)、『行政訴訟改革論』(有斐閣・1993)、『政策法務からの提言』(日本評論社・1993)、『大震災の法と政策』(日本評論社・1995)、『政策法学の基本指針』(弘文堂・1996)、『行政の法システム上・下[新版]』(有斐閣・1997)、『こんな法律はいらない 』(東洋経済新報社・2000)、『行政訴訟要件論』(弘文堂、2003)、『政策法学講座』(第一法規、2003)など多数。阿部泰隆氏のホームページ( www/2.kobe-u.ac.jp/~yasutaka)。

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