おめでとうございます。それにしても絶妙なタイミングで発表されましたね。三冠王を実現してしまっては、日本球界を「卒業」したように見られるでしょうし、西武とのシリーズが辛勝ということでしたら心残りがあったでしょうから。それにしても鮮やかな決断でした。
おめでとうと申し上げるのは、窮屈な日本から脱出できるだろうとか、面倒な人間関係から解放されるだろう、という意味ではありません。松井さん、あなたはむしろそんな日本の「窮屈さ」や「人間関係」の中で自分を磨いて来られました。あなたは高校野球という独特の文化の中で、また巨人軍という個性の強い集団の中でも決して自分を見失っていなかったし、周囲の人々が顔のないかたまりなのではなく、一人ひとりが顔のある人間だということに気がついていましたね。
そうして、メジャー行きという決断に対して、周囲の人々が必ずしもすぐに賛成する自由がないことを分かった上で、丁寧なコミュニケーションを心がけて来られました。 自分のことを「迷える小羊でありたい」などと謙遜しておられましたが、決してそんな風には思えません。
確かにそれは疲れる作業だったのでしょう。ですが、それがあなたを成長させたように思います。そのあなたの人間性は、松井さん、このアメリカという地ではどうなるのでしょう。荒々しい個性や自己主張ばかりが目につくアメリカで、心配りや対話を大事にする、また言葉によって自他を奮い立たせてきた松井さんの個性は、生かされるのでしょうか?それとも一旦そんな「気配り型」の人格を捨てて一から挑戦しなくてはいけないのでしょうか?
そうではないと思います。この一年、いや野球人生をかけて松井さんが培ってきた人格というものは、実はアメリカでも同じように生かされるでしょうし、むしろ期待されるように思うのです。周囲の人が何を思っているのかを察して、コミュニケーションが途切れないようにする、その能力は野球選手には、特に野手には欠かせないものです。今の松井さんを遠くから拝見していますと、単なるバット・スイングの速さや動態視力だけではなく、そんな人格が今の松井さんを作っているように見えます。 それはそのまま大リーグでも生きると思います。
アメリカの野球は過渡期にあります。今回、ヤンキースや昨年の覇者ダイヤモンドバックスが、そして名門ブレーブスがプレーオフの一回戦で敗れ去った、これは何を意味するのでしょう。一言で言えば、個人プレーに重きをおいたチームでは勝てなくなってきた、ということです。一人一人を見れば、超一流の選手が揃っている、だが、監督はスター選手に何もかもを任せるだけで、細かなコミュニケーションは省略する。そんな気風では勝てなくなってきています。
左のエース、ウェルズがエンゼルス打線に打ち込まれた時、ヤンキースのトーレ監督は何もできませんでした。中継ぎが頼りないので決断ができなかったということもあったのでしょうが、ベンチのムードが沈滞する中で悪夢を見ているうちに、10連打を浴びてしまったというのが真相でしょう。ダイヤモンドバックスも同じです。攻撃の中心、ゴンザレスを故障で欠きながら、ジョンソンとシリングという二人の20勝投手がいれば安心という慢心があったのでしょう。結果として、エースのジョンソンを先発させた初戦を2−12という大差で失うと、ベンチは沈滞し、ズルズルと負けてしまったのです。
一見すると、栄光を知って大人しくなってしまったチームが負けたのであって、派手なヤジとか乱闘騒ぎ、バットを折ったり、ロッカーを蹴ったりという「ガッツ」が欠けていたのが原因、そんな風にも見えます。ですが、勝者たち、頂点を極めたエンゼルスやジャイアンツに見られたのは、むしろ荒々しさというよりもチームの結束でした。Wシリーズが、逆転につぐ逆転の果てに第七戦までもつれ込む名勝負となったのは、ソーシャ、ベーカーという名将のキメ細かなコミュニケーションに見事に応えた選手達の和のためでした。
松井さん、アメリカへ行ったら個人主義だから周囲の雑音から逃れられる、そんなことを言う人がありますが、それはむしろ間違いです。アメリカの、特にヤンキースやブレーブスのような「名門クラブ」は沈滞していて、個人主義の悪い面が出ているから弱いのです。あなたの孤独な打棒が期待されているのではありません。あなたの見事なコミュニケーション力、周囲への心配り、とりわけ逆境に当たってのベンチでのムード作りなどにこそ、あなたの「強さ」があって今こそ名門クラブが欲しがっているものなのです。
人気球団の一つメッツなども良い例でしょう。怒りの采配で有名だったバレンタイン前監督が今年は、どこか柔和になるとともに、チームに活気がなくなりました。連敗が続いてベンチがお葬式のような状態になった時に、昨年まで序盤の劣勢を奇跡的にカバーして秋風と共に上位へ戻ってくる「ミラクル・メッツ」の面影は消えてしまいました。このクラブの場合も新戦力に求められるものは同じです。
松井さん、あなたが星稜高校で、そして巨人軍で貫いてきたチーム・プレーの精神を捨てる必要は全くありません。確かに表現方法は少し違います。ノー・スリー(アメリカではスリー・ナッシングですが)からのストライクは打たないのが「武士の情け」だったり、大量リード時の盗塁も「下品」と嫌われます。打者が危険球を食らえば、チームメイト全員が「もう一球投げたらタダじゃおかないぞ」と殺気立つのが「礼儀」だったり幼稚な部分もあります。ですが、選手一人一人が良い意味でプライドの塊であって、それをお互いに尊重することからチームの和が出来てゆくということでは、大リーグも巨人軍も全く変わりません。
ホームラン王は目標ではなくて結果だ。この点も日本とは全く変わりません。確かに、カブスのソーサやカージナルスが弱小だった時期のマクガイヤなど、ホームランがお客さんを呼ぶ側面はあります。ハンク・アーロンや、ベーブ・ルースの伝説が多くの人に記憶されているのは日本と全く同じです。ですが、そんな個人記録よりもやはりクラブが頂点を極め、その中でベンチの結束の中心にいて、ナインやファンに愛されるキャラクター、その栄光のほうがずっと輝いて見えるのです。それは日本以上と言って良いのでしょう。
英語の問題は確かに重要ですが、恐れる必要はありません。あなたはまだ若いのですから、思いっきり英語漬けになればすぐに慣れます。ただ、日本語よりも英語の方が「ストレート」だという誤解はやめた方が良いでしょう。日本から来た人にありがちなのですが、アメリカに住んでいる人には信じられないような「無礼」な英語を話してしまっては失敗します。イエス、ノーをはっきりさせるのは大事ですが、その一方で、英語にも尊敬語がありますし、丁寧語も、場合によっては謙譲的な表現もあります。これは、呼吸感されつかめれば、周囲の人情に敏感な松井さんですからスッと溶け込めるでしょう。
発音を気にする必要もありません。カタカナ発音といって余計な母音が混じる日本人のクセは意外と通ずるものです。RとLも、自分たちのラリルレロが実はL音であると気づけば、Rはその前に「ゥ」と一呼吸置くだけでごまかせます。注意するとしたら、視線とイントネーションでしょう。最初のうち通訳を介していても、必ず話している相手の視線をじっと見る、大事なことこそ抑揚をつけてはっきり話して言葉に気持ちを乗せる、この点さえできれば意外とコミュニケーションは可能です。日本人が英語で困った時に笑うクセなどは、恐らく松井さんのライフスタイルからして、嫌いでしょうから最初から心配しなくても良いでしょう。
それにしても、大リーグの日程は強行軍です。専用機を駆使して、東海岸から西海岸へと時差や飛行時間にも関わらず連戦連戦というのは大変でしょう。ですから、最初が肝心です。思いきってクラブのチームメイトと同じ生活様式にしてしまうのです。一々、日本から来た「番記者」に囲まれて遠征地ごとに日本料理屋さんで祝杯を上げていてはコンディションが持ちません。英語漬けになる意味でも、そうした「個人サービス」はほどほどにしたほうが良いでしょう。勿論、食事はコンディション維持に大事ですから無理に現地主義に切り替える必要はありませんが、どうせ日本食をというのならチームの「子分」を引き連れてスシやトウフの美味しさを教えてやるぐらいが良いように思います。
例えばヤンキースの場合、ファンが騒々しいから大変だ、と良く言われます。例えば、アスレチックスから鳴り物入りでトレードされた、ジェイソン・ジャンビの場合、入団発表の際には911直後のNYのジュリアーニ知事が「NY市として歓迎するから、市長公邸に住んだらどうか」などと言っていたくせに、シーズンが始まってなかなか調子が出ないと、メディアもファンも「高い買い物だったのか」などとブーブー言う始末でした。そこは流石に一流選手、結果的には帳尻を合わせた結果になりましたが。ですが、恐れることはありません。ヤンキースのファン心理や、オーナーのせっかちな姿勢などは、巨人軍の場合と全く同じで、純粋なクラブへの愛情から出ているのです。
松井さんは、その激しい愛情にもまれ、鍛えられて来たのですから何も心配は要りません。ただ、特に大リーグのファンは、選手個人の「エピソード」を知りたがります。何に困り、何をバネにし、どうやって成功をつかんだのか?いちいち選手の「物語」を選手自身の口から聞きたがります。そうして安易なイメージ作りをしてしまいます。例えば野茂英雄選手の場合は「日本社会がイヤになって出てきた」とか、イチロー選手の場合は「寡黙なサムライ」とか実に安易です。どうか、「無口で怖い顔をしたゴジラ」などという先入観に甘んじてはなりません。勝つことの精神的な意味を知り、言葉によって自他を奮い立たせる松井さんのスタイルをファンに理解させるべきでしょう。「俺はこういう人間だ」ということがファンに知れ渡り、その手ごたえの中で新しい野球の歴史を刻むことができれば、栄光は自然に転がり込んでくることでしょう。
栄光の先に何を目標にすれば良いのでしょうか。日本へ戻ってきて、一人だけ「特別な」選手や監督になれば良いのでしょうか。そんなことはないように思います。では、あなたがアメリカに骨を埋め、後進がどんどん続くことで日本野球が衰退してしまって良いのでしょうか。そうではないでしょう。改めて持論を述べさせて頂きますが、日本地区の優秀な球団は日本のファンの声援に支えられながら、カナダの2チーム(現在)のように、大リーグに加盟すべきだと思います。
ただ、巨人軍や他を合わせた数チームだけではダメです。遠征先の過半が時差の違うアメリカ大陸では、移動が大変ですし、ホームゲームの際にも遠征してくる相手が14時間かけてやってきて、三連戦で半端な時差ボケのまま帰国する、というのでは日程的にも興行的にも無理があります。前にもこの欄に書いたのですが、日本に3(2)チーム+ソウル+上海+台北(+釜山)という感じでアジアの「地区」を作り優勝したクラブがプレーオフに出る。公式戦の過半数は地区内で行い、4割ぐらいはアメリカ本土や中南米チームとの交流試合にする。そんな構想があっても良いと思います。
ヤンキースの名選手だったルウ・ピネラ氏がマリナーズの監督を務め、今度はタンパ・ベイに行くように、元中日のモッカ氏がアスレチックスを率いるように、大リーグで実績を残した後に、大リーグを経験した日本選手が日本を含むアジア地域で後進指導やマネジメントの仕事をするのは当然で、その時には野球の「第二の本場」であるアジアにも、「大リーグの二軍」ではない強いクラブが育っているのが自然でしょう。
幸いにアメリカの対日感情は極めて良いものがあります。30年以上前にロッキー青木氏が苦労して広めた日本料理は、今では万人の食べ物になりました。今年のハロウィンは『千と千尋の神隠し』と『リング』という日本の「おばけ映画」が全米で話題になっています。日系人が苦労して切り開いたアメリカ社会における日本人の存在感の上に、経済活動を中心としたビジネスマン家庭の一時滞在が受け入れられるようになり、多くの留学生が来る一方で、アメリカ人が日本語を学ぶこともブームになっています。その延長で文化やスポーツの本格的な相互乗り入れが始まっています。
今回の松井さんの決断を、日本人を代表して「殴り込みをかける」などと形容した政治家がいましたが全くの間違いです。よく「あなたのアイデンティティは何ですか?日本人ですか?アメリカ人ですか?」などという問いをする人がいます。「どちらかはっきりしないと悩むことになりますよ」などという忠告をする人もいます。ですが、日本人でも何でもない、松井秀喜という人、他でもない一人の個人をアメリカ球界は待っています。そして他でもない個人の成功が、個人が輝くことが、クラブという集団に活気を与えてゆくことを。
日本では「公(おおやけ)」という考えを大事にさせようなどと言って、個人を殺すことが美徳のように思われていますが、間違いです。個人が輝くから全体も豊かに活気づくのです。そして一見全体として「ひとかたまり」に見える集団も、その一人ひとりには異なった涙も笑いもあることを見抜くところから、全体が逆境を脱してゆくリーダーシップも出てくるのでしょう。松井さん、あなたにはそんな新しい時代の希望を感じます。どうか、ホームランや打点だけでなく、ファンへの感謝を込めた笑顔や、バット・ボーイへのさりげない心遣いや、不振に沈んだ同僚への暖かい言葉などを通じて、本当の一流とは何か、ということを沈滞した球団に教えてあげて下さい。 私の子供たちはリトル・リーグに熱を上げる一方で、たいへんな巨人ファンで、YGマークの帽子をかぶってアメリカの学校へ行き、巨人軍のハッピを着てハロウィンの行列に繰り出したぐらいです。松井さん、あなたの成功を何よりも楽しみにしているのは、彼等だけではありません。他のアジア系の子供たちや、ヒスパニック移民の子供たち、そして何代もアメリカに住んでいる家庭の子供たちも「ゴジラ」と呼ばれる振りの鋭い長距離打者の活躍を楽しみにしているのです。
最後に苦言をひとつ。大リーグ行きに「命をかける」というのは少々力が入りすぎでしたね。「人生」で十分だったのではないでしょうか。そういえば、英語では「生命」と「人生」はおなじ「ライフ」なのです。そう思うと、英語もなかなか便利な言葉で、松井さんの人生観を意外と簡単に表現できるのかもしれません。ご活躍をお祈りしています。 |