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(1993/01)山形県新庄市いじめマット殺人事件

 

まずは報道記事の引用です。


 1993113日夜、山形県新庄市立明倫中学校の体育館で、用具室に立てて巻いてあったマットに逆さに突っ込まれた形で、同中学1年生児玉有平君の死体が発見された。しばらくして、7人の少年が逮捕・補導された。この事件は、日本の学校・地域の「陰湿」な体質を背景とした「いじめマット殺人」としてセンセーションを引き起こし、地元には報道陣が殺到した。筆者は同年の5月と8月、そして翌1994年の8月に、地元明倫学区を中心に聞き取り調査を行った。

 最初は事件の背後にある子ども集団の「いじめ」体質を調査する目的だった。ところがしばらくするうちに、事件そのものの「真相」が雲散霧消してしまった。裁判は不可解な経過をたどった。事件の近傍に位置する人たちからは、聞き取りを拒否された。結果として、調査対象はもっぱら事件には関わっていない近隣の大人たちとなった。この事件を枕に行った聞き取りから、人々の「世間」が鮮やかに浮き出てきた。それは、子どもたちの「世間」と同形の体験構造に貫かれていた。前節の理論は、「子どもの世間」にも「おとなの世間」にもあてはまる。

 児玉家は幼稚園を経営する、モダンな感じの、仲睦まじい裕福な家庭であり、かなり目立つ立派な家に住んでいる。自宅も隣接する幼稚園も、デザインが非常に美しい。有平君の父親の児玉昭平さんも裕福な家の生まれで、理想主義的なことを真顔で話す珍しいタイプである。家族の団らんが趣味で、外で酒を飲まないで家で飲む。十数年前に新庄に移ってきた。児玉家の人は全員標準語を話す。子どもたちは「自律的な個人」となるべく育てられた。有平君は授業中に手を上げて発言し、学校行事でも目立っていた。

 このような児玉家に対する妬みや反感も多かった。家の塀には「ころしてやる」と落書きされた。生意気だという近所の老人もいた。児玉家を貶めるための、根も葉もないデマがまことしやかに囁かれた。事件に対して、「あそこの育て方なら当然」という近所の主婦の声もあった。容疑者の身内の子どもたちは、児玉家の玄関前で有平君の妹をとりかこみ、「兄ちゃん殺されてうれしいか」と罵った。第一節で筆者が中学生のために行った代弁は、「いじめ」を「殺し」に置き換えれば、そのまま地元の大人たちにもあてはまる(「現実」には事件の事実関係は、何から何までわからなくなっている。だが、筆者が聞き取りをした地元の人たちの体験構造のなかの「記号」としては、事件は「殺し」である)。

 「遊んでいただけだ」と「やった子どもたち」を弁護する近所の主婦は、有平君の死を「飼っていた虫をうっかり死なせたようなものだ」と言う。「人間の死に重みを感じていない」と記者たちに言われて、彼女は憤懣やるかたない。筆者はよく地元の人から、「せっかくおさまってきたのを、ほじくりかえすな」と言われた。だが「裏切り者」に対する憎悪はもっと激しい。明倫中のある父兄が事件に関して正義派的な発言をした。すると、その妻が学校関係の母親の集まりで執拗な嫌がらせや集団シカトをされた。彼女は、精神的なショックで耳が聞こえなくなってしまった。

(1995年 『季刊 人間と教育』第7号、労働旬報社: p.70−82より)

 

連日に渡っていじめを受け、ついに虐殺された児玉有平君

 

 事件は93年1月に起きた。

 当時13才の中学生だった児玉さんの次男が、中学校の体育館にあるマット室のマットの中で、遺体となって発見されたのだ。

 この犯人として同じ中学に通う7人が逮捕された。犯行も自供した。

 ところが、事件は意外な展開を始めた。7人のうち犯行を認めた1人は児童相談所送りになったのだが、残り6人は自供を翻して否認に転じたことなどにより家裁に判断が委ねられ、ここでも無実を主張。そして家裁は、3人については「無罪」に相当する不処分にして、残り3人については「有罪」に相当する保護処分とし、少年院や教護院(現・児童自立支援施設)への送致を決定した。

 しかし、その後、仙台高等裁判所は7人全員の非行事実を認定、実質的に「有罪」の判断を示している。とはいえ、少年審判は家裁の「無罪」決定は覆せない仕組みになっていて、不処分の3人については、少年院などに送られることはなかった。

 児玉さんがいう。

「事件を通じて少年法の欠陥を痛感したのはもちろんですが、納得できないのは少年の更生システム。7人の少年は全員、すでに成人して社会復帰しています。しかし、"無罪"になった3人はもちろん、"有罪"と認定された4人を含め、誰ひとり、謝罪に来たことはありません。なかには仕事も長続きせず、ブラブラしている元少年もいます。少年法の理念は、罪を犯した少年の処罰ではなく、保護と更生にあるのですが、謝罪もない更生があるのでしょうか。やはり、現行の少年法の精神は形骸化していると感じないわけにはいきません」

(女性セブン 2000年6月15日号より)


そしてこいつらが、高裁の有罪判決さえはねつける悪法・少年法と、かび臭い田舎の因習とによって保護されている、7人のクソガキどもです!

犯人の氏名

(生年月日)

家族の氏名

住 所

電話番号

備 考

長岡 正樹

(1978.05.10)

長岡忠正

  富子

(その他弟らしき者)

山形県新庄市北町6-10

(0233)

22-0507

家裁では不当な無罪判決。高裁で有罪となるも処罰なし。

今田 訓

(こんださとし)

(1978.08.13)

今田三佐子

(その他詳細不明)

新庄市十日町1635-16

(0233)

23-3451

家裁では不当な無罪判決。高裁で有罪となるも処罰なし。

中屋 聡一郎

(なかやそういちろう)

(1979.01.07)

中屋伸一

(その他詳細不明)

新庄市五日町1390-7 コーポ松浦

(0233)

22-9093

家裁では不当な無罪判決。高裁で有罪となるも処罰なし。

「てめー身元はわかってんだぞ。警察にも言ってあるからな」

佐藤 和文

(1979.02.05)

佐藤多螢美

  陽子

(その他弟らしき者)

新庄市五日町1245

(0233)

23-1185

家裁でも高裁でも最高裁でも有罪判決、少年院送り。

「ふふん!」とせせら笑い電話を切る。

「ああそうだ、それがどうした、言いたいことはそれだけか、てめーこんなことをして楽しいか」

大竹 和久

(1979.03.14)

大竹和夫

  純子

(その他弟妹祖母らしき者)

新庄市北町5-1

(0233)

22-9186

家裁でも高裁でも最高裁でも有罪判決、少年院送り。

東北学院大学法学部在学中に学園祭実行委員を務める。

「あんまりよく掛かってくるからもう慣れちゃったよ」

福原 健二

(1979.10.05)

福原稔(運送業)

  悦子

(その他弟と祖母らしき者)

新庄市万場町10-3

(0233)

22-1024

家裁でも高裁でも最高裁でも有罪判決。教護院送り。

「やってません。裁判所の判決なんか関係ありません。あなたの先祖だって人殺しだったかもしれないじゃないですか」

矢口 祐介

(1980.02.28)

矢口康二

  和子

(その他弟らしき者)

新庄市万場町11-8

(0233)

22-6355

最初から罪を認め、教護院送り。

こいつには数々の許されざる暴言があります!(クリックしてください)

(備考欄のカギ括弧内は、非難の電話をかけた人から提供された情報です。少年院と教護院という違いは、犯行当時の年齢によるものです)

備考欄でもわかるとおり、犯人たちは全く反省していません。こんなヤツらをむざむざと野放しにしておいていいのでしょうか?

 

長岡宅

 

佐藤宅

 

大竹宅

 

福原の「幸福運送」

矢口宅

 

 

「いじめSTOP 円満寺育成会 明倫中三男子」

と書いてあります。

むなしい看板です。

この重大事件のけじめをつけず、地域あげて加害者クソガキを曲庇するような腐った土地柄で、どうしていじめをなくすことができるのでしょうか。

 

民国94(西暦2005)年9月6日、最高裁判所にて、犯人どもに賠償金支払いを命じる民事訴訟判決が下りました。

当たり前の判決です。賠償金ゼロの判決を下した第一審の山形地裁が異常なのです。

犯人どもをかばい立てして応援してきた連中(中には本まで出版している者もいます)は、どうけじめをつけるつもりなんでしょうね?

猛省すべきです。