ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

わたしとおかあさん:全国障害者問題研究会和歌山支部長・小畑耕作さん /和歌山

2008-09-03 22:05:32 | 障害者の自立
◇「つながり大切に」は母に似た−−小畑耕作さん(57)

 私は養護学校で先生をする前は、大阪で営業マンをしていました。高校卒業後、串本で漁師をしていた両親のもとを離れて、大阪の事務用品卸会社で働きながら、夜間大学に通いました。大都会で一旗揚げたかったし、仕入れから販売まで経営のことも勉強したかった。

 でも仕事を覚えたら、1、2年で会社を変わっていました。実家に帰ると、母に泣かれてね。「帰ってくるたびに会社が違う。1カ所に落ち着いてほしい」と。今のように転職が当たり前ではなかったので、心配だったのでしょう。

 母といえば、漁に出かける前に起きて、夜遅くに私たちの弁当を作っていた姿を思い出します。夏場は父は素潜りでアワビ漁、母は畑仕事をして、冬になると夫婦でイセエビの刺し網漁をしてました。母は料理が上手なんですよ。ウツボのあら炊きの味付けなんて絶品。とてもまねができません。

 私は小学生までは勉強が良くできた。それで母は期待したのか、しつこく「勉強しろ」と言われました。嫌でしたね。私はサラリーマンの家庭がうらやましかった。漁を休むのは天気の悪い日だから、家族で出かけるわけでもない。私は学校に行く前に刺し網の掃除を済まして、牛乳配達もしていました。

 障害児教育に32年間携わって今、実現したいのは、「学びのノーマライゼーション」です。高校卒業後低くなる進学率を上げたい。健常者と同じように、キャンパスライフを子どもたちに味わわせてやりたいのです。

 障害のある子どもたちを育てるお母さんたちは、精いっぱい頑張っています。母親だけが責任を負わされたり、葛藤(かっとう)もあるなか、「この子とともに歩む」という気持ちが、お母さんたちにはあります。教師として、子どもたちをどう育てていくか一緒に考えて、発達や成長を共有できる喜びがありますね。

 苦労が多くても人とのつながりが楽しい。母はお土産を渡してもすぐご近所に配ってしまいます。つながりを大切にするのは母に似たのかもしれません。


人物略歴

 ◇こばた・こうさく
 1951年、串本町生まれ。近畿大経営学部卒業後、紀北養護学校(現・紀北支援学校)に勤務。きのかわ養護学校を経て、95年から再び紀北支援学校で教べんを執る。


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