特論(5)

教師からの悲鳴が聞こえる

2004.8

 近頃「スクール・セクハラ」というものが社会問題となっている。

 これは主に、教育現場で行われるセクハラ行為のことである。従来、セクハラといえば職場の社員どうしでの問題であったが、特に最近深刻なのは教師の教え子に対するセクハラ行為である。

 昨年(2002年)のわいせつ行為によって処分された教師は175人。前年に比べて50人以上も増加しており、しかもその過半数は教え子の生徒に対するものというから驚きである。教師の不祥事には他に体罰、公費の不正執行などがあるが、わいせつ行為ほど急激に増加している事由は他にない(*1)。

 またある調査(*2)では、無理やりセックスされたことがある高校生の5.1%は「教師から」と答えたという。まことに目を覆いたくなるような統計である。なんと、性暴力を受けた女子生徒の約20人に1人は、子どもをよき人へと導く身分である「教師」からのものである計算になる。

 このような現状を重く見て、各自治体の教育委員会では教師の登用制度を見直し、人物重視による採用を強化する方策をとっている。また地域によってはスクール・セクハラに対しては厳しい目を光らせ、問題を起こした教師に対する一層の厳罰化を進めている。被害を受けた生徒へのケアも怠らない二重三重の体制である。

 私自身、こうした教師の不祥事に対してはもっと毅然とした対応をするべきだと考えているし、大半の人たちはそう思っているはずである。スクール・セクハラを起こした教師に対しては学校名、そして教師の実名をも公表すべきではないだろうか。学校は生徒のためのもの、生徒に選ばれるものと考えれば、これくらいの対処は当然だろう。



 しかし、ちょっと待って欲しい。

 問題を起こした教師は頭ごなしに罰し、社会から追放してハイおしまい、で果たして良いのだろうか?


 教師の今置かれている現状は、我々の想像を絶するほど大変な状態にある。

 いじめ、不登校、学級崩壊、子どもの連れ去り事件、新学習指導要領、絶対評価への移行、そして続発する少年事件・・・。

 教育革命の時代ともいえる昨今、学校にはこのような今まで想像もできなかった難題が次々と積み重ねられていく一方である。そのほとんどは、解決の糸口さえも見つからないまま・・・。

 極論、いやまんざら極論でもないようにも思われるが、子どもに関わる問題のすべては学校、ひいては教師が責任を持つべきという風潮が今の社会にはある。そうした社会に、たくさんの子どもたちを教え導く教師をいたわり、ねぎらう気持ちは微塵も感じられない。これでは、現場の教師たちはたまったものではないだろう。

 スクール・セクハラなどのわいせつ行為が教師本人の歪んだ人間性、性癖からおこるのであれば、その結果を責められるのは当然である。しかし皮肉なことに、こうした行為で処分を受ける教師には、「まじめで熱心、生徒から慕われる教師」も多い。いや、そのほとんどはそうした教師によるものではないだろうかとも思う。

 まじめで、まっすぐな気持ちを持った教師からの「悲鳴」が聞こえてくるような気がする。


 残念なことに、日々の仕事に悩む教師を支援するカウンセリングなどの公的な体制があるという話は聞いたことがない。すなわち、運悪く同僚からの理解を得られなかった教師はどこまでも孤立し、自身の身に降りかかるさまざまな不安を受け止めてくれる場所はないのである。

 スクール・セクハラの急増は、実は教師自身の問題である以上に教師たちの直面する社会の問題でもあるのではないか?

 スクール・セクハラなどの不祥事をおこした教師を片っ端から責め立て、処分することしか考えないという昨今の風潮はまったくの対症療法であり、教師を取り巻く様々な問題に対して目をつぶっているに過ぎない。この問題に対して生徒へのケアに関心が寄せられようとも、教師へのケアについてはまったくといって良いほど無関心である。教師を支援するバックアップこそ必要なのではないか。そうすることによって一刻も早く今の教師が置かれている現状を捉え、どのような問題を抱えているのかを的確に把握することができるはずだ。

 真剣にスクール・セクハラの根絶に取り組むのであれば、まずはそこから入るべきではないだろうか。


 まじめで、子どもへの熱い思いを持ったすばらしい教師たちこそが現場で満足して活躍できる。教師を取り巻く社会がそうなることを切に願うばかりである。


*1文部科学省『平成14年度教育職員に係る懲戒処分等の状況について』より
 ホームページhttp://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/001/029/03122401.htm

*2「女性のためのアジア平和国民基金」による調査より


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