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第1部
 昭和51年(1976年)7月21日いるもて荘が5部屋で開所しました。21日当日はお客さん0人で、この先やっていけるのか今なら不安に思うでしょうが、何分にも若さだったのでしょうか、なんとかなるの気分だったのか、建物を手伝ってもらった友達と4人で記念(?)にヒナイサーラの滝に行った思い出があります。
 それから30年色々なことがありましたが、思うことは谷あり谷ありの中にも山あり、今30年を振り返れば皆様に助けられ楽しい笑い話ばかりとなってしまいました。
 いるもてホームページを見てくださる皆様は自分の歩いて来た後を振り返って、笑いの多い楽しい青春時代を過ごしましたでしょうか。
 今回こちらに載せた写真は昭和51年〜53、4年位まで(西表島に観光客が来始めた頃)の港の様子、安栄丸初代の頃見送り風景、いるもて荘第1号のお客様、今と違う庭「東屋」、日中は貝細工をする人の憩いの場所でした。その昔若者だった人たちも今は○○才?。いつもお見えの方、久し振りの方(もちろん始めての方も思いで作りに)御自分のアルバムを紐とき、あの頃の楽しい青春時代に戻ってみませんか、今年お見えになる際は必ず最初に来たあの頃の若い時があったという証拠写真を持って来て下さい。1976〜2004年迄のどんな人達が顔を見せて下さるか楽しみにスタッフ一同お待ち致しております。(ヘルパーだった方はエプロン持参で、ヘルパーもどきも嬉しいです。)
 次回第2部の写真は昭和54年〜60年位までの写真を見つけ、30年の歩みコーナーに載せます。(予告ダンスパーティー、ごろ寝??お酒の失敗)

ここから出発
今はこんな体力なくなりました。

ヒナイサーラ
私にとっては始めての滝の上でした。

昭51.7.22
第1号宿泊の皆様、アリガトウ

食堂
定員12名からのスタートでした。

今は昔、かやぶき屋(東屋)

昭和52年ペンキぬり中
それから昭和60年まで壊しては造りで今のいるもて荘

昭和54年元日
玄関前の見送り

昭51年ごろの第三住吉丸 石垣←→船浦

住吉丸の頃、テープで見送り

昭和51年頃までの船浦港と見送りダイビング

昭52,3年頃? 安栄丸
雨ニモマケズ、風ニモマケズ、台風ニモマケズ でした。

昭53,4年頃?の船浦港と見送り

昭53,4年頃のマリンスター(石垣・船浦)
船も見送りダイビングの人用にゆっくり出航してくれた時代です。

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