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急転流転:城原川ダム計画/中 水没予定地 /佐賀

 ◇「いずれ立ち退く」と38年

 城原川ダム建設で水没する神埼市脊振町広滝の政所地区。梅崎稔さん(66)が住む木造2階建ての家は、父が1958年に建てた。「ダムができたら立ち退かなければ」。そう思い続けて40年近くが過ぎた。

 屋根瓦はすっかりこけむした。畳敷きの1階では、寝室などを板張りに替えた。周囲の山からの水が床下に入り、湿気で畳が傷みやすいからだ。「これまでの家の修理費? 何百万円かなあ」

 「川の水があふれるように増え、ものすごい勢いで流れていた」。梅崎さんは城原川ダム計画のきっかけになった1953年6月の大水害を覚えている。城原川と同じ水系の筑後川は21カ所で決壊。死者・行方不明者は、九州・山口地方で1000人を超した。

 「ダムができるから、この辺りの人は引っ越すことになりそうだ」。梅崎さんが初めてそう聞いたのは、69年ごろと記憶している。その言葉を裏付けるように、71年には建設のための予備調査が始まった。

 しかし住民の間で賛否は二分。「賛成派と反対派は、道で会ってもあいさつもしなくなった。住民の間でダムの話はタブーだった」

 そして、ダム計画は迷走を重ねた。

 01年には佐賀東部水道企業団が「ダムによる利水は不要」との方針を示し、専門家らによる流域委員会は04年11月に「ダムは治水対策に有効」と結論づけた。一方で、ダム建設に積極的でなかった古川康知事は「ダムによらない案は議論不足」と、流域4市町村長(当時)らによる「首長会議」を設置。しかしダム以外の具体案はまとまらず、会議は05年5月に終了した。

 同年6月。古川知事は、普段は水をためず大雨の時に水をせき止める「流水型ダム」の建設を国に申し入れると表明した。「とにかく早くダムを造ってくれ」。梅崎さんらダム賛成派の期待は高まったが、政権交代で再びブレーキがかかろうとしている。

 「ダムへの期待」は、地域のインフラにも表れている。県道脇から水没予定地の集落につながる道は、乗用車1台がようやく通る幅で、所々、コンクリートがむき出し。水没に備えた結果、40年近く手つかずという。梅崎さんは「火事や急病人で緊急車両が必要な時が心配だ」と話す。

 ダム計画が中止になった場合、水没予定地の生活インフラはどうするのか。

 「計画見直し全体の中で考えていく」。民主党の大串博志衆院議員(佐賀2区)は、そう話すにとどまる。

毎日新聞 2009年9月15日 地方版

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