国民に退場を命じられての閉幕である。さきの衆院選の与党惨敗を受けて、麻生太郎内閣が16日、退陣する。昨年9月24日の発足以来、1年足らずでの終結となる。
短命の政権が秋に退陣するのは3年連続だが、今回は自民、公明両党ともに野党に転落する意味で文字通りの落城だ。政権発足と同時に民意の審判を仰ぐべきにもかかわらず先送りを続け、最後はおそらく最悪の状況で衆院解散を迫られた。1年にわたる外交、内政の停滞も含め、「宰相の座」の荷は首相に重すぎたと言わざるを得ない。
自民党は94年以来の与党の座を去り、10年にわたった自公体制も終了する。歴史的大敗は小泉改革の総括の迷走、地方組織崩壊、党の存在意義の揺らぎなど、自民党政治の疲弊がもたらした。首相に全責任を押しつけるつもりは、もとよりない。
とはいえこの1年間、問題が多かったことも事実だ。何よりもまずかったのは衆院解散を先延ばしし続け、結局は衆院議員の任期満了近くまで決断できなかったことだ。
2代にわたる首相の政権投げ出しを経て発足した麻生内閣だ。本格的な政権運営にはただちに民意を注入すべきだったが、首相にその認識はなかったようだ。
世界経済危機への対処策として打ち出した4次にわたる経済対策も、巨額の財政支出を伴う定額給付金をはじめ、まずは国民に信を問うべきだった。首相は「(昨秋に)選挙をしていれば世界同時不況に対応できなかった」と語っている。だが、与党には政権発足直後から選挙の苦戦を予想する見方が強かった。「超短命内閣」で終わるまいと、潮時を待った疑念はぬぐえまい。
首相の政策をめぐる発言のぶれや、数多い失言も反発と失望を生んだ。「たらたら飲んで、食べて、何もしない人の分の金(医療費)を何で私が払うんだ」などの発言に、国民は生活不安の実感を共有できない印象を強めたのではないか。
中川昭一前財務相の「もうろう会見」、鴻池祥肇前官房副長官の女性問題など首相の「お友達」も足を引っ張った。官僚も改革をつぶしにかかり、政権の足元をみられたためか、外交も動かなかった。政治のたがが外れた1年だった。
それでも最後の「麻生降ろし」に抵抗して衆院を解散し、政権を投げ出さなかった点は救いである。
首相の失言癖などを知りながら「選挙の顔」として政権を委ねたのは、自民党だ。戦後保守政治を形作った吉田茂元首相の孫という点でも首相は注目された。党首選びがいかに大切かの教訓を後世に残した、との評価は酷に過ぎるだろうか。
毎日新聞 2009年9月15日 0時03分