ピュアブログトップへ
1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /

夢の中で

テーマ:ブログ 2009年09月14日(月) 21時16分38秒

夢の中でパニックに襲われる。。。


夢の中で、


締め付けられるような、苦しい服を


パニックを起こしているため自分で脱ぐことができず、


母に助けを求めるが、母は父の用事を優先しよう行きかけるが、


私は叫んで『今!今、助けて!!』と、母を呼び戻し、服を脱がせてもらう。


『なんで自分で脱げないの?』と言われつつ。。。。


でも、表面には出なくても、心の中は嵐だ。



心の嵐を納めたくて、私はある男性に連絡をいれようとしていた。


もちろん夢の中で。


お付き合いこそしたことはないが、信頼をよせていた男性だ。


しかも、結婚後、1度しか会ったことがなく、


今も相手の連絡先が判らない。


連絡先を知っている友人に連絡を取ろうとするが、


携帯の画面が、なぜか


天空図になりアドレス帳が出てこない。


必死になってその携帯を操作しようともがいて、もがいて、



・・・・目が覚めた。


即効、頓服薬を飲んで、落ち着いて。。。


今やっと、薬が効いてきた。



『孤独』だ。。。。

同じテーマの最新記事

存在の意味

テーマ:徒然なるままに 2009年09月13日(日) 23時34分18秒

幼いころから私を苦しめたもの。


『私と言う存在の意味』がわからないこと。


幼稚園時代。


両親は、夜中によく夫婦喧嘩をしていた。

それは、怒鳴りあう喧嘩で、私は夜中に目を覚ましては、

その声におびえていた。


そのうち、多分、母からだったと思うが

『パパとママが別れたら、arisaはどっちについてくる?』

と、尋ねられるようになった。


何回も。何回も。


初めのうちは、何と答えていたか覚えていない。

子供心に、真剣に考えた記憶しかない。


その結果、私はひとつの答えを出した。


『体を半分に分けて、両方についていく』と。


本気だった。


『死』というものに真剣に向き合ったのもそのころからだと思う。


『死んだら、今この考えている私はどうなってしまうのだろう?』


自分の意識と向き合って、向き合って、向き合って、


『私は、消えることはない』


と結論付けたのもこのころだ。


今から考えると、悲しくなる。


なんで幼稚園生がこんなこと、考えなくっちゃいけないのだろう???



話が前後してしまった。


両親の喧嘩の度に、私は祈った。

『神様、パパとママが別れませんように。。。』


『神様』といっても、特定の宗教ではない。

我が家は、日本の一般的な家庭と同じ、

正月に神社に行って、葬式は仏教で、クリスマスもやる。

欧米諸国からいったら、無節操な家だ。


その当時、TVでよく見たのが、映画の『大魔神』

普段は穏やかな大仏さまが、困った人の祈りによって、

大魔神に変身して動き出し、悪者をやっつける。。。

そんなストーリー。


その当時の私にとっての『神様』は、まさに大魔神様だった。



その後、いつしか夫婦喧嘩は収まった。

けれども、『体を半分に・・・』の答えは、両親にとって嬉しかったようだ。


『パパとママが別れたら・・・』の問いは、その後も続き、

その度に『体を半分に・・・』と答え、

両親は、その答えを人に聞かせ満足し、

私は、本気で答えていた。


夫婦喧嘩をするのは悪くない。

「離婚」を考え、子供の私を考えてくれたからこそ、

私に尋ねた質問であったことは、十分に理解できる。

多分、当時の子供のarisaでも、そう説明されれば、きっと理解できたと思う。


でも、両親は何も話してはくれなかった。

「喧嘩したけど、仲直りしたのよ」とは。


そして、両親の間には、私への質問だけが残り、

私の中では、不安が残り、質問の度にその不安は増長していった。




私は、小さいころは泣き虫だった。

それも泣きだしたら、止まらない。

なんで泣いていたのか、現在の私ではわからない。


両親への不安感からだったのか、単に私の協調性がなかったからか、

はたまた、ひとりっ子だったので、泣けば誰かの手が助けてくれると勘違いしていたのか??


多分、全部だったのだろう。


父が偏屈な性格で、その父の考えに共鳴していたことも影響したのであろう。

小学校1年の時、担当の先生のお名前が『優子』さんだった。

父は言った。

『優れる子なんて名前は、たいてい優れていないんだ。

 arisa、先生という字は先に生まれると書くんだ。

 先に生まれただけなんだから、

 先生の言うことが全て正しいわけじゃないんだぞ』


とにかく、幼稚園を含む学生生活時代は、仲間外れやイジメにあっていた。


両親は、共に自分の実家とうまくいっていなかった。

だから私も、自然、親戚付き合いというものから遠ざかっていた。


人生に喜びを感じ始めたのは、社会に出てからだった。

アルバイトで、商店街のケーキ屋の売り子をしていた時は、

とにかく他の店の大人たちにかわいがられた。

・・・といっても、私も二十歳の立派な大人だったのだが。。。

そして、私も大人を慕うことを覚えていった。




それでも気持ちの根底に、『人を信じるな』というコマンドは常につきまとっていた。

だから、一定の距離間を保って、かわいがってもらう分には、問題無かった。

けれども、心の内を打ち明けられる人間は、ひとりもいなかったのだ。



『心の内を打ち明ける』ことを覚えたのは、

演劇をやり始めてからだ。


マンガ『ガラスの仮面』じゃないけれど、

演劇の基本は『心があって、体が動く』だ。


どうしても自分の感情と向き合い、

そしてそれを『表現』しなければならない。


演劇のメソッドを通じて、私は私と向き合い、

それを言葉で、体を通して表現することを学んだ。


同時にそれを人と共感しあうことを学んだのだ。


それは自分に『そのまんまでいいよ』と言えるようになったことでもあった。

まだまだ、ヨチヨチ歩きの自己ではあったけれど。



そんな背景があって、結婚した。

自分で自分の存在を認めることができ始めたころだった。


その相手が、モラだった。


必死に作り上げてきた自己は、それに抵抗した。


そして私は、自分が信じたことを信じた。

『彼の本当の姿は、優しい人』

『自分がしっかりしていればいい』

『いつか彼もわかってくれる』


私はとても慣れていたのだ。

いじめられること、無視されることに。


そしてそれらをどう処理していいのかも。


でも私は知らなかったのだ。

愛されることがどういうことなのかを。


そしてある日。


気が付いてしまった。


夫が私を愛していないことに。

私はもう、子供を持つ幸せも、男性を愛する幸せも持てないことに。

両親からも愛されていないことに。

本当に私を心配してくれる友人もいないことに。

親族もいないことに。

兄弟もいないことに。


そして、私は発狂し、5時間泣きわめき、

2階にいる夫から放置され、

自ら、病院の門をたたき、

生活費の算段をして、

実家に頭を下げ、

認知症を疑われる父を病院に連れ出し、

不安症になっている母を慰め、

父がFXに使い込んでいる一千万単位のお金の状況の把握に翻弄し、

父の後見人を探し、

モラ夫との離婚裁判をして、

両親のいく末を考え、

今、職をさがしている。



わたしは、なんのために、存在しているの??


今、また私探しの旅をしなくてはならない。。。

うんざり・・・

テーマ:モラ夫のこと 2009年09月13日(日) 09時30分28秒
“ウチ飲み”のこだわりポイントは? ブログネタ:“ウチ飲み”のこだわりポイントは? 参加中


はじめてブログネタに挑戦!!ですが、

ウチ飲み』・・・・・

聞くだけで、ゲロゲロ、ですショック!



結婚前は、好きラブラブでした。

もっとも、私自身、あまり飲める人ではなかったので、

こだわりのポイントは、

高価でも『おいしいお酒選び』です。

そして、純粋にお酒の味を楽しむことドキドキ

なにしろ、チョッコっとしか飲めないし、

なぜか友達も飲めない人が多い。

だから、お互い、一口飲んで、『ふぅ~音譜

お酒の味と飲んだ後の余韻を楽しむわけです。

ビールでも、小グラス1杯で終わりですね。

後は、食事と会話をたのしんで合格



今は、絶対、やりたくありません。

新婚当初!!から週末は、モラ夫の友達がきて、
「土曜日」「日曜日」
1日中、ウチ飲み爆弾
そのモラ夫の友達は、月曜午前中までいて、
共働きで誰もいなくなった月曜朝でも飲んでましたし。。。

それも、そのお酒の量も半端じゃない長音記号1
500ccの缶ビール、1ケース半。
ぷらす、日本酒、焼酎の一升瓶を2本弱。
それも二人で。。。私、飲まないから。。。

おつまみ作りは、私。
気に入らないと、勝手に台所に行って作る。
作るのはいいけど、やりっぱなし。。。
片付け、全ては私。。。

ビールや材料がなければ、
「嫁!!この家には、○○すらないのか!!メラメラ」とモラ夫友人。
「気が利かないからにひひ」とモラ夫。

おつまみを出せば、
「嫁!こんな食べ物、見たことない!メラメラ」とモラ夫友人。
「だろだろ?ものを知らないんだよ。コイツにひひ」とモラ夫。

私を「嫁」呼ばわりするモラ夫友人。
それを止めずに、日常よりさらに態度を偉そうに増長するモラ夫。

有る程度の用意(ビール・つまみ)がなければ、モラ夫友人から不満を浴びせられ、
その場面にいるモラ夫は、それを見てゲラゲラ笑っている。

そのくせ、平日、モラ夫と2人になると
『お酒やつまみなんか、自分たちで買ってくるから、用意しなくていいんだよ』なんて
言ってくる。


それが、月に3回。
ゴールデンウィークや正月などは、5泊ぐらいはあたりまえ。

そして、それらの費用の約半分は、私の稼ぎからの出費!!

モラ夫、生活費の話になると、爆発するから、
家のローンと車(仕事で使用)のお金は自分で出してたけれど、
私には1円も手渡してくれなかった汗

その生活が、何年も続き。。。。

そしたら、ウチ飲みなんて、絶対、嫌になるわよね・°・(ノД`)・°・



1 | 2 | 3 | 4 |最初 次ページ >> ▼ /