存在の意味
テーマ:徒然なるままに 2009年09月13日(日) 23時34分18秒幼いころから私を苦しめたもの。
『私と言う存在の意味』がわからないこと。
幼稚園時代。
両親は、夜中によく夫婦喧嘩をしていた。
それは、怒鳴りあう喧嘩で、私は夜中に目を覚ましては、
その声におびえていた。
そのうち、多分、母からだったと思うが
『パパとママが別れたら、arisaはどっちについてくる?』
と、尋ねられるようになった。
何回も。何回も。
初めのうちは、何と答えていたか覚えていない。
子供心に、真剣に考えた記憶しかない。
その結果、私はひとつの答えを出した。
『体を半分に分けて、両方についていく』と。
本気だった。
『死』というものに真剣に向き合ったのもそのころからだと思う。
『死んだら、今この考えている私はどうなってしまうのだろう?』
自分の意識と向き合って、向き合って、向き合って、
『私は、消えることはない』
と結論付けたのもこのころだ。
今から考えると、悲しくなる。
なんで幼稚園生がこんなこと、考えなくっちゃいけないのだろう???
話が前後してしまった。
両親の喧嘩の度に、私は祈った。
『神様、パパとママが別れませんように。。。』
『神様』といっても、特定の宗教ではない。
我が家は、日本の一般的な家庭と同じ、
正月に神社に行って、葬式は仏教で、クリスマスもやる。
欧米諸国からいったら、無節操な家だ。
その当時、TVでよく見たのが、映画の『大魔神』
普段は穏やかな大仏さまが、困った人の祈りによって、
大魔神に変身して動き出し、悪者をやっつける。。。
そんなストーリー。
その当時の私にとっての『神様』は、まさに大魔神様だった。
その後、いつしか夫婦喧嘩は収まった。
けれども、『体を半分に・・・』の答えは、両親にとって嬉しかったようだ。
『パパとママが別れたら・・・』の問いは、その後も続き、
その度に『体を半分に・・・』と答え、
両親は、その答えを人に聞かせ満足し、
私は、本気で答えていた。
夫婦喧嘩をするのは悪くない。
「離婚」を考え、子供の私を考えてくれたからこそ、
私に尋ねた質問であったことは、十分に理解できる。
多分、当時の子供のarisaでも、そう説明されれば、きっと理解できたと思う。
でも、両親は何も話してはくれなかった。
「喧嘩したけど、仲直りしたのよ」とは。
そして、両親の間には、私への質問だけが残り、
私の中では、不安が残り、質問の度にその不安は増長していった。
私は、小さいころは泣き虫だった。
それも泣きだしたら、止まらない。
なんで泣いていたのか、現在の私ではわからない。
両親への不安感からだったのか、単に私の協調性がなかったからか、
はたまた、ひとりっ子だったので、泣けば誰かの手が助けてくれると勘違いしていたのか??
多分、全部だったのだろう。
父が偏屈な性格で、その父の考えに共鳴していたことも影響したのであろう。
小学校1年の時、担当の先生のお名前が『優子』さんだった。
父は言った。
『優れる子なんて名前は、たいてい優れていないんだ。
arisa、先生という字は先に生まれると書くんだ。
先に生まれただけなんだから、
先生の言うことが全て正しいわけじゃないんだぞ』
とにかく、幼稚園を含む学生生活時代は、仲間外れやイジメにあっていた。
両親は、共に自分の実家とうまくいっていなかった。
だから私も、自然、親戚付き合いというものから遠ざかっていた。
人生に喜びを感じ始めたのは、社会に出てからだった。
アルバイトで、商店街のケーキ屋の売り子をしていた時は、
とにかく他の店の大人たちにかわいがられた。
・・・といっても、私も二十歳の立派な大人だったのだが。。。
そして、私も大人を慕うことを覚えていった。
それでも気持ちの根底に、『人を信じるな』というコマンドは常につきまとっていた。
だから、一定の距離間を保って、かわいがってもらう分には、問題無かった。
けれども、心の内を打ち明けられる人間は、ひとりもいなかったのだ。
『心の内を打ち明ける』ことを覚えたのは、
演劇をやり始めてからだ。
マンガ『ガラスの仮面』じゃないけれど、
演劇の基本は『心があって、体が動く』だ。
どうしても自分の感情と向き合い、
そしてそれを『表現』しなければならない。
演劇のメソッドを通じて、私は私と向き合い、
それを言葉で、体を通して表現することを学んだ。
同時にそれを人と共感しあうことを学んだのだ。
それは自分に『そのまんまでいいよ』と言えるようになったことでもあった。
まだまだ、ヨチヨチ歩きの自己ではあったけれど。
そんな背景があって、結婚した。
自分で自分の存在を認めることができ始めたころだった。
その相手が、モラだった。
必死に作り上げてきた自己は、それに抵抗した。
そして私は、自分が信じたことを信じた。
『彼の本当の姿は、優しい人』
『自分がしっかりしていればいい』
『いつか彼もわかってくれる』
私はとても慣れていたのだ。
いじめられること、無視されることに。
そしてそれらをどう処理していいのかも。
でも私は知らなかったのだ。
愛されることがどういうことなのかを。
そしてある日。
気が付いてしまった。
夫が私を愛していないことに。
私はもう、子供を持つ幸せも、男性を愛する幸せも持てないことに。
両親からも愛されていないことに。
本当に私を心配してくれる友人もいないことに。
親族もいないことに。
兄弟もいないことに。
そして、私は発狂し、5時間泣きわめき、
2階にいる夫から放置され、
自ら、病院の門をたたき、
生活費の算段をして、
実家に頭を下げ、
認知症を疑われる父を病院に連れ出し、
不安症になっている母を慰め、
父がFXに使い込んでいる一千万単位のお金の状況の把握に翻弄し、
父の後見人を探し、
モラ夫との離婚裁判をして、
両親のいく末を考え、
今、職をさがしている。
わたしは、なんのために、存在しているの??
今、また私探しの旅をしなくてはならない。。。