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一寸の虫にも五分の魂 even a Worm will turn.
龍山殺人鎮圧
熱狂のるつぼ

2008.09.09 事実行為だけで民衆によく理解できるようにやること。

7/5大阪「反G8ぐるぐるアクション」の記録(おさきまっくろ)

わー。これもおもしろい。しかし、それにしても!国家権力のグロテスクな異様さが際だちますね

http://saluton.asablo.jp/blog/2008/09/09/3752494

 そしたら、なんと、狭い駅構内は制服私服の警官でいっぱいやんか。それに駅員も加わって、五十人〜七十人?くらいもいたやろか。これみんな「ぐるぐるアクション」のためにきてるの?

 警官たちをかきわけて、やっと友人たちをみつける。これほどの取締りの対象になってる仲間たちはといえば、赤ちゃんをベビーカーにのせて、ちっちゃい男の子の手をひいた若いお母さん、それから臨月まじかのお腹をかかえたひと、あと十人もいたかな、みな二十代の若々しいひとたちや。(おとこも三人ほどいたかな)

 はじめ、この日の作戦は、ビラいうのはなかなかとってもらえないから、混んでない時間帯の環状線に乗り込んで、坐ってる、ひとりひとりにビラを渡していく。全車両の乗客に配り終わったら、電車を降りて、またつぎの電車に乗り込んでビラをわたす。電車で坐ってる乗客いうのは、目的地に着くまでは所在無いから、たいがいはビラを受取って読んでくれるんや。環状線はぐるぐるまわってるから、なんぼ乗っても電車賃もかからんし、ビラマキには絶好や―― というわけ。

 しかし、この日は、電車に警官隊もいっしょに乗り込んでくるから、電車内でびらまきでもしようものならただちに逮捕?もありうるようなフンイキや。

 で、急きょ作戦をかえることに。電車のあっちとこっちの座席にすわって、大声で掛け合いをしよう。大声でしゃべるのを禁止する法律はないはず――ということで、一時間ほど電車の中を舞台にしての「ぐるぐる行動」とあいなったしだい。

(映像)

http://freezone.g8medianetwork.org/?q=ja/node/155

「電車という公共空間を使って表現。日々感じてること、不満やグチそして怒り、なんで反G8なのか。7月5日@大阪 国際連帯行動、電車の中での抗議運動の様子。」

  • エヴァ・デマルチク Ewa Demarczyk(ポーランド)

歌手ひとりだけの大劇場 ポーランドの「黒衣の天使」 解説:沼野充義

http://www.aritearu.com/Life/music/Photo/Demarczyk.htm

Ewa Demarczyk - Karuzela z Madonnami

D

Ewa Demarczyk - Pocałunki

http://jp.youtube.com/watch?v=byoYcp2qUn

蠱的態の歓喜とと絶望あるいはMUSIC FOR THE FILM ATTACK TO ATTACKの使用説明所

http://www.asahi-net.or.jp/~ee1s-ari/ookuma.html#anchor280009

BGM♪: Where Next Columbus? / CRASS

過去の自分を分析するために昔設置していた掲示板の過去ログから抜粋してみました。うーん、思想傾向としては音楽ヲタが文化的前衛&アナーキズムを政治的なそれと「間違えて」(笑)プチブル急進主義へ と言った趣ですね。泣きたくなります(笑)

絶対音感を持っている人が、必ずしもそうでない人よりも豊かな音認識をしているとは限らない、とか、音を聴く時に生じる意識をできるだけ取り除いてやると音が「溶ける」だとか、例えばパララックスに置いてるようなものが好きな人はSMの幼児プレイ趣味を持った人みたいなものだ、とか(笑)

>ガスマスク

防塵マスクが(手術用マスクも)何故か家にあるので今度していきますね。ゴーグルをつけると蠅男みたいになります。マスクとかグラサンとかヒゲとかお面とか顔を隠すものって基本的に好きです。

あとヘルメット持ってる人がいれば譲って頂きたいです。

どこに売ってるんだろう。ヘルメット。

あと、今日は素晴らしい出来事がありました。ドラヒップのふたりと会話しました!!写真撮って貰いました!!ぜんざい一口くれました!!けんちゃんの勇気に感謝します。ありがとう!!ドラヒップのふたりもありがとう!!

自動車嫌いです。大嫌い。自動車に乗っている人間が嫌い。今回はまともな人が相手で良かったですが、相手が糞だったら示談金30万ぐらいふんだくります。自転車に乗る機会が多いといかに嫌な人間が多いかよくわかります。全て悪い人間だとは言いませんが悪い奴多いです。日本にいる限りは自動車の免許とらないかもしれません。レイジアゲインストザマシーン。 火炎瓶を投げたくなるのはほとんどいつも自転車に乗ってる時です。事故に巻き込まれて死ぬのは嫌だから自重しようとは思うんですけど。

虚ろな目、飛び散る白菜。心底疲れました。ギター、笛たくさん、鉄板なんかを鳴らしていました。手が血まみれになりました。鉄板にこびりついた血が我ながら怖すぎでした。

とにかくジョン・ケージという人はポップ且つ変人、面白すぎだと思います。コンサートも良かったです。やっぱり4分33秒は生で見るに限りますね(笑)

アルバート・アイラーとバド・パウエルを聴き狂っています。最高。昨日はテナーサックスを原始的な多重録音で3重にかさねて一人激フリーを録音してみました。ちゃんとアンサンブルも重視してメロディックな展開もさせつつ。ただサックスが下手くそなので吹けるフレーズに限界があるのが難点です。その後アイラーの「ライブ・イン・グリニッチ・ヴィレッジ ・コンプリート・インパルス・レコーディングス」を爆音で2時間ぶっ通しで聴いたらふらふらになりました。これ、ほんと素晴らしいです。この中から4曲しぼったのが「ライブ・イン・グリニッチ・ヴィレッジ」。「Angels」の美しいことといったら無いです。あああああああ

横浜ジャズプロムナード、私的ベストアクトは韓国の崔善培、高木元輝、沖至、小山彰太、井野信義らによる演奏とカナダのQuinsin Nachoff Band」(クインシン・ナチョフ・バンド)でした。崔善培さんの厳しい空気を切り裂くようなトランペットも凄かったし、沖至の曲「紙風船と石切男」の暖かい感じも凄く良かったし、故・吉沢元治の音源が残っていないといわれる幻の曲「ドミソ汁」まで。ためいきがでました。どこかの学生が「凄いものをみた」とか「フリージャズっていいなぁ〜…」と口々に言っているのが印象的でした。

やるぞ見ておぉれ 口には出さずぅ 腹にぃおさめぇた 一途な夢をぉぉ♪

と、一柳慧「トウキョウ1969」は、落語と演歌とナレーションと民族音楽がコラージュされ、変調された声と電子音とノイズとロックギターが渾然一体となってグワーと迫ってくるようなかなり素敵な曲でした。現音というよりハードサイケかプログレみたいな。最高!!

フィラメントはなんというか一本の音の筋に鼓膜を突き抜かれて脳味噌を犯されているような感じでした。耳はかなり厳しかったんですが、角度によって聞こえる音が全く変わってしまう様子の、音そのものというよりそういう状況がすごく不思議に感じられた。ボーっと聞いていたんですが、ある時SACHIKO Mが一瞬非常に厳しい音を出した瞬間、心臓が止まりそうなくらい恐ろしく感じました。メルツバウ。微動だにしない秋田昌美。最初の方のぎゃーぎゃーという音が地獄の餓鬼のうめきみたいでした。

早稲田の赤い便器

赤瀬川原平「反芸術アンパン」「東京ミキサー計画」

はーやっぱりフリージャズとかとも時代を同じくしてむちゃくちゃなものが沢山あって面白すぎるんですが赤瀬川原平は一度ある喫茶店の店の奥に座っていたのを見たことがあります。 はなくそを食べたり新明解国語事典で遊んだりしている面白い作家、くらいのイメージしか無かったのでこんな過激な人だとは思っていなかった。また出てくる名前がネオダダ、犯罪者同盟 、九州派、時間派、ゼロ次元、小野洋子、グループ音楽の刀根康尚と小杉武久、ハイレッドセンター、暗黒舞踏派で、さんざ色々やったあげくに赤瀬川原平は模造千円札作品のことで逮捕されて裁判を受けるんですがこの裁判の様子がすばらしく面白いので読んでない方は是非読んでみて下さい。

なんか最近毎晩のように酔っぱらってしまうんですが、その、コルトレーンの「オラトゥンジ・コンサート」かけながら踊り狂ったりしてます。酔って聞くとほんと何かに憑かれたような気になって。この音源聞いているとコルトレーンはまさに「玉砕」という感じがぴったりな気がします。死ぬ直前まで加速し続けて玉砕してしまった、という感じ。音はもう、凄まじく過激なのに聞いているとこう、段々と心が穏やかになってくる。

「幻灯辻馬車」にしろ「風の呪殺陣」にしろ、時代小説の衣をまとって超一級の娯楽作品として成立しながら、その裏に作者の現代の社会への視線が見えてくるというか、そういうところも含めて面白かった。「幻灯辻馬車」は幕末に元武士であった一介の馬車屋の視線を通した明治期の自由民権運動の高まりと一部のテロリスト達の話であるんですが、主人公の視線というのは作者本人の視線の高さであるような感じがたし、登場人物の台詞に作者の考えもあらわれてきたりして。。「風の呪殺陣」然り。あれも無茶苦茶な凄い話ですがバックボーンは史実に基づいた権力の暴虐に対するレジスタンス小説。それにしてもどしゃめしゃなスリルがあって本当に面白いのでおすすめ。山田風太郎の忍法帳も「伊賀忍法帳」しかまだ読んでないのでもっと読もうと思います。

デレク・ベイリー"Pieces for Guitar"も素晴らしい。アルバム全体通して聴いた印象は何故か緑色っぽいイメージなんですが透き通った音の断片をしずくをたらすように並べていくような儚い感じ。頭の先から糸がほぐれていって空中で消えていってしまうようなアルバム。

もうとにかく姜泰煥の演奏を目の前で浴びるように聴けたのが幸せでした。終わった後しばらく、興奮で虚脱状態になった。凄かったなぁ〜。美しかった。会場で売っていたライブ盤、これもほんっっとうに素晴らしい!!HACOさんのパワーブックを普通に扱っている電磁ノイズそのものを拾うという過激なラップトップソロ(演奏の様子は逐一モニタで観衆に見せる)も良かったし一楽さんソロはもう言うまでもないですが最高!金属音響〜激変拍子と同期させた自民党は呆けて伊勢佐木町ブルースに悶絶!キャー!!川端稔の近年のサックスインプロがかったフリージャズも綺麗で良かった。高校の先生然とした普通、の佇まい。かぎざきのソプラノサックスで過激に音をぶちまける感に哀しげなメロディを挟みつつ。結構古い感じのフリーっぽかった。半野田拓の音を重ねつつ壊れた感じの演奏も良かったし倉地久美夫、生で初めて見たんですが素敵だった!あのギターはいやぁー良いですね。歌詞もいい。

マゾンナ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!鈴木昭男は金の管にバネのようなものを取り付けた不思議な楽器、30年程前に作ったものだそう、会場沈黙、バネをこすったり笛、歌などが不思議な余韻を持って響き渡る、酔う。いとうはるなの高音エレクトロニクスはなんというか場の緊張感がちょっとおもしろかった。耳は痛いが。灰野啓二のハーディガーディは時間の都合で見れず。

ボンボボンボ煩悩

で、昨日は元アートアンサンブルオブシカゴのジョセフジャーマンと元山下洋輔トリオの小山彰太のデュオを見に京都、東本願寺へ仏教系イベント。ジョセフジャーマンはどうもお坊さんになってしまっていたようで。牧師の説法みたいな宗教に堕した演奏が聴けました。音楽家としてのジョセフジャーマンはとっくの昔に死んでたんだな。

年末はアイラーとコルトレーンと山下トリオしか聴いてませんでした(いつもと変わらん)誰にも出していないのに年賀状が一枚だけ来てちょっと嬉しいです

キリスト教、嫌いですがグラモフォン日本版のバッハ特集号で誰か有名な人の言葉で「バッハのせいで私はあやうくキリスト教徒になりそうになった」というのに爆笑した覚えが。最も激烈なアジテーションは美だ!という。バッハは、凄いです。

スペースシャトル事故で死んだ7人(あえて言うとたった7人)は気の毒ではあるが、アメリカ人達(特にブッシュだけは・・)はどんな顔をして「追悼」してるのかと思うと。とりあえず戦争前のアメリカ人のナショナリズムを刺激するのにさぞ都合が良い事件だったろうと思います。

木村哲人「爆弾テロの系譜 バクダン製造者の告白」(「爆弾テロの〜」じゃなくて「テロ爆弾の〜」の間違い)

自由党とか玄洋社、18世紀末のロシアのテロリスト達の話は山田風太郎の「幻灯辻馬車」を思い出した映画の録音の仕事をしている方で昔、50年くらい前、爆弾少年だったときの体験を綴っているんですがその体験が数奇というかなんというかわけわからなくて依頼を受けて爆弾の研究をやりまくったあげくに・・大島渚が序文を書いてます

図書館の花火とか火薬関係のところに置いてあった・・

しかしなんといってもこの夏はミンガスばっかり聴いていたような気がしてなかでも黒い聖者と罪ある女が発狂しそうなくらい格好良い

私は、大学ノートの裏表紙にさなえちゃんを書いたんだけれども、一日中かかって一生懸命書いたんだけれども、鉛筆で書いたからというただそれだけの、ただそれだけの理由でさなえちゃんはいつの間にか消えたのであって、大学ノートの裏表紙に私が一生懸命書いたさなえちゃんは消えたんのあって、つまりもう会えないのであって、もう会えないのであって、二度と会えないのである。二度と会えないのである!二度と!

中上健二を読んで感心したことはまだ無いんだけれども、といっても短編しか読んだことは無いんだけれども、それに「破壊せよ、とアイラーは言った」なんていうタイトルにもどうにも違和感を感じてなかなか読まないんだけれども、あと予備校生の時、とはいってもまだ予備校生だけれども、予備校を舞台にした自己嫌悪で死にそうになってる短編も読んだけれどもわからなくもないが読んでて死にたくなるのであまり読みたくはないけれども、中上健二が好きな音楽にあげているのがアルバート・アイラーとバッハのマタイ受難曲だというのと、肉体労働に行く前にジャズを聴いてからでないと出かけられなかったというのはわかる、というのも自分の中で一番思い入れがあったのがバッハのマタイとアイラーとニールヤングだったからで、カレー屋のバイトに行くのが厭で厭で仕方がなかった時に毎回のようにアイラーを聴いて気合いを入れていった覚えがあったから。

インディージョーンズとゴダール勝手にしやがれの劇伴音楽、音響の比較、劇中で鳴り、劇中の論理の中で劇中の人物に聞こえる音楽が第一の領域、観客のみに聞こえる音楽が第二の領域、特異なのが劇中で鳴り、劇中の人物、観客ともの意識に直接聞こえてくるミュージカル、劇に音が伴われる歴史的な経緯、心理描写による音の響かせ方の違い、モチーフ(主題)を使った登場者の表現、意識に訴えかけるのが音楽で無意識に訴えかけるのが映画音楽であるという従来のテーゼとそれへの反論、無意識に訴えかけるための様々な手法と聞き手に与える緊張、感情、意識に注意を喚起せしめる手法としての吉野家の牛丼、意識と無意識がくんずほぐれつして時に浮かび上がったり沈められたりしつつ映像と相まっていろんな表現となっているのだなあと思った。勉強になった。

アグネス・チャン「はじめまして青春」思い出をあける鍵、愛の迷い子、恋人たちの午後、冬の日の帰り道、ハロー・グッドバイ、東京タワーを鉛筆にして、あたりはなかなか良かった。これもトリビアでやってたんだけど東京タワーの先って朝鮮戦争時の米軍の戦車でできているそうだ、朝鮮戦争とベトナム戦争特需、多くの東アジア人民の犠牲の上に成り立つ日本経済のバブル華やかなりし頃、東京タワーの前で繰り広げられた痴話喧嘩、東京ラブストーリーが日本で大ヒット、赤い巨塔、拝金主義と人殺しの象徴

「今日の音楽は決定的に無調性の方向に向かって進んでいます。しかし、私達が調性の原理というものを、無調性の原理の絶対的な対立物として把握するならば、これは正しくありません。無調性の原理というものは、むしろ調性の機能が次第に緩められていく形で発展していった結果、導き出されたものです。しかも、この調性機能の発展は段階的、連続的に進められたものであって、そこにはどのような断絶も飛躍も見られません 」

山口昌男、最初は難しいな、やっぱり前提となる知識があまりにも足りないから読めないのかもな〜。。と思ってたけども、途中から俄然面白くなってきた。熱い。『本の神話学』所収「ユダヤ人の知的熱情」からシェーンベルクについて書いているところを少しだけ抜粋。「シェーンベルクといえば調性の揚棄とか、十二音とか常套句集の頻度数のもっとも高い言葉が結びつけられる。しかし、事実において、何が起こったのであろうか。それを、われわれがレーボヴィッツと共通の「ことば」で言い表せば、「規格化された現実をすべて否定すること」であったのである。これこそ、政治の世界でトロツキーが追求し、芸術作品の分析の中でロシア・フォルマリストたちが追求し、ビオメハニカーモンタージュの手法においてメイエルホリドが、エイゼンシュタインが、さらには表現主義者たちが自らに課した課題であったのだ。たえず新しい「地平」を切り拓き、感性を拡大することによってしか、世界に統一を与える方法がないということを知っていた人間、固定化した現実を拒否し、現実を固定するものたちに不断の戦いを挑んだ「革命家」たちが自らに課したものなのである。それは、一方では中途半端な知識によって現実と密通しながら「現代的である」と思われたいために不協和音を寄せ集め(シェーンベルク)る多くの自称「行動者」と決定的に一線を画する永久運動なのだ。われわれのまわりにある多くのものは「自分よりも無知な人たちを自分の方にひきずりこんで、ただ<<一旗あげる>>ことが大切だとすれば、それでたしかに成功することは可能である」(レーボヴィッツ)という表現にいとも簡単にとり込まれる現象にすぎないのだ。」(1970年)

デューク・エリントン「極東組曲」は凡百のフリージャズよりも遙かに過激なアルバムだから雨戸を全部閉め切って聴く、昨日はマイルスのパンゲアを聴いた後に聴いた、アドリブ・オン・ニッポン!!!は日本をイメージして作られた曲だがマイルスのアガルタ・パンゲアはその日本の、大阪のライブ公演であるわけだ、ジャズの日本でのライブには物凄いものが多い、コルトレーンのライブ・イン・ジャパンとか、日本人というのは世界で一番ジャズが好きな人が多い国だというような趣旨のことがレコードのジャズ全集に書かれた油井正一の文章に書いてあった、ジャズ喫茶にしろジャズについて語られた言説にしろ日本においてジャズによって進められた諸々の文化活動は世界的にみても非常に高い水準を持っていたわけだ。ライブに名演奏が多いのは本国において冷遇されているジャズメンが日本やヨーロッパにおいてスーパースターとして大歓迎される、その喜びが音楽にも溢れているんだろう。音楽のことを考えると自分はあと 40年くらい早くに生まれてきたかったとはよく思うことで、60年代に狂い咲いたジャズを同時代の音楽として体験したかった!

ならば私はケーゲル指揮ウェーベルンのパッサカリア第一番とリヒター指揮60年代のマタイ受難曲を聴かせよう!ケーゲルは熱烈な社会主義者だったそうだ。その唯一無二の強烈な演奏からは理想の高さがうかがえる。1990年11月20日、ドイツ統一の直後にピストルで頭を撃ち抜いて自殺している。ちなみに作曲者のウェーベルンは、1945年9月15日、オーストリアはザルツブルグ近郊で、葉巻を吸いに戸外へ出たところを、アメリカ兵に射殺されている。

ひらがなってくねくねしてむしっぽい

カール・ジンマーの「パラサイト・レックス」(光文社・長野敬訳)はめちゃくちゃおもしろいのでおすすめする、内容は色々な寄生虫の紹介と寄生虫学的視点からみた生物進化の話、さらに本の冒頭16ページにもわたる過激な寄生虫写真がまず圧巻、脳味噌を食っているウシバエの幼虫とかX線写真に写る頭蓋の奥のサナダムシの影とか鈎虫が大口をあげて吠えているような写真とか魚の舌をのっとっちゃうやつとか、形状そのものが異世界を感じさせる、生物の形がいちばんサイケデリックに感じられるので大好きなんだけれど、なかでも寄生虫は無茶苦茶なやつが沢山いて素敵。四万十川の日本住血吸虫、地球温暖化の影響でどんどん北上し今じゃ日本にもいる広東住血吸虫、北海道から南下中のエキノコックスあたり自分のなかでは寄生虫界の大スター、肺吸虫や肝吸虫など吸虫類、眠り病のトリパノソーマ・ブルーセイ、サナダムシなど条虫類、寄生バチや冬虫夏草なんかの話も好きだ。宿主の神経系をコントロールしちゃうやつまでいる。フィラリアは象皮症になるから嫌いだ。象皮症というのは犬のフィラリアが人間に感染して起こるのだが、皮膚が象の皮のようになってしまい、男性の場合はきんたまが信楽焼のたぬきのようになってしまう病気で、見ていて痛々しい。寄生虫をテーマにしたホラー小説でいちばん面白いのはやっぱり「黒い家」の貴志祐介が書いた「天使の囀り」で、あの本に書かれる寄生虫は恐ろしすぎる、自分が読んだのはちょうど熱帯魚の水槽とちっちゃな水槽と大きなプラスチックの箱2つとバケツ 2つくらいにいっぱい、びっしりとうようよと、線虫とイシマキガイを狂ったように繁殖させて遊んでいた頃だったので恐怖も倍増、リアルなイメージが頭の中に浮かんですごく怖かった。線虫は最後には恐ろしくなって窓から裏庭に流してしまった。「パラサイト・レックス」は腹の中にサナダムシを飼っていた藤田紘一郎の一連の本のヒットもあって寄生虫本は人気があるので多分大きめの本屋には普通に置いてあるだろうと思う。サナダムシ・ダイエットの先駆者はかの有名なマリア・カラス。ちなみに、どれだけの人が気づいてるか知らないが、この掲示板のタイトルが×××なのはもちろん眠り病を媒介するツェツェバエに由来する。ところで、「地球温暖化 広東住血吸虫」の検索で見つけた「KGB(コウガイビル)情報掲示板」をよく見たらチコピドさんが書き込んでいる(笑)

大学に入れない!!!!!!!!!

今はなんとか普通に本を読めるようにはなったけれども、中学生の時から高校にかけては本を読むのが苦痛で仕方なくて、というのは小学生の時以来の強迫神経症、今では強迫性障害というらしいが(最初は小学校二年生の時、体中を沢山の小さなダニが這っているという強迫観念)、それからくる読書恐怖や縁起恐怖のせいで、読み始めても同じ行を何十回と繰り返して読んでも頭の中に入っているか不安で先に進めなかったり、読み進めている途中に自分の中で不吉だと定義している言葉が出てくると息を止める、みたいな行動がどうしてもやめられなかったから、しんどくて本が読めなかったんだけれども、ちなみに息を止めるのは体の中にその言葉が持つ「言霊」みたいなものが入ってこないようにするため、という論理が頭の中で成立しているんだけれども、同時にそのことがいかにアホで、病的か、というようなこともちゃんと認識していて、それにもかかわらず強迫観念が消えることは無い。これは小学生の時がいちばんひどくて、例えば『「汚れているもの」の前では息を止めねばならない』みたいな戒律を作って窒息しかけたり、帰宅途中に同じ場所を何十回と通過するのを繰り返してなかなか家に辿り着けなかったり、中学生になると今度は性的なものに対する強迫観念と嫌悪感までもが始まったり、他にもこれらに類する強迫観念が沢山あって、自分の作った戒律にがんじがらめになっている時期があった。キリストみたいな人間も神経症的で倫理的な潔癖感が強すぎる感じがする、倫理的な潔癖感から戦犯企業を爆破するテロリストとそこまで違った地平に立っているとは思わない。小学生の時、サイババが嫌いでできるだけ近寄らないようにしていたのだが、それは、あんなものはインチキである、という意識と、子供心に手の中から色んなものを取り出すサイババに自分の論理では理解できないものに対する恐怖に挟まれて、厭で仕方がなかったからなんだけれども、自分でもこれは一歩間違えば新興宗教なんかに簡単にはまってしまうタイプだなー、とずっと感じていたので、宗教的なものに関する嫌悪感は多分に無意識の自衛や近親憎悪みたいなものを含んでいる。だから理系の学生がオウム真理教にはまったりするのも理解のできないことではない。同様の理由でテレビのオカルト番組や宇宙人特集みたいなものも大嫌いだった、番組制作者にとっては一種のギャグのつもりでも、それを見て本気で苦しむ子供が沢山いる気がして、今でも笑いとばして見ることができない、先に腹が立つ。ついでにいうとあるある大辞典みたいな疑似科学番組にも腹が立つ。みのもんたのしたり顔にも腹が立つ。強迫観念を持つのはもう、癖みたいなもので、程度の差こそあれ今でも多々ある、あえて排除しようとはせずに、自分の役に立つような観念、例えば自分には時間が無い!といったものは意識的に持つようにしているが、時々そのせいで死にたくなる。しかし考えてみるとジャズというのも強迫的で神経症的な音楽で、音楽的には反復を基調として強迫的なフレーズがこれでもかとつめこまれて音楽家の内面がその場で美しい音に昇華される、自分はそういうところにも惹かれているような気がする。だからといって強迫的な打ち込みやノイズや単純なだけの反復というのは嫌いだ、自分はテクノもいわゆる「ノイズ」も基本的には大嫌いだ。テクノの「機械に踊らされる感」は自分には耐え難い、ファシズムみたいで。

無性に古い歌謡曲が聴きたくて。西田佐知子と青江美奈の全曲集はずっと前から買いたいと思っているんだけれど高くて買いそびれる。あと藤圭子とか。山崎ハコの一枚目は名盤、もっといいのが知りたいから詳しい人どんどん教えてください、この掲示板を見ていたら。平岡正明や相倉久人の本が面白いのは、ジャズのことはもちろんだけれど、歌謡曲にも相当に詳しくて、たくさん歌謡曲論を書いているところにもある。周知のとおり平岡正明は百恵ちゃんが大好きであって、山口百恵は菩薩である、歌謡曲界のコルトレーンである、その平岡正明にしても歌謡曲について書いているのはさすがに80年代まで、中森明菜くらいまでかな、その後は「J-pop」だもんな、イカ天系素人礼賛〜小室ファミリーだけになっちゃったもんな、あとはかっこつきの演歌でガキ迎合と老人向けの二極分化が進み、ミリオンセラーの続発と圧倒的な質の低下の前に歌謡曲は死滅した。中学生の頃自分は小室哲哉とビル・ゲイツとマクドナルドが死ぬほど嫌いで殺意に近い感情を、程度の差こそあれ今でも抱いているけれども、マクドナルド解体で有名なフランスの武装農民ジョゼ・ボヴェ氏は最近やっと釈放されたらしいね、ちなみにマクドナルドはインドに店を出して、あたりまえだが牛肉食を禁じているヒンズー教徒たちに店を叩き壊されたりもしている。笑い話だ。ついでにいうとコカコーラもコロンビアで労組の活動家を右派の準軍組織を使って拷問、誘拐、脅迫、殺害したりしている。この季節になると町が赤色に染まるクリスマス、サンタの服が赤いのはコカコーラの広告から始まったっていうトリビアはしかしほんと気分悪いな、見るたびにそれを思い出すから赤いクリスマスを素直に楽しめなくなってしまった。あれは血の色だ。クリスマスは地獄の季節だ。

学校二年生くらいのとき、ディズニーが好きでディズニー映画ばっかり見ているようなある日に、テレビでサミュエル・フラー「ホワイト・ドッグ」を見た。血にまみれた白い犬が人を喰い殺す映画で、ずっと忘れられず、映画のタイトルは最近ネットで調べて知ったんだけれども。黒人だけを襲うように調教された攻撃犬ーホワイト・ドッグと黒人調教師の死闘という話、だったらしい。今まで見た映画の中で一番怖かったかもしれない。

公共の福祉は他人の基本権を侵害しない限りにおいての個人の自由に優先しない。誰のための公園なのか、というか一体、どんな大阪にするつもりなのか。ばーかばーか。

イラクへの自衛隊派遣は実際に、アメリカの占領政策への加担以外のなにものでもない。「人道支援が大事」ならば送るものは食料や医療品だけにとどめ、イラクに送る全自衛隊を、四万人以上の人々が死に、多くの人間が苦しむイランでの地震の救援活動に回せ。それから非政府組織、NGOはなんのためにあると思っているのだ。それらの組織による人道支援をなんだと思っているのか。復興の名を借りた侵略・占領政策が米軍主導で行われている現在、「国家として」自衛隊を出すことは「米軍」支援以外の意味は持ち得ない。自分はイラクへの自衛隊派遣に反対する。

あたりまえだけれど、小泉が政治的論議の場で言っていることは徹頭徹尾、政治的行動決定のための手段であって国民が「知るため」のものでは無いということは、どんなに認識してもしすぎることは無いだろうと思う。政治的行動決定のための手段というのはつまり「理屈はなんとでもつけられる」ということで真実がどうであるかは問題じゃない、ということだ。

民主主義に関して、補足。民主主義は下手をすると権威主義的独裁に陥りかねない。近代的国家は、国民が、自分の属する国家の歴史と文化に心情的に同一し、愛国心を持ち、国家的目的に協力するよう強制する。そして、国民を国家と一体化させ、忠誠心を強要することは、民主主義において最も正当化しやすい。

注:現在のアメリカのブッシュに関してはそもそも大統領選そのものが不正選挙から始まっているので民主主義でさえない。(ブッシュ陣営は選挙の際、圧倒的に民主党支持のフロリダ在住の黒人からの選挙権の不当な侵害や剥奪など、無茶苦茶をやっている。選挙は実際にはゴアが勝っていた)

民主制の主権者は全体としての国民であって、基本権の持ち主である個々の国民ではない。だから、基本権が民主的決定によって侵害される可能性は否定できない。それを妨げるための制度として政治的決定によって変えられないような人権宣言や権力分立の制度がある。つまり、民主主義や国民主権以上に「基本的人権」が重要だということであり、人権はいかなる場合にも国家主義に優先する。

ここで林達夫の「無人境のコスモポリタン」1950年から抜粋、五十年以上前の文章だが、現在においても全く意味を失っていない。

「アメリカの偉大な政治家、ハミルトンがすばりと言ってのけた、政治の秘密を明るみに出した次の言葉に比べてみると面白いと存じます。

The people, your people, Sir, is a great Beast.

ジェファソン(やまた後にリンカーン)が民衆に呼びかけた、民衆についてのあの神々しい数々の言葉のごときは、こういう直裁な現実政治家にかかっては、それは恐らく白々しいレトリックか甘いセンチメンタリズム以外の何者でもなかったのでありましょう。そして正直なところ、赤裸々な政治の実体というものは、どんなに進んだデモクラシー、そして人民政治でも、一つの例外もなしに、心の底では民衆というものをこのハミルトン式に考え、あしらっているのです。(中略)これは遺憾ながらー民衆の悲願や夢に反してー長い将来にわたってますますそうなることを、私は敢えて断言します。政治権力というものの性格とそのオートマティズムが、どんな人民代表をも必ず人変わりさせてしまうからです。(はじめから羊の皮を被って打って出た狼連中のことは論外として。)いつの世にもだまされて憂目をみるのは、かの不仕合わせなgreat Beastであります。」

それからリバタリアニズムはグローバリゼーションそのものは肯定するんだけれども、もしその主張が正しいとしても理念が徹底化されて行われるのでなければ全く意味は無いだろうし。ただ、現在のように国家政府権力と結託した形でグローバル化が進められることは明らかに悪い事態であって強い抵抗を感じるし、(例えば前に転載した労組指導者殺害のコカコーラを政治的に援助するブッシュ政権。そしてそこに持ち出されるのがまた「対テロ戦争」。コロンビア・ジャーナル「ブッシュは人権より企業利益を優先」参照。)現在、それに反対することは正当だと思う。だから、ジョゼ・ボヴェ氏やEZLNの主張とかにも興味がある。

正月にてっきり松浦亜弥は爆死したと思いこんでしまった私は自分のバカさ加減とメディアの恐ろしさに戦慄した

ちょっと前に年末にNHKでやっていたドキュメンタリー「映像の世紀」のベトナム戦争、民族の悲劇、日本の回を見ていたので、色々繋がった。そのなかで放送していた旧ユーゴ内戦のクロアチアの民族の優越を喧伝する国策宣伝CMが、マッチョな青年を使った近未来全体主義社会を描いたSFに出てきそうな悪夢みたいなもの(それがまたMTVのプロモーションビデオみたいだった)で気持ち悪さに思わず笑いそうになったが、そういうものが実際に放送されて、民族浄化の名のもとに殺し合いをしていたのだと思うとゾッとする。

「現地側が当惑するのは、そもそも「復興」が「破壊」とセットで行われ、それも外国人の満足が優先するからです。結局、軍事的干渉は取り返しのつかぬ結果を生みました。人々が生きるための無私の支援ならどうして武力が必要でしょうか。そのような活動は皆こぞって守ってくれます。」

「平和とは消極的なものではありません。それは戦争以上に忍耐と努力、強さが要ります。『平和』は私たちの先祖が血を流して得た結論のはずです。弱い者に拳を振り上げて絶叫するのは、人として卑怯かつ下品な行為です。一つの国が軍隊(自衛隊)を動かすことがどんな重大事なのか、おそらく、この愚かさと無関心は、近い将来、より大きなツケを払うことになるでしょう。『日本は既に米国の一州となった』と言われて是非もなく、尊敬されるどころか攻撃の対象となるのは時間の問題でしょう。ひしひしと迫る破局の予感の中で、アフガニスタンの現状を見て、『この償いをどうしてくれる』と言いたいのが実感です」(ペシャワール会報NO.78より中村哲医師の言葉)

防衛庁の石破は「イラクで行われているようなテロやゲリラとの戦闘は、憲法9条で規定している戦闘とはいえない」 と発言、テロやゲリラとの戦闘ならなんでもOKに持って行くつもりらしい。それはベトナム戦争だったら自衛隊米軍と一緒に戦争できたと言ってるに等しい。

言論の自由・報道の自由が「自衛隊員の安全」という美名のもとに政府の一方的要請で規制されようとしている。こんなことが一度通ってしまえば政府に都合の悪いことは報道しない「大本営発表」への道も遠くはない。仮に報道配慮というものがあったとしても、それは絶対に政府の意向なんぞによって決定されるべきことではない。別に大げさでもなんでもなく、原理的にあってはならないことだ。

しかし前々から思っていたが石破ってやつは最悪だな、そういえば軍事に関して大学とも連携を、なんて言っていたのもこいつだ。武器輸出三原則の見直しを、なんてことも言っているが、これはそもそも軍縮への反動だ。

そして国務副長官のアーミテージはついに憲法第9条は日米協力の障害だ、なんぞと言ったそうだな、なんて傲慢な野郎だ、そういうことをいうやつは朝鮮戦争の時くらいからずっといるらしいがな

日本はアメリカの軍事拠点、植民地、小泉内閣は植民地下のアメリカの傀儡

ハタチになったかどうかなんて徹頭徹尾、制度的なものでしかないんだからあんまり浮かれてるんじゃないぞ馬鹿者どもが。と、思う。自分も今ハタチだけれども。でも自分が浮かれていないとは到底言えないのでやっぱり自分も馬鹿者なのだとも思う。

個人が政治に少しでも影響を与えるための手段は、考えてみたら物凄く限られてますね。選挙で投票するか、デモをするくらいか?あと、自分が政治家になるというのもあるけど非現実的。デモ、示威行為、は世論に影響を与えるのが目的なんだろうから、(政治家は世論を無視できないから)批判されるとしたらそのやり方、表現方法の甘さに問題があるんじゃないかと思います。

今回の自衛隊イラク派遣、個々の自衛隊員に関しては可哀想にと、同情の気持ちもあるんだけれども、テレビでインタビューに答えていた自衛隊員が「命令ならば仕方がない」と答えていたのには愕然とした。そりゃあ自衛隊員になる人にも色々と事情はあるんだろうけれども、よりによって自衛隊になろうという人間がもっと主体的な姿勢を持たずしてどうするんだ。自分の命がかかっているような時に、自分が納得できていないのに行動するんであれば、戦争中と同じじゃないのか?政府や防衛庁を見ていると、人を殺すことにもなりかねないような事態なのだからなおさらだ。自衛隊員みたいな暴力をコントロールする立場にある人間が、判断停止することが一番アブナイんじゃないのか。それに「命令ならば仕方がない」というのは自分の責任を回避するという意味も含まれるんじゃないのか。それって最悪なんじゃないか?

もちろん、仮に自衛隊員が攻撃されなかったとしてもそれは自衛隊の派遣を正当化する根拠にはならない。日本は、アメリカのイラク侵攻に諸手をあげて賛成した国だ。そんなことも忘れたのか。

 

「合意していないプロジェクト」(沖縄)

合意してない県民総決起大会参加プロジェクト

http://okinawaforum.org/disagree/kenmintaikai.html

こんなのやってたんだー。すごいおもしろい。サウンド・テロ(笑)

実行報告その6:戦闘機軍艦も食っちゃうクッキー

飛行機と船の型のクッキー。ばりばり食い尽くす企画。

プランその2:沿岸案を食べちゃおう

大会当日、沿岸案をかたどったクッキーが登場するかも。「アメとムチとかいって結局どっちもムチ」と思わずつぶやいてしまいそうな甘すぎるの、厳しい現実をイヤと言うほど理解出来る塩っからいの、など味覚から想像力を刺激します。

プランその5:ジュゴン風船が空を占拠!

会場でじゅごん風船をたくさん準備して配ろうと思います。じゅごんの家のさおりさん発案、ナゴガイセンダイサクセンでおなじみ。ヘリではなく(団体の旗だけでもなく)じゅごんが空を占拠。風船ふくらまし隊募集中です。

米軍再編を思い通りにさせないため、3・5は重要な日となると思います。

韓国ピョンテクでは、住民からの強制土地収容をして基地建設を進める作業が明日はじまるという情報が入っています。農地や学校が取り上げられ生活がこわされる事に対して、これまで全国をトラクターでデモしたりビニールハウスコンサートしたりと様々な抗議活動を続けていましたが、ここ数日は緊迫した中寝ることもままならない状況だそうです。そんな中で、現地からは「絶対に止めます。沖縄のみなさんは3・5を成功させてください。体をいたわってください。」とのメッセージが寄せられているそうです。

ここ沖縄で基地建設を止めれることを示すことは、世界中戦争をなくす大きな力となります。

プランその1:革命的手さばきによるビラまき

沢山の人たちが集まる総決起大会。中央に設けられる壇上の議論と私的な思いがくい違う可能性がありうるので、勝手にビラを作り撒こうかなぁと考えています。例えば、いま適当に思いつく主張は

* 辺野古新基地建設反対、米日両軍の在沖基地全廃。

* 基地関係労働者の基地撤去後の生活保障。

* 米日両軍の即時解散。

* 自衛隊イラク即時撤退。在沖防衛施設局・沖縄大使の即時撤退。

* 米軍を防御し、野宿者を虐待する警察の非武装化。

* 反戦兵士の登場を触発する。

* FTZ、振興策、埋め立て、大学院大学皇族の来沖反対。

* 反ネオリベラリズム

* 「7・30」に今頃になって反対する。

などです。

富村順一、船本洲治、沖青同、沖解同、金武湾を守る会、知花昌一、コザ暴動などの「面白い」部分を思想的に勝手に受け継ぐ。

一人でやってるにもかかわらず、徹底した非暴力直接行動の集団として勝手に登場する。

そして、革命的な手さばきで、ビラを配る。

以上のような幻想です。

7・30(ナナサンマル)

http://chottomukashi.ti-da.net/e772331.html

日本再併合の象徴ですね

韓国当局によるキャンドルデモ弾圧の「青い着色液」放水攻撃は、日本の弾圧方策に学んでいるのか?

(↓参考:「青い着色液」放水攻撃:建国60周年で独裁国家に逆戻り「半島浪人レポ」)

http://blog.livedoor.jp/yorogadi/archives/51164956.html

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佐藤栄作訪米阻止闘争@羽田空港(1967.6.30)

 機動隊は、あたりが暗くなるのを待って、青の着色液を学生たちに放水した。

 装甲車から「着色者、全員逮捕!」の号令がかかると、路地に待機していた機動隊と挟み撃ちで学生を追い込む。壁にへばりつく学生に機動隊員がジュラルミンの盾を押しつけ、ぶん殴る。一人ずつ群れから引き剥がすように逮捕していった。

 東京駅ではホームでデモを始めた学生約百人が、いきなり昇降口から現れた機動隊に不意をつかれ、大混乱となった。

 「乗客が悲鳴をあげて逃げまどう。ホームにいた千人以上の学生や一般客が、なだれをうって階段に殺到する。たちまち機動隊員の姿だけになったホームや階段は、ヘルメットや角材にまじって、ハンドバッグや子どものクツなどが散乱していた。この騒ぎで南口付近にいた若い女性など数人が、人波に押されて階段や線路にころがり落ち、二人が重傷」(同前)。この1日で、東京で1640人(うち女217人)が逮捕され、77人がケガ。国電は257本が運休している。凄まじい光景が、都内の各所で展開されたのだった。

 雨に濡れる騒乱の市街を、ヘリはわずか七分で横切り、羽田空港に着いた。

 空港には、首相が訪米中の臨時代理となる官房長官の保利茂、福田赳夫蔵相、大平正芳通産相らの閣僚が集まっていた。若泉とキッシンジャーの裏交渉の経緯を知る者はいない。皆、返還交渉がまとまり、共同声明が発表されるよう、祈るような気持ちで佐藤を見送りにきたのだった。

 沖縄では屋良朝苗(やらちょうびょう)・琉球政府主席が、殺到する取材者や表敬訪問者を待たせ、首相の出発を中継するテレビを食い入るように見つめながら、しみじみと言った。

 「きのうからテレビで本土の学生の乱闘などを見ているのだが、せめて県民を含めて国民合意の線で首相が出発できたらなあという感想を持ちます。だけども、それだけ問題が複雑で困難なのでしょうね」

 佐藤を支持する沖縄経済界からも「喜べない」との声が上がっていた。

 「いま身をもって、それ(祖国復帰)を実現しようとしている首相に敬意を表し、期待している。だが正直のところ日の丸行列、ちょうちん行列をする気はどうもわかない。

 ただ民族の誇りを取戻しただけでなにがめでたいか。その後の私たちの生活はどうなるのか……。(中略)経済面での本土政府の施策は遅々として進まず、めぼしいものといったら厚生年金ができたくらいじゃないかな。民族の悲願達成ということで、今まで少々のことはがまんしてきたが、佐藤さんが帰ってきたら本土政府にどしどし注文をつけたい」と安里芳雄・琉球商工会議所専務理事はコメントした。(朝日新聞、69年11月16日付)

http://web.soshisha.com/archives/kakuei/2007_1227.php

上に出てくる「福田赳夫蔵相」とは第67代の内閣総理大臣で、福田康夫は息子ね。