10日ほど留守をしていました。 気まぐれで書いているので、気分が乗ってこないとなかなか進まないものです。 ネタはたくさんあるのですが、どーしても書いておきたいネタを二つ。 相変わらずのNHK特集みたいになっています。 (民放のドラマは「官僚たちの夏」ですら、もう見る気がしなくなってしまいました・・・) ◆「未来は今」 番組ホームページは→こちら 3月の放映時は見逃してしまったのですが、再放映でやっと見られました。 ドラマ?というか、基本的にはドキュメンタリー番組なんだけど、森山未來がそのドキュメンタリー番組のナレーションの録音をしていく場面が、再現ドラマ調のドラマになっている感じでしょうか。 なので、森山未來が「森山未來という役柄」を演じている感じ。 ディレクター役は光石研さん。 神戸で高校生まで育った森山 10歳で震災に遭った森山 でも、家族や身近な人物をなくしたわけではない。 毎日父と一緒に給水場に水を汲みにいった経験は、むしろ「楽しい思い出」だったという。 そんな森山が震災の遺族の聞き取り調査の一行に加わり、遺族の話を聞いていく。 話をする遺族 話を聞く森山 同じ被災者ではあるけれど、そこには微妙な温度差がある。 震災には遭ったけれど、家族を失うほどの大きな不幸を経験していない森山が「ある種の罪悪感」を抱えているように見えました。 だからこそ、震災について話そうとすると慎重になってしまうのでしょうか。 これと似たようなことを、上田早苗アナウンサーのインタビューでも触れていましたね。 単身赴任で神戸で来ていた上田。 震災の朝、 パジャマにコートを着込んで神戸の町をリポートした。 震災直後は震災についていろいろな人に話そうとしていたけれど、そのうち話せなくなったと言う。 自分は地震を経験したけれど、しょせん神戸は仮住まいの場所。 この街に根をおろして10年、20年、何十年とかかる復興に付き合っていく人々とは、同じ思いにはなれない。 そういう「よそもの」としての遠慮が、彼女の口を閉ざしてしまった。 被災者の中での思いのずれ と、同時に 被災者と被災者でない者との思いのずれ も描かれていました。すなわち、 被災者=森山 被災者でない者=ディレクター の図式で。 震災ドキュメントのナレーションとして用意された文章 あの日を けして忘れてはならない をすんなりとは読むことのできない森山。 「忘れてはならない」 それは確かにそうなんだけれど、自分の思いを正確に伝えるものではないという違和感を感じる森山。 忘れてはならない、というよりも「忘れようとしても忘れられない」というのが本音だったのでしょうか? 震災から14年経ったけれども、まだまだ復興半ばという人もいるでしょう。 建物が建って人が増えても、「街」の再生はそれだけでは不十分でしょう。ましてや遺族の心は? そんな人々の思いを自分の中で消化させて、森山は自分自身の言葉でナレーションを読み上げる。 ドラマなのかドキュメンタリーなのかわからないくらい、「生々しい」シーンでした。 あと、 番組全体から、森山未來がいかに神戸という街を愛しているかが、じわ〜っと伝わってきます。 いい番組です。 (余談) マイケル・ジャクソンの「smile」が泣かせる〜 (余談) エンドロールを見て納得… 編集:大庭弘之 (↑ドラマ「ハゲタカ」・映画「ハゲタカ」担当) 脚本・演出:井上剛 (↑ドラマ「ハゲタカ」第2・3話担当) ドラマ部分が緊迫感のあるドキュメンタリータッチだったのは、このスタッフのなせる技だったわけですね^^ ラストシーンと、「ハゲタカ」3話の自販機シーンはちょっとだけテイストが似てる。(←ちょっとだけね) ぜひ、1月に再放映を希望します。 ◆「土曜ドラマ 再生の町」 番組ホームページは→こちら 毎回毎回、胃が痛くなるストーリーです… が! 見始めたらのめりこんでしまいます。 1人も無駄な役柄がない。 それぞれがそれぞれの思いを抱えて、それぞれの使命を果たそうとする。 岸部一徳の「目の奥の演技」から、ますます目が離せません〜〜〜 (余談) 斉藤とも子、久しぶりに見た… ↑上記どちらもNHK大阪放送局制作。 名古屋も大阪も、地方制作のドラマはイキがよろしいな。 なあなあ、 「天地人」の放送短縮して、「上杉鷹山」の再放映してほしいんですけど… 「天地人」で、上杉のイメージは大幅ダウン…(少なくとも私は) その汚名をそそぐ機会があってもよいんではないかと… |
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